第3目:キリエの愉快な仲間達
両目を閉じて額に意識を集中するんだ。
目は閉じたままで、開けるようイメージする。
するとほら、両目を開けている時と同じ景色が見えてきた。これで準備は完了さ。
既に天眼は開いているよ。
よし、それじゃまずは艦の中央に位置している艦橋区を見てみよう。但しその中でなく、真上、吹き曝しの天蓋部をね。
狙った一点に焦点を合わせれば、それまで遠くにあった物が眼前にまで引き寄せられる。実際にボクは動いていないけど、天眼がボクの意識に呼応して自動的に遠近倍率を調整してくれたのさ。
拡大化した視野の中に、背中から薄茶羽毛の翼を生やす男が見えた。
ビンゴだね。彼は高い所が好きだから、きっと此処に居ると思ったよ。
ラウル・フォッケンマイヤー、25歳。身長184cm、この艦で一番の長身だ。
所々跳ねている緑色の髪に、糸のような細目、やる気の感じられない笑い顔と、軽薄が服を着ているような男さ。
そんなラウルが着ているのは神父の服で、首からは銀製のロザリオを提げている。けれど全然全くこれっぽっちも聖職者には見えないね。神に仕える者独特の敬謙さや信仰心なんか微塵も感じられないし、仕草のどれ一つ取っても礼儀・折り目・真面目さは零。
それもその筈、彼は恰好だけを真似したコスプレ神父なのさ。
神聖な要職である神父の衣姿を模倣しようなんていう性根から清らかさを著しく欠いているラウルは、愛用の長距離狙撃用大型ライフルを構えて、備え付けのスコープを覗き込んでいる。角度から考えて、見ているのはキリエみたいだ。まさかキリエを狙撃するなんて事は無いと思うけど、何してるのか。
ちょっと気になるから、ボク等に具わっている第二の能力を使うとしよう。その名も『超聴覚』だ。
天眼が遠方まで見通せるのに対し、超聴覚は一定圏内のどんな音をも聴き取る事が出来る。超聴覚を解放すれば、有効範囲内(天眼と同じ)のあらゆる音を鋭敏に聴き分け、ボクの望む音だけに狙いを絞って拾う事も可能なのさ。
ボク達猫知族は確かに非力だけど、こういう能力では誰にも負けないよ。
それでは天眼を開きながら、更に耳にも意識を集中させる。慣れていないと天眼・超聴覚の同時使用は難しいけれど、ボクに掛かればお手の物さ。
最初は複数の音が滅茶苦茶に混ざり合った酷い状態だけど、意識のフィルターを通して、その中から人の声だけを回収するんだ。少しずつ不必要な音を排除していき、最後に残った声へ更に集中する。
さあ、聞こえてきたよ。
「キリエはん、こらまたエライやる気やなぁ。迂闊に近付きよったら、敵味方の区別なくズンバラリンやわ。触らぬ神に崇りなし〜つるかめつるかめ」
ラウルはスコープ越しにキリエを見ながら、可笑しそうにニヤついている。
確かに、暴れ馬の如き猛犬と化したキリエには近付かない方がいい。そんな事は、この艦に乗っている全員(カーナ以外)が知っている事さ。
そうこうしている内に、ラウルはスコープから目を離して大きな欠伸をした。合わせて背中に生える大翼が広げられる。
ラウルは生まれながらに翼を持つ有翼飛族。
同種族は空を飛べる為に外界との接点が少ない高山に住み、殆ど世俗に関わる事は無い。彼等は独自の文化を築き、他種族に脅かされる事無く平安を生きている。だからか、揃いも揃って暢気で不真面目で、危機感の欠けた軽い奴ばかりなんだ。
飛石悪魔の群は艦に随分と接近しているけれど、ラウルときたら首を左右に曲げて骨を鳴らし、さっきから欠伸を繰り返すばかり。彼の腕前は知っているけれど、こんな姿を終始見ていると不安になってくる。
「はぁ〜メンドやな〜。キレーなネーちゃんが色気振りまいてワイを応援してくれるんならきあい、気合も入るっちゅうもんやけどなぁ。そうやないもんな〜。ダルダルやわ〜」
