灯火(ともしび)の魔女 その4
包丁で何かを切るトントンという音。台所の方から聞こえてくるそんな音でシャルルは目を覚ます。
ここはスージーの家で寝ているのはスージーの旦那が使っていたというベッド。もちろんステラも一緒に寝ているのだが、久しぶりのベッドだからか丸くなってシルフィを抱えているだけで今日は逆向きにはなっていない。
昨日はステラが寝てしまい、スージーも泊まっていけと言うのでシャルルはそのまま厄介になる事にした。
老婆の一人暮らしなので危険も無いだろうし、寝ているステラを抱えて宿を探すのは面倒だと思ったからだ。
しばらくするとステラも目を覚ます。
シャルルは彼女といつもの朝の挨拶をしたあと、いつの間にか起きていたシルフィも連れて洗面に行く。
そして顔を洗ったり歯を磨いたりしてから居間に向かった。
居間に行くと朝食の準備をしているスージーがシャルルたちに挨拶をする。
「あら、おはよう。良く眠れた?」
「おはよう。おかげさまで良く眠れたよ」
「おはよーすーじー」
「おはようございます」
シャルルたちは一通り挨拶を交わすと席に着く。
テーブルの上にはパンの入ったバスケットと野菜の入ったスープなど、昨日の夕食同様に素朴な感じの朝食が並んでいる。そして小ぶりながらシルフィのための魔石も置いてあった。
「エレメンタルに食事は必要ないんだがな……」
シャルルがそう言うとスージーは少し笑いながら言う。
「ええ、知ってるわ。でも一人だけ何も無しじゃかわいそうでしょ?」
「かもしれんが……」
「しるふぃ、よかったね」
「うん」
贅沢を覚えると厄介だな。そう思ったシャルルだが、嬉しそうに笑う二人を見て少しくらいなら良いか……と、それ以上は何も言わなかった。
そして朝食を終えたシャルルは考える。
さて、これからどうしようか?
ベルドガルトで都市兵に見せてもらった地図では、この町を東に行けばスージーが昔働いていたという小都市エルツァイゼンがある。
だが身分証が無いので行っても入れないし、そこから一番近い大きな町はたぶんここだ。
ここに留まるつもりは無いのでとりあえずは次の宿場町まで南下だろう。
ここまで連れて来てくれた行商人の話では、更に南下するとアンシュルツという宿場町があるらしい。
そこから先は西に行って小都市ゼーフェルフィンか更に南下してヴィアントシティ。その先にはとりあえずの目的地である交易都市ゼントルタッドがある。
ゼーフェルフィンは都市なので身分証が無いと入場できないが、ヴィアントは準都市なので入場料は取られるものの身分証は必要ないらしい。
となると、やはり行くならヴィアントシティだろうか?
まあ、その辺は追々考えるとして、とりあえずはアンシュルツに行く馬車を探すべきだろう。
早速行動に移すか。そう思いシャルルが立ち上がると――
「アイタタタ」
食器を片付けようとしていたスージーが腰を押さえてうずくまった。
「だいじょーぶ?」
「あはは……歳だねぇ。今朝起きたときはなんともなかったから、もう治ったと思ったんだけど……」
苦笑いしつつ腰を抑えるスージーをステラは心配そうに見ている。
これは治るまでしばらくかかりそうだな……そう思ったシャルルは、とりあえず肩を貸そうとするが痛がってどうにも動かしづらい。
もしかして体を軽くすれば……そう考えシルフィに手伝わせた。
シルフィには触れているものの重さを軽くする能力がある。
これは風のエレメンタルなら誰でも持っている能力だが、風のエレメンタルとしては最高峰の能力を持つプリムでも子供を宙に浮かせる事すらできない。
だがシルフィはステラ程度なら普通に宙に浮かせる事ができる。
ステラほど軽くはないだろうがスージーもそんなに重そうに見えないし、宙に浮かせる事はできなくてもかなり軽くはできるだろう。
体が軽くなる感覚にスージーは驚く。
「あら。これってもしかして『アンチグラヴィティ』かしら? 風のエレメンタルってすごいのねぇ」
「ふふふ。わたしはごしゅじんさまのいちのこぶん。これくらいとうぜんよ」
ほめられたと感じシルフィは鼻息荒く誇らしげに言う。
そしてシャルルは聞いた事のない単語をスージーに聞き返す。
「『アンチグラヴィティ』とは?」
シルフィのおかげで無事イスに移動したスージーは、一息つくと質問に答える。
「ものの重さを軽くする上級魔術よ。ああ、でもシルフィちゃんはエレメンタルだから、秘術のゼログラビティかしら?」
「ゼログラヴィティとは? それになんでエレメンタルだと秘術なんだ?」
「え?」
シャルルの問いにスージーは首をかしげつつも詳しく教えてくれた。
ものの重さを軽くする魔法は秘術にもあるらしく、ゼログラヴィティはアンチグラヴィティの秘術版らしい。
そしてなぜエレメンタルだと秘術なのかというと、秘術というのはエレメンタルの能力を人類にも使えるようにしたものだと言われているからなんだそうだ。
ちなみにアンチグラヴィティもゼログラヴィティも上級と呼ばれる魔法らしく、使える術者は多くないらしい。
「なるほど……」
さすがに学校で魔術を学んでいただけに詳しいな。
シャルルは感心して頷く。
「ふう。おかげで一息つけたけど……さすがにもう街灯を灯すのは無理かしらね。でも、最後の日に中途半端にせずに終われてよかったわ。ステラちゃんたちのおかげね。ありがとう」
「しゃるー……」
寂しそうにつぶやくスージーを見て、泣きそうな顔でステラはシャルルを見る。口には出さないが、昨日と同じでなんとかしてという事だろう。
恐らくだが見た感じ、スージーの腰はいわゆるぎっくり腰。だとしたら再発の危険はあるものの、数日間安静にしていれば回復するはず。
ならばその間だけなんとかすれば良い。急ぐ旅でもないしその程度なら問題ないだろう。
「乗りかかった船だ。昨日言った通り私もその仕事は経験がある。スージーさえ良ければ腰がある程度回復するまで私が代わりに街灯を灯そう。それならば辞める必要もあるまい?」
シャルルがそう言うとステラは嬉しそうに笑う。
「すてらもっ! すてらもおてつだいする!」
「ごしゅじんさま。わたしもおてつだいします!」
「そりゃ、確かにそうしてもらえるとありがたいけど……あたしには何も返せるものが……」
恐縮するスージーにシャルルは言った。
「困ったときはお互い様。それに情けは人の為ならずとも言うしな」
それでも……と言うスージーにならばとシャルルはいくつかの対価を求める。
シャルルが求めたのは仕事を代行する間の宿と食事、そしてステラに魔術を教える事。
スージーはちゃんとした学校で魔術を習っていただけの事はあり、魔術にはある程度詳しいように見える。マギナベルクでステラに魔術を教えていたソフィよりも知識は上だろう。
自分は魔術の才能がなく初歩しか勉強しなかったからたいした事は教えられないとスージーは言うが、ステラに必要なのは魔術の基礎中の基礎だと言うと、まあそれくらいならと了承してくれた。
そして今日から早速それは始まる。
「それじゃあ、スージー先生の魔術基礎を始めるわ」
「はーい。よろしくおねがいしまーす」
スージーが授業の開始を宣言すると、ステラは盛大に拍手を送った。
それを見てシャルルはマギナベルクでの日々を思い出す。
そんなに昔でもないはずなのに、なんだかすごく懐かしい感じがするなぁ。