新たな出会いと課せられた任務(8)
イザークの姉が食堂でロイクールを驚かせた翌日、彼は朝食中のロイクールを見つけるとすぐに声をかけた。
イザークはロイクールのスケジュールをよく知らないが、彼はすぐに次の任務が入ると出かけてしまい、あまり寮にはいない。
遠出をすることになれば泊りがけで数日帰ってこない事もあるので、そうなる前に謝罪の意思があることを伝えておきたかった。
もともと昨日の彼は、終日休みだと聞いていた。
それならば寮に宿泊するので、翌日の朝は寮で食事を取るだろう。
そう考えたイザークは、ロイクールを食堂で待ち伏せしていたのだ。
「あの、昨日は姉が失礼しました」
立ったまま謝罪の言葉を口にした後、イザークはそれとなくロイクールの向かいの椅子に腰を下ろした。
そして食事は続けてくださいと伝えると、ロイクールは食事に手をつけながら、昨日のことを思い出して言った。
「いえ。それにしてもお二人は仲がよろしいのですね」
両親以外に家族のいなかったロイクールには分からない関係ではあるが、恋人とも友人とも違う、近しい間柄ならではのやり取りだという印象を受けていた。
何よりイザークが姉の言葉に翻弄されながらもきちんと意見を言っている姿に好感が持てた。
引きこもって騎士に怯えていた彼と、貴族としての堂々とした姿の彼と、訓練中に友として接してくれた彼しか知らない。
しかしどれも周囲に気を配ったものであったし、気安い会話ではなかった。
けれど姉との会話は違ったのだ。
あれがおそらく素の彼の姿なのだろう。
しかしイザークはロイクールの仲が良いという言葉に、違和感を覚えていた。
自分が引きこもっていたこともあり、直近でそういう感覚はなく、あの時はロイクールの前だから、久々にあのような話ができたというのが現実なのだ。
「あの事があってから距離を置いていましたが、元々仲は良かったんです。だからかもしれません」
「何がでしょう?」
「親しいからこそ過剰に期待してしまったんです。自分の苦しみを、両親なら、姉さんなら理解してくれるって。でもそれは叶わなかった……」
結局引きこもりをはロイクールが来るまで続けることになってしまった。
本当にあの苦しみを、苦しいものだと理解してくれたのはロイクールが初めてだった。
少なくとも自分はそう思っているのだとイザークは言った。
「あの後、ロイクールさんに言われた通り、姉と部屋で話をしたんです」
イザークは食堂では注目を集めてしまうからと姉を自室に招き、そこで話をした。
引きこもってからというもの、物の受け渡しくらいしか会話のなかった姉だが、姉にも言いたいことはたくさんあって、それを我慢してくれていたのだと改めて分かった。
自分にも言い分があったように、姉にも、そして両親にもそれぞれのいい分がある。
本当はそこで意見をぶつけられたらよかったのだが、傷心の自分に気を使って強くは言えなかったのだという。
でも家族だからどこかで分かり会えるだろうと思っていた。
自分も家族に迷惑をかけていると言うことは何となくわかっていたが、どの程度、心労をかけていたかまでは理解できていなかった。
両親とはまだ話せていないが、姉とはしっかりと話した。
そしてお互いの気遣いが間違った方に働いていたということに思い至ったのだ。
個人の考えていることなど予測することはできても、本当の気持ちは口にしなければ分からないし伝わらない。
もちろん口にしたことが全てではないかもしれないが、少なくとも自分の考えと大きく乖離していた場合、それをどこかですり合わせる必要があるのだ。
「そこで分かったんです。仲が良いから、親しいから理解してくれて当たり前、その考えが間違っていたんだと。自分が逆の立場になった時、本当に彼らのことを理解できるのかって、引きこもりから脱して、姉と話して、ようやく考えられるようになったんです。今更ですけどね」
両親の気持ちは姉から代弁されたものだ。
もちろん姉が偽りを述べているとは考えていないが、今回の件から、近いうちに両親とも直接会って話をする必要があると考えている。
多数の人と向き合うのはまだまだ難しいかもしれないけれど、まずは家族と向き合うところから始めるつもりだと彼が言うと、ロイクールは少しうつむいて言った。
「知らないより良かったのではないかと思います。あと、ゆっくり話ができたようでよかった……」
