第6目:双剣と右腕と怪蟲と
アキが空中戦を行っている間、甲板の上では上空より襲来する飛石悪魔を相手に、ヨシア達が快進撃を続けていた。
ヨシアは黒鞘へ納められる二剣を抜き放ち、二刀流による剣舞で群がる魔獣を斬り伏せていく。彼が握るのは、纏う装束と同じ黒の刀身を持つ両刃の直刀。陽の光でも照らしきれず、照り返しさえ飲んで放さない漆黒の魔剣『鷲目の皇剣』と『英雄殺し』。
ヨシアが一度腕を振り下ろせば、黒い刃は魔物の皮膚を造作もなく裂き、筋肉諸共二枚に下ろす。横に払えば近付く魔獣の胴を裂き、内臓一式を無用物に変えた。
「フン、この程度」
高度を下げた飛石悪魔が、ヨシアへ近付くなり腕を突き出す。
彼がそれを紙一重で避けると、標的の顔面を貫き損ねた爪が、頬の真横数mm先を走った。
攻撃が命中せず上半身が前へのめる魔物を狙い、ヨシアは懐に潜り込む。そのまま右手を上方へ移動させ、滑らかに舞う黒刃が魔物の腕を上腕の部分から切断した。
飛石悪魔の口から苦悶の咆哮が上がる。それを耳に受けながら、ヨシアは左手を目線の高さで水平に薙いだ。刃は空と共に魔獣の首を裂き、それまで上がっていた咆哮を強制的に停止させる。
「遅いザンス」
腕と首を失ってくず折れる魔物の体を蹴り飛ばし、その後方から飛び掛ってきた魔獣へ、クロスした黒剣の斬撃を見舞った。
胸部にバツの字型の傷を刻まれ、長い悲鳴と共に魔獣は事切れる。
「見え見えザンスよ」
次いで左剣を回転させて逆手に持ち変え、自身の脇腹横にこれを通した。
剣は背後から迫っていた魔物の腹部に突き刺さり、攻撃を止めさせると共に、生命活動をも断ち斬る。
それと同時に右手の剣は斜め上方へ突き込み、羽を広げて降りてきた魔獣の喉下を刺し貫いた。右剣を振るって魔物の首を刎ね飛ばし、左剣を引いて血を払う。
「造剣魔法、第一式、降り注ぐは鋭き涙」
ヨシアは尚も両剣を振るいながら、必要最低限の単語に多量の魔韻を含ませて魔法を組み上げる高等発動式を以って、専用魔法を口ずさんだ。
詠唱の終了と共にヨシアの頭上へ三つの魔法陣が出現する。
魔法陣はそれぞれが回転を始め、それと共に明滅し、円形に並ぶ幾本もの剣を生み出した。剣陣の出現と共に法陣は粉々に砕け散り、後に残された剣が一斉に刃先を起こす。一連の動作を瞬く間に終えた剣群は、遥か天空へと凄まじい速度で飛んでいった。
その数秒後、空の彼方が鋭く光る。かと思えば、今し方飛んでいった剣が、数倍に増して降って来た。
それは正に剣の雨。夥しい数の剣が虚空の先より降り注ぎ、自在に空を舞っていた飛石悪魔の群へと襲い掛かる。
降りしきる剣は次々と魔物に突き刺さり、この直撃を受けた魔獣を大地へと叩き落していく。
あるものは羽を、あるものは腕を、あるものは脚を、あるものは胴を、あるものは首を、あるものは頭を、落下する剣に傷付けられ、貫かれ、次々と命を奪われていった。
降り止まぬ剣雨はヨシアの魔力が結晶化した存在。術者が敵と認識したものにだけ破壊の力を示し、それ以外のものには影響を与えない。剣達は役目を終えると順次消滅し、後には刺突傷をふんだんに盛られた飛石悪魔の亡骸を残すだけ。
「弱者が蹂躙されるのは道理。救いを求めるだけのモノが陵辱されるのも道理。牙を研ぎ澄まさず現状に甘んじるモノが滅び行くのも道理。弱き事は罪、罪を負うモノは死ね。それが此の世の掟ザンス」
もう動くことの無くなった遺骸の群へとヨシアは吐き捨てる。
黒衣の戦士は左右の手に握った両剣を翻し、更なる狩りの為、軽快に駆け出した。
果たしてその表情は、どこまでも冷たい。
魔法剣による苛烈な洗礼を受け、魔物の数は随分と減った。それでも残っている連中は戦意を失わず、寧ろ剥き出しの敵意を更に強めて襲い掛かってくる。
甲板の只中ではユウキが無表情のまま、魔性の集団を前に佇んでいた。そんな彼女へ爪で硝子を引っ掻いたような奇声を上げて、飛石悪魔の波が押し寄せる。ユウキは向かってくる異形の群を見上げるだけで、同じ場所から動こうとしない。
「『聖典』解放」
徐に右手を上げて、ユウキが呟く。
すると彼女の右腕に幾筋もの紅線が走った。
「『破壊の右腕』最速起動」
紅線は見る間に輝きを増し、ユウキの発した次の言葉を受け、眩い閃光を生む。
