第二の英雄の家族(7)
次に何を言われるのか不安に思いながらロイクールが当主の言葉を待っていると、その緊張感が伝わったのか、彼は大きく息をついてから言った。
「まあ、そもそも一年の契約ならば問題なかろう。それに魔術師長も気付いているだろうからな」
「それは……」
ロイクールには分からない。
けれどそう答えることもできない。
自分の能力についても、忘却魔法についても、魔術師長にロイクールから説明したことはないのだ。
魔術師長は雑談が長いと言われているが、良くその時のことを思い出せば、内容は本当に雑談で、相手の情報を引き出すことはしていても本人の情報を相手にほとんど与えないらしい。
それを悟らせない会話術もすごいが、改めて考えると、魔術師長が何者でどういう人物なのかすらロイクールには知らないでここまでやってきたのだと思い至った。
もちろん仕事上の話はしているし、それで業務が滞ることもなかった。
さほど考えもしなかったが、比較的関わることの多い魔術師長という人物についてロイクールからすれば謎が多い。
イザークをうまく部屋の外に出すことに失敗したとはいえ、魔術師長ならばいくらでも力を行使できたはずだし、仮にもトップにいる人物なのだから、彼に目をかけているのなら、自分と同じように指導するなども可能だったはずだ。
特に表に出てからならば、魔術師長自らの指導は実現できたはずなのに、それをせず、ロイクールとイザークで訓練して構わないと、訓練場を手配してくれて、彼はそれを見守っているだけだった。
当主の言葉を聞いたロイクールが無言になっていると、彼はロイクールが何も知らないのだと察して言った。
「あれも騎士団長と言い合いをしていただけの馬鹿ではない。前線で戦った一人だ。化けるのが上手いからな。油断していると足元をすくわれる。今は利害が一致しているのだろうが、違える時は穏便に済ませた方がいい」
「承知いたしました」
確かにイザークの件では先輩に頼まれた自分と、魔術師長の利害は一致していた。
先輩は友人を思いロイクールの力を借りて彼にトラウマを克服してほしいと願っていたし、魔術師長は彼を次期魔術師長の席に据えたいから出てきてほしいと願っていた。
そしてロイクールは、王宮で自分に良くしてくれている先輩の力になりたいから力を貸すことにした。
この三人の目標は、誰のために行われるものかは違っていても、イザークを普通に働ける状態に戻すことという共通の認識で齟齬はない。
そして記憶管理ギルドの設立に関しても、魔術師長や王族たちには、かの大魔術師に忖度しなければならないという意識があり、それを形にする必要があった。
ロイクールは自分の師匠の思いを形にすることができるのなら協力してもいいと思った。
彼らはロイクールをクッションにすれば、かの大魔術師から自分たちが直接恨みを買うことはないだろうと考えてそうしたし、結果的にロイクールはこの采配で、形ばかりとはいえ地位を得ることができた。
ロイクールの方が都合よく使われているのは間違いないが、師匠と旅をしながら辛い記憶と戦う人をたくさん見てきたロイクールは、その魔法の悪用が阻止できるのなら、それくらいは構わないと考えた。
だから思いは違えど、すれ違うことはなかったのだ。
でももしこの先、大きな意見の相違があった場合、今までのようにいくかどうかは分からない。
おそらくその相違が起きた時が正念場で、正に当主のアドバイスの言葉の意味を自分が重い知る時なのだろう。
自分はまだまだだと当主の言葉を頭に刻んでいると、当主はいつの間にか窓の側にいた。
そしてその窓を大きく開け放つ。
「話は終わった。何もなかっただろう。戻ってよいぞ」
「はい。そのようで何よりでした。ではそちらに戻ります」
開いた窓からロイクールの姿を覗き込んで、彼が座ったままであることを確認すると、イザークは立ち上がり、すぐにテラスから部屋へと歩き出した。
彼らのやり取りで我に返ったロイクールは顔を上げ、彼の戻りを待つ。
するとほどなく、部屋にノックの音が響き、イザークが中へと入ってきた。
戻ってくるなりロイクールの横に立つなり頭を下げる。
「ロイクールさん、きちんと説明できていなくて申し訳ありませんでした。私たちの説明不足で不安な思いをさせてしまったと思います」
ミレニアも酷いが、自分もできていなかった。
当主が二人で話をさせてほしいと言い出すことは想定していなかったが、その前に、この面会がミレニアとの交際に関するものであることは伝えるべきだったと、テラスで一人になって、後悔の念が襲ってきたのだ。
しかもロイクールは何度もイザークに失礼はないか、問題はないかと確認してくれていた。
彼の対応に問題はないし、今も投手を見る限り機嫌を損ねた様子はないから何もなかっただろうが、それはロイクールの力量があったからこそだ。
イザークが頭を下げたため、ロイクールは驚いて立ち上がった。
貴族を立たせて平民の自分が座っているわけにはいかないし、彼は何も悪いことはしていないのだ。
「いえ、確かに想像していないことが起きましたが、謝罪を受けるようなことではありません。ですから頭を上げてください」
てっきり今回は興味本位で自分が呼ばれたと思っていた。
しかしミレニアからすれば自分の将来をかけた戦いの場だったらしい。
そして当主がイザークの件を感謝しながらも、その人間性を見極めようと探りを入れてきたことから、彼もまた、真剣にロイクールに向き合うつもりでいたことは明らかだ。
一方、招かれた側のロイクールはそこまで考えていなかったこともあり、準備も万全ではなかった。
そう考えると、ここまでしてくれた彼らに対し、自分の方が失礼だったのではないか。
そんなことを思いながら、ふとイザークが馬車で行っていた言葉を思い出して言った。
「あの、先ほども申し上げた通り、このような話とは思わなかったのですが、そう言えば準備をなさっていたというご夫人には、ご挨拶しなくてよかったのでしょうか?」
話が終わったことだし、退席した方がいいだろう。
これ以上、間に入っているイザークに気を使わせるのも申し訳ない。
ロイクールがそう言うと、歩きだす前に当主がそれを制止した。
「今回の判断は当主に任せられたものだ。それに先ほどのミレニアのように、男同士の話は聞いていても退屈らしいからな。正式に話がまとまったら紹介するつもりでいたのだ。すでに昼食を用意している。そこで紹介しよう」
話をしたらすぐに帰るつもりでいたが、食事まで用意されているらしい。
さらに申し訳なくなったロイクールがイザークを見ると、彼は微笑んでいるだけなので元よりそのつもりだったことが分かる。
もし断ればイザークの面子をつぶしてしまうだろう。
それならばこの誘いを断るわけにはいかない。
特に急ぎの用事もないのだ。
「恐れ入ります」
ロイクールは改めて当主の方に向き直ると、そう言って頭を下げるのだった。
そうして案内された食事の場で、当主の妻であり、イザークとミレニアの母である女性を紹介された。
彼女はミレニアの様子から彼らの話がまとまることを見越して準備をしていたらしい。
そして彼女はこの準備はギリギリまでミレニアも手伝ったのよと言いながら、ミレニアを立てつつ、ロイクールをもてなしてくれた。
当主はその席で特に多くを語ることはせず、妻の話に相槌を打つ程度、イザークは時折、自慢するかのように母親にロイクールの優秀さを語っている。
ロイクールは久々に見た温かい家庭の食卓の光景を眩しく思いながら、時々自分に振られる会話に対応した。
そこに身分の壁はなく、会食の時間は穏やかに流れた。
こうしてミレニアとイザークの家族に受け入れられ、その中に自分がいることを不思議に感じながらも、ロイクールは無事この訪問を終え、当主との面会を果たしたことに安堵するのだった。




