第8目:次の街へ
これは正に一触即発。アキの手に武器はないけど、彼程の実力者ならばヨシアの初撃を凌ぐ合間に精製する事も可能だろう。血染めの聖天使を持ったアキが本気になったら、どちらの首が撥んでもおかしくはない。
こうなったらサキに頼んで……いや、ボク等が行動する前に二人が殺り合う方が早いだろう。むむむ、本格的に大変な事になってしまったよ。果たしてどうなる。
「いい眼ね、ヨシアちゃん。本気な貴方は最高に素敵よ」
「それが最期の言葉でいいザンスね? 短い間だったが、同じ釜の飯を食したよしみザンス。苦しむ暇も与えず、一瞬で終わらせてやる」
睨み合った二人の間に、痛いほどの殺気が満ちている。
勝敗の行方がどうなるか知りたいところではあるけれど、そんな事を言っている場合じゃなさそうだ。とは言え、ボクは只見ているしか出来ないけど。
「フフ、流石だわ。その凍て付いた殺気、しょぼくれた魔物の全てが色褪せちゃう」
不意に、ヨシアから立ち昇っていた妖気が霧消した。
「これだけでアタシはマ・ン・ゾ・ク。アタシに愛しい男と殺し合う趣味は無くってよ。その場の勢いだけで大切な者を殺すなんて、ただの快楽殺人者じゃない」
アキは肩を大袈裟にすくめ、何時もの妖艶な微笑を刷く。
それに合わせてヨシアも殺気を治め始めた。
どうやら危機的状況は間一髪の所で回避されたようだね。
「確かにこのままじゃちょっとねぇ〜。御化粧も直したいし、シャワーを浴びてくるわ」
ヨシアへと背を向けて、アキは片手をひらひらと振りながら歩き出した。
「最初から素直にそうしていろ。私は何時、貴様の首を落としても構わんザンスからね」
少しずつ遠ざかるアキの背中に吐き付けて、ヨシアも踵を返す。
アキのさり気無い告白は、意図的にスルーしているね。何にせよ一安心なのさ。
安心したら、全身から力が抜けていくじゃないか。
「メウ、随分疲れてるようだね。お疲れ様」
脱力して四肢を伸ばしたい放題にしていたボクを、サキは両手で掴んだ。
(今、下ろされても立てないなぁ)
そう思ったボクの心の声を悟ったかのように、サキはボクを両手に抱いてくれたよ。
何をせずとも理解された所から見て、蟲と猫って、考え方が似てるのかな。
「確かに疲れたよ。当分は眼も耳も使いたくないね」
「それがいいかもしれない。無理をし過ぎて良い事なんて、そんなに無いさ」
ボクの喉を指で擦りながら、サキは微笑んだ。
程好く触れる指の感触が気持ち良くて、思わず喉をゴロゴロ鳴らしてしまうよ。
しかしこんな笑顔を見せる人が、あのゲテモノ達を飼ってるなんてね。しかもアレ等を可愛いなんて言うんだから判らない。
彼の美的感覚とボクのそれが重なり合う事だけは、一生ないかもしれないな。
「サキ」
サキに抱かれて物思いに耽りつつ、脚をブラブラさせていたボクの耳に、ユウキの声が届いた。
超聴覚は使ってないから、サキにも聞こえている筈だよ。
「どうかしたかい?」
サキは僕を抱えたまま振り返る。
案の定、其処にはユウキが立っていた。右腕は元の細腕に戻っているよ。
「ユウキ、怪我はない?」
優しげな声音でサキが尋ねると、ユウキは無表情のまま肯定の形に首を振る。
「それなら良かった」
サキが微笑むと、ユウキは無言で右手を突き出してきた。
とは言っても別に攻撃してきた訳じゃない。
「これ」
ユウキはそれだけ言うと、硬く握っていた手を開く。
細い指の囲いが取り払われた手の中には、一枚の絆創膏が乗っていた。
「僕に?」
「怪我、してるもの」
感情の無い顔で、抑揚もなく言うと、ユウキはその絆創膏を掴んでサキの右手、爪の剥がれた人差し指に巻いていく。
「有り難う、ユウキ。その気持ちだけ貰っておくよ」
そうサキが言った矢先、巻いたばかりの絆創膏は捲れ、指から落ちてしまった。
まぁ、ダラダラ血が流れてるんだから、絆創膏程度の応急処置品など役に立たないだろう事は判ってたけどね。
「……」
ユウキは真心込めた(と思われる)絆創膏の落下を、無言で見送っている。
しかし次の瞬間、何を思ったか、突然サキの手を取った。お陰でボクはバランスを崩し、甲板へとジャンプする羽目になったよ。
そんなボクにはお構いなしに、ユウキは無表情のまま、血に濡れたサキの小指を口に含んだ。近代科学の治療術が敗れ去ったので、原始の治療法に切り替えたらしい。