直視出来ない膨大な光量が、周辺一帯を白亜の世界に飲み込んだ。しかしそれは刹那の間。感じた瞬間には過ぎ去っており、網膜には元の世界が戻っている。
ただ一つ違うのは、ユウキの右腕が太く、ゴツク、漆黒で巨大な、異形の腕に変わっている事。それは常識的な生物の腕ではない。筋肉とも鱗ともつかない外殻で覆われ、五本の指は一本一本が長く鋭利。
世界最強の種族「超竜族」の腕に似ていなくもないけれど、やはり同じとは言えない。
しかしユウキを攻撃対象と定めたままの飛石悪魔は、異形の腕に怯えるでもなく獲物へと飛び掛ってきた。
ユウキはその姿を瞳に映し、問題の腕を真横に払う。
すると飛石悪魔の全身に五線が走り、次には線が切り口となって魔物の体を輪切りにした。更にそれは飛石悪魔の背後集団にも及び、ユウキの視界に入っていて、彼女に一定以上近付いていた連中を、バラバラに刻んでしまう。
ユウキが振るう今の右腕は、その名の通り破壊を司る恐るべき武器と化していた。
あれは魔法の類でなく、彼女の右腕に埋め込まれている超古代文明の遺物、失われた先鋭科学の結晶『聖典』の力による。
『聖典』自体はかなり小さい物体だ。
しかしこれはナノマシンと呼ばれる超極微細な機械群の集合体で、所有者が起動呪文を入力すると、活性化し量子展開を果たす。起動した『聖典』は夥しいナノマシンへと分解され、立体構造を自己形成し自己構築する事で、強力無比な兵器を完成させる。そうして生み出されたのがユウキの『破壊の右腕』だ。
あの腕は直接的攻撃力だけでも脅威だけど、攻勢ナノマシンの散布能力まで備わっているのさ。これは一定圏内の物体が有す分子結合を解き、あらゆるモノを瞬時に寸断するというもの。大量の魔物が一度に殺傷されたのも、これの力だ。
物質が物質たる根幹から打ち壊すのだから、あの腕に破壊出来ないものは、事実上この世界には存在しない。唯一の例外として、同じようなロストテクノロジーの遺産、攻勢ナノマシンの活動を妨げるプロテクトナノマシンならば効果を無力化出来るけれど。
それにしたって、昔の技術力は凄いもんだよね、全く。ボク等の技術じゃ模造品を作る事さえ到底叶わないんだから。
「消えて」
無表情、無感動に呟き、ユウキが右腕を振るう。
その度に彼女へ近付こうとする魔物達は面白いほど簡単に、驚くほど見事に快断された。
幾片に分解された魔獣の骸を目の当たりしても、ユウキは表情一つ変えず、感情の希薄な目で、襲い来る異形群を捉え続ける。
そんなユウキの正面を危険と見たのか、一匹の飛石悪魔が側方を迂回し彼女の後背へ回り込んだ。
腕は絶対無敵だけれど他の部分が一般人と大差ないユウキでは、飛石悪魔の速度を前にしては即座の対応が出来ず、背面からの接近を許してしまう。
「後ろ?」
彼女が敵固体の存在に気付いた時には、もう魔物は長爪を振り上げ、眼前にある褐色の柔肌へと腕を繰り出していた。
だが、鋭利な鉤爪がユウキを傷付けるより早く、飛石悪魔は後方へ吹き飛び、甲板へと背中から叩きつけられる。
魔物の攻撃を妨害し、ユウキから引き離したのは、3mはあろうかという長胴体をした異様な怪生物だった。
面妖なソイツは、頭部にある六つの角をドリルのように回転させ、頭を丸々魔物の腹部に食い込ませている。頭部を相手の体に埋めたまま押し続け、飛石悪魔を甲板に打ち付けて放さない。
「サキ」
ユウキがボク等の方に(正確にはサキだけへ)視線を向けてきた。
「あの蟲は『内臓喰い』といってね、特に不浄の生物が持つ臓物が大好物なんだ。頭部に具わっている角で相手の皮膚と筋肉を破り、頭を腹部に減り込ませて直接内臓を食い潰す。とても食い意地の張った子なんだよ」
サキはボクにそう言いながら、ユウキへと微笑みかける。
一方のユウキは表情筋を一切動かさず、直ぐに顔を背けてしまった。
「感謝の言葉もないみたいだね」
「思いを必ずしも言葉にする必要はないんだよ。言葉など使わなくても心を理解し、気持ちを知る事は出来る。僕とこの子達みたいにね」
サキは微笑を浮かべたまま、自身の足下から伸びている蟲の背を撫でる。
はてさて、ユウキはサキが小指の爪を失っている事に気付いたろうか?