ようやく欠伸を終えたラウルは、再度スコープを覗き込みながら、ブツブツと文句を垂れ始める。
俗世と関わりが薄い種族のくせに、やけに俗っぽい考えだから困ったもんだ。
何時までもラウルを見ていたって仕方ない。と言うか、飽きたから他の所を見てみよう。まず天眼を使い人の姿を探し、超聴覚で声を拾うんだ。
今度見えたのは船尾付近。其処に二人の男が立っている。あれは、ヨシアとアキだね。
男の一方、身長177cmのすらりとした美丈夫。それがアキ・マリナだ。
首筋へ掛かる金の髪、夜を覗くような闇色の瞳、顔立ちは秀麗で、街中を歩けば十中八九、異性の目を惹くだろう。
黒を基調としたスーツを好んで着込む、外見年齢27歳。立ち居振る舞いには洗練された美しさがあり、全身にそこはかとない気品が漂っている。一見すると貴族か資産家の子息、或いはやり手の青年実業家という態だね。
だがしかし、彼は単なる美男子に終わらない。しなやかな指の先、両手の爪にはカラフルなマニキュアが塗られ、唇には真紅のルージュが潤いを与えている。
顔にはしつこくない程度に女物の化粧が施し、全身に塗布された香水は同性の欲情を刺激する為の物。所作の細部に女性的な動きを含み、浮かべられる笑みは妖艶。
体は男、心は女。それが彼、アキ・マリナなのさ。
「あらあら、カーナちゃんが騒いでるから何かと思えば。ウフフ、モンスターの御出ましって訳ね」
アキは唇に指を当て、オネェ口調でほくそ笑む。
彼はこの艦の中でも色々な意味で特異な存在だ。人生経験は豊富で、色んな修羅場を潜ってきたらしい。実力もかなりの物だし、これで意外に人望もある。とは言えこの性格だから、男性陣にはちょっと不人気だけどね。
「グータラしてるのも飽きちゃったし、丁度いい運動よねぇ。でしょ? ヨシアちゃん」
「私をちゃん付けで呼ぶなと何度言わせるザンス」
ウィンクと共に投げられた言葉へ、ヨシアは嫌悪感丸出しの冷声で応じた。
二人組みのもう一方、黒ずくめの男がヨシア・ベラヒオ。
年齢は二三歳、身長168cm。肩にまで及ぶ白髪と、切っ先のように鋭い銀色の瞳を持つ。
ヨシアの特徴その1、瞳孔はボク等猫科の動物と同じ縦長をしている。
全身には黒衣を纏い、手には黒のタクティカルグローブ、脚には黒い軍用ブーツと、首から下は黒一色だ。左右の腰へ提げている剣の鞘もこれまた黒。上から下まで黒で統一しているのが、ヨシアの特徴その2。
顔立ちは端整で凛々しく、若いながらに強靭な意志が見て取れる。隙の無い動作と、他者を寄せ付けない独特の雰囲気が合わさって、孤高の狼という印象だ。
「それから、それ以上1mmでも私に近付いたら殺すザンスよ」
このキツイ口調と語尾のザンスが、ヨシア第3の特徴さ。
ヨシアは冗談が全く通じないタイプでね、口にするのは全て本気の発言なんだ。だからアキへ突き込む視線には、言葉通りに明確な殺意が刷かれている。
「あ〜ん、イ・ケ・ズ」
そんなヨシアに対してアキは、隣人の発す愛想零の言葉に気を悪くするでもなく、自分の小指を銜えて腰をくねらせる。
傍目にはふざけているか、変態としか見えないけれど、本人は至って真面目なんだよ。これは彼独特の表現方法なのさ。些かオーバーアクションなのがアキ流でね。
「でも、そのストイックなトコが堪んないのよネ」
言いながら、アキは口の端を吊り上げて、より一層怪しげな視線をヨシアに向けた。その瞳には発情期を迎えた獣のような、危険な光が見える。
ヨシアはそれへ、氷点下の域に達した蔑みの目を返す。凪いだ両瞳は言外に「死ね」と言っていた。