家族のいないロイクールにその機会は二度と訪れない。
けれど、そこについて妬む気持ちが生まれた訳ではない。
ほんの少し、後悔のようなものが芽生えただけだ。
それと同時に、自分が急に奪われた機会を彼が逃さずにいてくれるのなら、それでいいと思った。
「もちろんです。家族の思いを少しでも知れてよかったとは思います。ですが姉はロイクールさんと話をしたかったそうなので、少し悔しがっていました」
確かにそういう空気はあった。
だからこそロイクールはさっさと退席したのだ。
けれど自分が退席したことで家族の絆が深まったのならよかったのではないかと思ったのだが、彼の姉はそうではなかったらしい。
「それで……、また来るかもしれませんが、その時は私も同席しますので、どうか話だけでも聞いてやってもらえませんか?もちろん仕事を邪魔したり、先日のように突撃したりはしないよう、父を通して言ってもらいますので」
別に姉と弟で立場の強弱はない。
けれど今まで面倒をかけてきた弟は姉の言葉に弱いし、そんな姉は弟に頼られると弱い。
イザークは言葉で姉を言い負かすことは難しい。
イザークがお願いをすれば聞いてもらえるかもしれないが、姉には我儘を押し通す強さがあるので、この件に関しては、絶対的な権力のある父親に力を借りようとイザークは考えていた。
「父親を通してですか?」
その言葉に引っかかりを覚えたロイクールが聞き返すと、イザークは貴族の考え方から、ロイクールに分かるよう説明を始めた。
「はい。貴族社会では爵位を持っている者が絶対。私達はあくまで爵位をもつ貴族の子どもなので、うちではその地位を持つ父親が絶対的存在です。今回のことは姉に非がありますし、私から父親に報告します。しなかったらこっちにしわ寄せがきます。恩人に迷惑をかけてどうするのだと」
「そういうものなのですか……」
平民にそのような感覚はない。
確かに両親の言うことを聞かなければならないという感覚はあるが、それが絶対かと言われたら少し違う。
悪いことをした際に注意されることはあるけれど、一方的に命令されるということはない。
少し理解しがたいとロイクールが首を傾げていると、イザークはそれを見て苦笑いした。
「堅苦しいでしょう?責任を全て背負ってもらえるという恩恵もあるけれど、こういう窮屈な部分も多いのです。ですから姉も、弟である私の頼みごとより、父親からの注意や命令の方が聞くのですよ」
「それは何だか、叱られてしまうお姉様に申し訳なく思いますが……」
彼女に悪いことをしたという意識はなさそうだった。
大魔術師についていたことで、貴族にもそれなりに接してきたロイクールからすれば、彼女の行動は典型的な貴族令嬢のそれで、別に怒ったり不快に思ったりするようなものではなかったのだ。
それなのに、平民である自分のために彼女が注意を受けることになるのなら申し訳ない。
ロイクールがそう伝えると、イザークは首を横に振った。
「でも同じことをまたされても困ります。食堂を利用していた他の人たちにも少し睨まれましたし、せっかく出てこられるようになった私の肩身が狭くなってしまいます。ですが姉も話をしないと気が済まないと思いますので、そのような場をもうけさせていただいて、ご協力をお願いしなければなりません。申し訳ないどころか、むしろこちらがご足労をおかけすることになります」
謝ることはない、迷惑をかけるのはこちらなのだと、イザークに言われたロイクールに、面会を断るという選択肢はない。
ただ、自分は仕事でここにいないことが多い。
行き違いにならないためにも、調整は必要だろう。
「わかりました。事前にお話しいただければ……」
「はい。あと、次は応接室も予約しますので、今回のように食堂や廊下でということはないようにしますから安心してください。話が決まりましたらすぐに連絡します。その前にロイクールさんの予定を教えていただくことになると思いますのでお願いします」
彼もロイクールの事情を察して、予定は合わせると言っている。
しかも応接室まで予約をするというのだから、面会は決定事項だ。
しかしロイクールが用意するものは何もない。
呼ばれたらそこに足を運び、彼の姉の話し相手をすればいいだけだ。
ロイクールにとっては過去に何度か経験のあったことだが、それを知らないイザークは、気を使わせて申し訳ないと、頭を下げないまでも恐縮していたのだった。




