次元の扉 その2
その男が次元の扉の攻略を始めたのはラーサーがドラゴンロードを倒したあと。第二の次元竜ゴールドドラゴンが現れてからだ。
彼がこのゲームを始めたのはベータテスト初日。
それから月額課金時代、アイテム課金時代と長い間続けてきたアナザーワールド2だったが――ギルドメンバーとの最後の会話は約三ヶ月前。
それ以来誰一人としてログインしていない。
とっくに飽きていて惰性で続けてきたこのゲームもそろそろ辞めどきかと思い始めていた頃、長らく世話になっていた攻略ブログを久しぶりに見た彼は、クエスト『次元の扉』の存在を知った。
倒すのは苦労するが倒したところで何も手に入らない。彼はそれをこのゲームと自分の関係に似てると感じる。
長らく楽しんできたこのゲーム。実際に会う事は無かったが、親しい友人と呼べる存在もできた。
だが、今残るのはその思い出だけ。
次元の扉はクリアしたところで何も無く、残るのは倒したという事実と達成感のみ。
それは自分とこのゲームの関係の終わりを飾るグランドフィナーレにふさわしいと思った。
こうして彼は辞める前の最後のクエストに次元の扉を選ぶ。
そして、ひたすらゴールドドラゴンに挑み続けた。
ゴールドドラゴンの全身は淡く白っぽい光に包まれている。
それを知っているのはもしかしたら彼だけかもしれない。
誰かが倒したのだとしたら、その誰かも知っているのだろうが。
彼がそれに気づいたのは、ゴールドドラゴンに挑み始めて十数回目の事だった。
20分、それとも40分だろうか。もっと長かったような気もするし、短かったような気もする。
そんな、まあだいたい30分前後といった時間ゴールドドラゴンと戦い続けた彼は、その光が消えるのを目撃した。
光が消えたゴールドドラゴンは無敵ではない。
攻撃が通る上、HPが低いのか一撃で体力ゲージをかなり減らす事ができる。
そんな状況に彼は勝利を確信したのだが――そこに至るまで長い時間ゴールドドラゴンの攻撃を耐え続けたため、回復薬の枯渇によりゴールドドラゴンを倒すには至らなかった。
その後、彼はもう一度だけゴールドドラゴンの光を消す事に成功している。
だが、結局倒すまでには至らず、誰かに倒されたのか、それともゴールドドラゴンの期間が終了したのか……扉の色が金色になってから約半年、扉の色は赤くなった。
レベル100のキャラを一撃で倒すレッドドラゴン。赤い扉の先に現れたそれに挑む者は早々に姿を消す。
だが、彼は挑み続けた。
彼はその姿を見てすぐに気づく。レッドドラゴンが赤く光っているという事に。
攻略法がゴールドドラゴンと同じだとすると、その赤い光さえ消えれば倒せるはず。
そして、それはたぶん時間制で、とにかく攻撃を避け続けるか耐える方法をみつければ勝てるはずだ。
そう考えた彼は様々な方策を考える。
狩場にいる高位ドラゴンはたまにドラゴン装備というものを落とす。
これはドラゴン系からの攻撃を軽減したり、ドラゴン系へのダメージを増やしたりする。
そこで彼はレベルを100に戻すときに行く狩場を高位ドラゴンのいる場所にした。
何度も挑んでいると、一撃食らっただけで死ぬはずのレッドドラゴンの攻撃を食らっても死なないという現象が起きる。
それはキーボードの操作ミスで、HP全回復薬とHPとMPの両方を全回復する薬を連続で使ってしまったときに起きた。
これにより、彼はタイミングよく回復薬を使えばゲージ減少中にも回復効果があり、ゲージ一本分以上のダメージを食らっても死なないらしいと知る。
通常の回復薬は連打できるがそれではゲージが減る速度に回復が追いつかない。しかし、全回復薬は連打できない仕様。
だが、全回復薬でも種類が違う物は連続で使う事ができる。
このゲームにあるHPを全回復させる薬は三種類。
ゲーム内で手に入る全回復薬、課金ガチャのハズレであるHPとMPを全回復する薬、そして課金ガチャの最もハズレとされるゲーム内で手に入るものとは別扱いのHP全回復薬だ。
彼はレッドドラゴンに挑み続けた。