異能の力を具えた異形の存在、それが蟲。
蟲は他の生物とは違い、他生命との交わりを一切廃し、独自の進化を遂げた種だ。その姿は総じておぞましく異容。一つの分野に特化した特異能力には凄まじいものがある。
蟲を愛で、蟲を知り、蟲の心を汲む、そんな風にして蟲を自在に操る事が出来る者を蟲毒使と呼ぶのさ。
サキもまた蟲毒使、彼が使う蟲は彼の血肉に巣食っている。つまりサキは自分の体そのものを蟲籠にしているんだ。
サキが飼う蟲は、彼の肉体の一部を依代として実体化し、その力を振るう。サキの体が包帯塗れなのは、自分で体を傷付け、血と肉を代価に蟲を呼び出すからなんだ。
内臓喰いは、尚も飛石悪魔の体に頭を突っ込んだまま、奇妙に節だらけの胴体をくねらせていた。その度に魔物が絶叫を上げ、その場から逃れようと暴れる。
しかし思い切り押さえ込まれている為か体は動かない。今この瞬間にも、あの魔獣は生きながらに内臓器官を貪られているのだろう。どれ程の痛みなのか、あまり想像はしたくないね。
「前だけ見ていたら危ないよ。君はもう少し広い視野を持たないと。メウが与えてくれる物を、最大限利用出来るようにならないとね」
サキはユウキへと笑いかけながら、右手に左手を添える。
すると左手で右の人差し指と中指の爪を剥がし、付け根から引き千切ると空に放った。
分離された爪は次の瞬間、細長い胴体と四枚の翅を持つ蜻蛉に似た蟲へ変化する。その蟲は直ぐ様ユウキ目掛けて飛んで行き、彼女の側方へ迫っていた飛石悪魔の脇を過ぎった。蟲が去った直後、魔物は腕、首、脚、胴と分断され、鮮血と共にくずれ落ちる。
羽ばたく蟲は更にユウキの周辺を舞い続け、ユウキへ近付こうとした魔物がその軌道に合わせて切り裂かれていった。
あれは確か羽蟲。彼等の翅は恐ろしく鋭い刃のような物で出来ていて、触れるものを容赦なく切り刻む。あの羽ばたきは剛剣の連斬と同じなんだ。
仄かに香る血臭に引き寄せられたのか、爪の失い三指から血を流すサキへと、別所より飛石悪魔の集団が襲い来る。その数は14。
獰猛で抑えを知らない害意を覗かせ、魔獣の群は飛来してきた。けれどサキは慌てず騒がず落ち着いて、健全な左手で自分の胸肉を抉り、毟り取る。
顔に若干の苦痛を刷いても直ぐに消し、千切った肉の塊を甲板へ落とした。
落下する肉は一瞬の間に形容を変え、全長にして5m強はある鈍色の百足となる。それが隙間なくサキを囲み、卵状の遮蔽物と化して外敵の攻撃を全て弾き返した。
何物よりも硬い頑強な外殻を持つ鋼殻蟲に護られながら、サキは傷付いた右手を左腕の前腕へ当て、肉の一部をこそぎ取る。
艶やかな血に濡れた肉片を上方へ投げると、鋼殻蟲は一部分だけ囲みを解いた。
生じた空白部より外界へ出た肉片はうねりながら、赤い外殻の長蟲へと変異を果たす。その蟲は甲板へ降り立つや口部から灼熱に燃える火炎を吐き出し、鋼殻蟲に群がっていた飛石悪魔を諸共に焼き尽くした。熱の吐息に襲われて炎上する魔物達は、見る間に命までも焦げつかせながら動きを止めていく。
「炎浄蟲。体内で可燃性物質を生成していて、常に高温の烈火を身に宿している。外敵にはこれを吐き付け、後に残った灰を主食とする蟲だよ。けれど普段はとても大人しく、人懐っこい子なんだ」
「例えそうだとしても、あまりお友達にはなりたくないね」
「それは残念」
ボク等が話している最中、鋼殻蟲の全身から淡い燐光が上がり始めた。
それと共に蟲の躯は透け始め、実体が希薄になっていく。
「僕の蟲達はとてもデリケードでね、外の空気は毒と同じなんだよ。だから彼等はこの世界に現れても、極短時間しか生きられない。脆くて儚い、それもまた蟲の運命だ」
サキは鋼殻蟲の剥き出しになっている腹部へ触れ、憂いの表情を浮かべたまま微笑んだ。その目には蟲への慈しみと愛情の念が湛えられている。
そのまま蟲の体は蒼白い無数の粒子と化して、音も無く消えてしまった。後には何も残らない。それは他の蟲も同様で、サキが呼び出した蟲は皆、微かな輝きとなり消えていく。最初から、其処には何も居なかったように。
後に残る魔物の屍骸だけが、彼等の存在を示す唯一の痕跡だった。