アキの熱烈アプローチを、ヨシアが冷たく斬り捨てる。そんな二人のやりとりは、この艦の中じゃ日常事なのさ。ある意味、風物詩かな。
ヨシアはアキから視線を外し、徐々に近付いてくる魔獣の集団へ焦点を移した。平時に於いて感情の色が希薄な瞳には、細波のような戦意と押し殺した闘志が透けて見える。
常日頃から冷静冷淡なヨシアだけど、戦いを前にすると本能的戦闘意欲が目覚めるんだ。それは戦の民「黒夢族」としての特性、条件反射みたいなものなのさ。
生まれながらに戦う事を知り、高い身体能力と反射神経、動体視力、強い魔力を具えている種族、それが黒夢族。彼等は総じて優秀な戦士であり、魔導師であり、その本質は闘争にこそある。
その血を継ぐヨシアには、戦いを欲する本能が意識の深部に根付いているんだ。これの発露は彼個人の意思ではどうしようもない。
黒夢族にとって闘争本能の励起は、食欲や睡眠欲といった生命活動の継続維持に欠く事の出来ない根源欲求に似た性質のものだからね。
だが黒夢族は、自身の本能に支配されて闇雲に暴れ回る低劣な種族なんかじゃない。彼等は戦いを前にどうしようもなく昂ぶる内面を持ちながら、理知的にして理性的で、自身等の内に眠る衝動の操作術を心得ているのさ。
有り余る戦闘本能を持て余す事無く、これを意志の力で抑制し能力へと昇華する。それが飛石悪魔のような低俗な魔獣と、黒夢族が同列視されない理由だね。
当然ながら、その自己統制能力はヨシアにも具わっている。でなければ、アキはとっくの昔にヨシアの剣の錆だろうし。
「フン、あの手の魔獣には幾らかの賞金が掛かってるもんザンス。相当数の首を持って行けば、タダ働きにはならないザンスね。まぁ無駄な時間にはならないザンしょ」
湧き上がる衝動を傍目には判らぬうちに抑え込むヨシアの言葉は、普段通りの冷静なものだった。黒夢族の事を大して知らない者が見れば、別段変わった様子は無いように見えるだろう。それだけヨシアの姿は普通なんだよ。
表面上にはこれといった変化を見せないまま、ヨシアはボク達の居る船首部へと向かい歩き始めた。こっちと合流する為だろうね。
「あぁ〜ん、待ってぇ」
その後ろにはアキが―律儀にも一定間隔を保って―続く。
ヨシアが先行する形で会話も無く(ヨシアが拒む雰囲気全開にしているのさ)前進を続ける二人だけど、両者の表情には大きな違いがある。
平静そのもののヨシアに対して、アキの変化は著しい。どうやら彼の持つ二面性が顔を覗かせ始めたらしいね。
アキは口唇を上弦の形に裂きながら、クツクツと小さな笑声を零し始めた。両瞳には血に飢える獣に似た残忍で兇暴な光を宿し、全身から不気味な妖気を立ち昇らせている。
アキは歩きながら左右の掌を合わせた。かと思えば合わせた手を離す。すると、左掌から黒い長柄物が姿を見せ始めた。アキの十八番、精製魔法だ。
こうして生み出された物体は、離される手の距離に合わせて長さを増していく。その長さが肩幅を10cm程越えた所で、アキは右手を長柄物へ添え、これを左手側より一気に引き抜いた。
その瞬間、黒い粒子を蛍のように舞わせながら、半月状に歪曲した巨大な刃が現れる。
その正体は、長い柄の頭頂部に闇色の刃を備えた大鎌。死神が振るうような、身の丈程もある巨大な鎌だ。
これぞアキの得物、世界に一つ彼だけの完全専用武器『血染めの聖天使』さ。
アキは見た目からして重量感のある大鎌を、指だけで軽やかに回してみせる。夜闇を融かしたような巨刃は、一回り毎に生き物のような音を発した。それは苦悶の声のようで、はたまた死霊の雄叫びのようで、あまり聞き心地良いとは言えない。
けれどアキはうっとりとした表情でその音に聴き入り、恍惚の微笑を浮かべていた。