これにはサキも驚いた様子。とてもラウルには見せられない光景だ。
「不味い」
呟きつつも、ユウキは口を放さない。
それに血相を変えたのは、サキの方だった。
「ユウキ、止めろ」
珍しく突き放すような言い方をして、サキはユウキの口から指を引き抜く。
サキの態度に第三者のボクがびっくりしたのに、当人のユウキは表情に変化がない。感情の動きが見受けられない凪いだ瞳を、サキに向けているだけ。
「僕の血も肉も相当不味いよ。無理はしなくていい。この程度なら自分でどうにか出来るし、深いようならトーコさんに診てもらうから」
自分の対応に気付いたのか、サキは少し困ったような顔をしている。
「僕はその気持ちだけで嬉しいよ」
普段よりも若干固めの笑顔をユウキへ向けて、サキは船内に向かい歩き始めた。
彼でもあんな表情をする事があるんだ。
「ほら、サキって体の中に蟲を持ってるだろ? それで血とかは危ないんだよ、きっと」
ボクは自分なりの推測をユウキに言ってみる。
一応、フォローのつもりなんだけど。
「別に、気にしてないから」
やはりというか、ユウキは無感情で無表情だ。
心の中は判らないけど、様子を見る限りでは本当に気にしてないように見える。余計な心配だったかな。
「優しいのね」
その瞬間、本当に一瞬の事だったけど、ユウキが微笑んだ。
これは先刻のサキ以上に珍しい事だよ。
あまりの事にボクが言葉を失っていると、ユウキはまた普段通りの無表情に戻り、この場から去って行った。
ボクが我に返った時には、近くにユウキの姿は無く、ボクは一人だけ。
このまま呆けてても仕方ないから、暇そうなキリエの傍へ行く事にしよう。
ラウルは熟睡、アキとサキは船内へ、ヨシアは砂海を眺めたまま、ユウキは散歩中。誰一人としてキリエの指令、飛石悪魔の遺骸回収を行っていない。
「お掃除、お掃除、るりるりら〜」
ただ一人、カーナだけは鼻歌混じりに従っているけれど。
と言っても、映像であるカーナが物体に触れる事は出来ない。そんな彼女の代わりに、艦備え付けの全自動清掃機が出動して魔物の残骸を一箇所に集めている。
巨大モップとでも呼ぶべき形状の清掃機達は、無駄口叩かず堅実に仕事をこなしていた。彼等の司令塔である筈のカーナは、デッキブラシ(勿論映像)を振り回しているだけだ。でもまぁ、彼等を動かしてるのが、そもそもカーナなんだけど。
そんな清掃活動を横目に見ながら、ボクは船首付近に居るキリエの隣へ立った。
「今日も見事な完勝だったね」
「へっ。この程度の野良モンスターなんざ、戦歴に含まねぇよ」
「言うじゃないか」
「ま、酒代ぐらいの稼ぎにゃなったがな」
キリエは雄大な自然のパノラマを眺めながら、薄く笑う。
それとなく確認してみたけれど、あれだけの戦闘をしておいてキリエには然程疲労している様子はない。毎度の事ながら、底無しのスタミナに恐れいるよ。
「あくまでオレ達の本命は遺跡だからな」
「これは予期せぬ前哨戦か。……そんなに良い物があるのかい?」
「あん?」
「シュヴァルトライテは帝国に襲われた後、全てを奪われたんだよ。目聡い帝国軍が、お宝を取りこぼしていくとは思えないけどね」
率直なボクの疑問に、キリエは前方を向いたまま口唇を吊り上げた。
得意気な、或いは勝ち誇ったような顔だ。
「それがあるのさ。飛びきりのお宝がな。そいつはオレの夢を叶える要になるのよ」
「夢? 思いつきと脊髄反射だけで生きてると思ったけど、君にそんな物があったのかい」
「オメェも言うじゃねぇか。大方間違いじゃねぇがな」
「認めるなよ」
「がははははは! ……夢だがなぁ、確かにあるぜ。特大のがよ」
両腕を組んでキリエが笑う。
その顔は今までに無いほど、逞しく見えた。
「何なのさ」
「すぐに教えてやる。だがまずは腹ごしらえだ。しっかり英気を養っとこうぜ」
そう言って不敵に笑うキリエの金瞳は、地平線の彼方に見え始めた街を映している。
今夜はあそこで一休みか。久しぶりに動かない景色の中に居られそうだ。ここはキリエの言うとおり、ゆっくり養生するとしよう。
これは猫の勘だけど、これから只事じゃない事が起きそうなのさ。
この物語はこれにて終了です。
一行の次なる冒険譚は、また機会があれば。