シーラン公子 その1
公子。それは本来は貴族の子弟を指す言葉だが、リベランドでは少し異なる意味を持つ。
大陸における大都市が国そのものとほぼ同意であるという事から、現在五つの大都市を持つこの国は五つの国からなる連合国家と考える事もできる。
つまり大都市の領主の子は一般的な国の王子や王女と同等と言えなくもない。
そのためリベランドでは大都市の領主である大公爵の子を、正式な称号ではないが、公子、公女と呼ぶ事が通例となっている。
マギナベルク城、謁見の間。そこに玉座に座るラーサーに向って話をしている貴族風の男がいた。
男の名はルーカス・レイウッド。
彼はリベランド四大公爵家の一つシーラン大公爵家の公子であるマリオンの遣いとして、マリオンがマギナベルクに到着した事を報告しにきていた。
「以上。シーラン公子マリオン閣下が屋敷に無事入られました事を報告します」
「報告ご苦労だった。して、マリオン卿はいかがなされた?」
「と、言いますと?」
「いや、挨拶などはどうするのかと思ってな」
マリオンはラーサーが招待したのではなく、彼の要請でラーサーがマギナベルクへの入場を許可し滞在のための屋敷も用意している。
いくら公子とはいえラーサーは大公爵。立場が上の者ならともかく、この場合は向こうから出向いて礼をいうのが筋というものだろう。
しかし来たのは部下のルーカスのみ。しかも手ぶらで礼の言葉すらない単なる報告をしてきた。
もしかしたらマリオンは後日改めて挨拶に来るのかもしれないと思い、ラーサーは一応聞いてみたのだが――
「ああ、そういうのは遠慮してもらえますか? マリオン様は忙しい身であらせられるので、そんな事に応対している暇は無いのです。そのくらいは察して欲しいものですな」
ルーカスの言った『応対』という言葉に周りに居た騎士たちは気づく。普通出向くときに応対するという言い方はしない。応対は迎える側がする事だ。
つまり、ルーカスはラーサーがマリオンの屋敷に出向いて挨拶するのが当たり前だと考えており、その上で来る必要はないといっている。
これはラーサーがマリオンより格下だといっているのと同じ意味だ。
それどころかルーカスの態度はラーサーを自分よりも下に見ている感じすらある。
力とは何か? 多くの者は力と聞いてまず腕力を思い浮かべるだろう。
だが力には様々な種類がある。腕力、知力、財力そして権力。
生きる社会が違えば必要な力も変わってくる。
平民の社会であれば腕力がものをいう事も少なくないだろうし、学者の世界なら腕力など無意味で必要なのは知力。商人なら財力が重要で、腕力や知力が必要なときは財力を使って集めれば良い。
国家間では経済力や武力がものをいうが、それらを動かすのは権力だ。権力の前には個人の力など塵にも等しい。
つまり権力はすべての力の頂点であり、社会の頂点である貴族社会ではそれこそが最も重要な力だ。
大陸には爵位の無い貴族(無爵位貴族)が存在する。
無爵位貴族は本家が現存する限り必ず爵位を持つ貴族の傍系にあたり、その血筋を誇る者も少なくない。
本家は傍系の後ろ盾になる事が多く、本家の地位が高いほど無爵位貴族の権力も強くなる傾向にある。
ルーカス・レイウッドは無爵位貴族だが、やや遠縁ではあるものの、後ろ盾である本家は名門貴族マリーウッド伯爵家だ。
そして彼の仕えるマリオンは、王に次ぐ権威である大公爵家の一つシーラン大公爵家の公子。
シーラン大公爵家には過去の婚姻で初代リベランド王、真王リベリアスの血も入っているので、マリオンは権力も血筋もリベランド最高峰。
それに引き替えラーサーは、爵位こそ大公爵ではあるものの領地は大都市とは名ばかりの数年前まで廃墟であった辺境の地。
しかも元平民という卑しい血筋で何の後ろ盾も持たない。
確かに個人の力としては抜きん出たものはある。だがそんなものは貴族社会では通用しない。
したがって貴族として有名無実であるラーサーは、ルーカスにとって尊敬には値しない人物。そんな考えが彼の態度には表れていた。
ルーカスの態度に騎士たちは鋭い眼光を向けるが、彼はそんなものどこ吹く風。
確かに殴りかかられたらルーカスはまともな抵抗すらできないだろう。
だが騎士が無抵抗の公子の遣いに手を出そうものなら、その罪は主人であるラーサーも負う事になる。
振るわれない暴力など何を恐れる必要があろうか。
ルーカスは視線で人を殺せるのか? とでも言いたげに馬鹿にしたような表情で騎士たちをニヤリと笑いながら見る。
ラーサーの横に控えその様子を黙って見ていたスコットだったが、さすがにたまりかね口を開いた。
「レイウッド卿。その態度は大公閣下に対して不敬と取られますぞ」
だが、ルーカスは平然と言い返す。
「トレイン卿。それは誤解というもの。決してそのような気持ちはございません。もしそう聞こえるのだとしたら、それは貴殿の心情に何か含むところがあるからではないですかな?」
「なんだと!」
普段は冷静なスコットも、自分にラーサーを見下すような心情があるなどと言われては我慢ならず、思わずルーカスに詰め寄ろうとする。が――
「控えろスコット」
ラーサーの一言で冷静さを取り戻し、すぐさま定位置に戻る。
「はっ。失礼しました」
一瞬ひるんだルーカスだったが、いまだに自分を睨むスコットの視線にももう動じない。そしてまたニヤニヤしながらラーサーに言った。
「報告は以上ですが、もうよろしいですかな?」
謁見の間に居た騎士たちは皆憮然とした表情をしていたが、ラーサーはやれやれといった感じで答える。
「ああ、ご苦労だった。マリオン卿によろしく伝えておいてくれ」
「では、失礼します」
そう言うとしたかどうかもわからないような礼をして、騎士たちの鋭い視線を受けながらもルーカスは涼しい顔で謁見の間を出ていった。
城からの帰り道。馬車の窓から見えるのは、とても大都市の貴族居住区とは思えないようなみすぼらしい街並み。
それを見ながらルーカスは思う。
スコット・トレイン。名門貴族トレーロウド侯爵家の傍系にして名実共にリベランド最高峰の一人オブシマウン大公に仕えていた男が、いまや有名無実な大公爵の配下とは……落ちたものだな。