だが勝てず、無常に時間だけが過ぎて行く。
そして赤い扉が表れてから約半年。もしゴールドドラゴンが誰かに倒されたのではなく、期間が終了してレッドドラゴンに代わったのだとしたら残された時間は少ない。
レッドドラゴン攻略を始めてから約半年。ゴールドドラゴンを含めると次元竜に挑んで約1年。
もしレッドドラゴンを倒せず次のドラゴンになってしまったら、さすがに心が折れてしまうだろう。
そもそも次元の扉クエスト自体が終わる可能性だってある。
必ずレッドドラゴンを倒す。
彼はその決意を己に示すため、課金染色剤を使って青系の色だったドラゴン装備を赤く染めた。
決意を新たに今日も彼はレッドドラゴンに挑む。
レッドドラゴンとの戦いが始まってから2分とちょっと。1分も持たない事が多い事を考えると今日はかなり調子が良い。
とはいえ既に三つのショートカットに入っている全回復薬の残りは各25を切っている。
ゴールドドラゴンの光が消えるのにかかった時間が30分前後。
レッドドラゴンの光が消えるのも同じくらいの時間がかかるとしたらあと28分くらい耐える必要があり、それに必要な回復薬は1分につき各12~13個で少なく見積もっても各336個。
ショートカットにスタックできる数は各50個だからとても足りないし、アイテムウィンドウを開いてスタックしなおしていたら確実にやられる。
「くそっ」
彼は思う。
確かにゴールドドラゴンは30分耐え切れた。あの後も何回かチャレンジできさえすればいずれ倒せたであろうという自信はある。
だが、同じくらいチャレンジしているのにこのレッドドラゴンは1~2分が限度。
クリア可能である可能性の高いゴールドドラゴンは超難関クエストとして良くできた良クエストだろう。
だが、クリア不可能なこのレッドドラゴンは、クエストの体をなしていないクソクエストだ。
「作った奴バカだろ。俺だったら精々3分にするぞ」
誰に言うわけでもなく彼はつぶやく。
確かにこの理不尽さには文句の一つも言いたくなるのも無理はない。例えそれが彼の勘違いだったとしても。
彼がその勘違いに気づいたのは『ダブル』を食らって終わったと思った瞬間だった。
ダブル。(二連撃)これは正式な技名ではなく彼が勝手につけたレッドドラゴンの攻撃名だ。
レッドドラゴンの攻撃は炎を吐く、首を叩きつける、尻尾を振るという三種類。基本的に一回の攻撃はどれか一種類の攻撃を行うのだが――まれに二つの攻撃をほぼ同時におこなう事がある。それがダブルだ。
一撃でゲージ二本分前後のダメージなのだから、ダブルを食らえば当然三本を余裕で越えてくる。
しかし連続で使える全回復薬は三つだから絶対に回復が間に合わない。
つまりダブルを何とかするには避ける以外に方法はなく、食らった時点で終わりだ。
「うわっ、ダブルかよ。クソがっ」
愚痴をつぶやいて一瞬気がそれた瞬間にそれは彼のキャラクターを襲い、彼は手をキーボードに叩きつける。
しかし次の瞬間彼は気づく。
本来ならHPがゼロになり、登録されたホームポイントまでの帰還時間が表示されるはずだがそれがない事に。
当然だ。彼のキャラのHPはまだ半分以上残っているのだから。
そしてもう一つの事に気づく。
それは、レッドドラゴンの周りを覆っていた赤い光が消えている事。
そう、レッドドラゴンの光は3分で消え、その無敵の攻撃力は激減する。
彼のキャラがダブルを食らったときには既に光は消えていたのだ。
それからは一瞬だった。
赤い光を失ったレッドドラゴンは大きいだけの木偶の坊。
彼がいつもダウンしたレベルを戻すために狩っていたドラゴンよりも弱く数撃で倒れた。
そしてシステムメッセージに『レッドドラゴンを倒した』と表示され、ドラゴンの背後にあった巨大な扉が開かれる。
扉の向こうからあふれ出るまばゆい光に目を細めつつ――これでこのゲームともお別れか、思えばいろんな事があったなあ――彼はそんな事を考えていた。
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