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忘却魔法の管理人  作者: まくのゆうき


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模擬戦とトラウマ(13)

「そう言われると複雑ですね。自分の記憶と言われれば大切ですけど、そこにあるものは……」


彼は唸りながらそう言った。

記憶は大切なもの、確かにそうだが、ロイクールの手にあるものがそうかと言われると悩ましい。

今ならその時に受けたであろう辛い記憶も許容できると思う。

けれど今が心穏やかなだけに、必要な情報がそこにないのなら、戻さない方がいいのではないかと思ってしまう自分がいるのも間違いないのだ。

現実的に考えれば、戻さなければ相手の騎士の記憶がない状態のままになるので、生活に支障をきたす。

人と関わらず、これからも引きこもって生きて行くのなら問題ないが、ここまで派手にやった以上、表に出ないわけにはいかないのだ。


「確かにこの記憶はあなたにとって辛いものだと思います。でも、こうして抜き取ったとしてもいつかは、どんなに遅くても最期は、あなたの中に戻っていくものなのです」


最期、人間の魂が天に還る時、記憶の糸は魂と一緒に天に召される。

その先のことは分からないが、きっとそこで一つになって、魂も記憶も浄化されるのだろうと師匠は言っていた。

そのことを彼に伝えると、彼は少し天を仰ぎみてからその記憶の糸に再び目を移した。


「そうなのですか。それにしても自分の記憶をこんな形で見ることができるなんて不思議な気分です。それに、こうしてみると、輝いていてきれいなんですね。自分を苦しめていた記憶のはずなのに、その記憶の糸はきれいに見えるなんて皮肉なものです」


糸は光り輝いてきれいだ。

でもその中にはおぞましい記憶がある。

まるでメッキに覆われて汚い部分を隠された装飾品のようだなと彼は思ったが、ロイクールはそれは少し違うと説明する。


「記憶は本来、一つに繋がっているものです。だからあなたの中にあるものも、こうして切り取られたものも、一本の糸のようなもの。それを魔法で切り出したのですから、この糸の色も太さも、あなたの紡いだものですよ。あなたの中に残っている記憶も同じ輝きを放っているんです」

「こんなにきれいなものなら、そして今なら、受け入れられる気がします」


彼が覚悟を決めてそう言うとロイクールはうなずいた。


「では戻してもいいですか」

「はい。お願いします」



彼がベッドに横になったので、ロイクールは忘却魔法を使用した。

今度は記憶の糸を、記憶の混濁や消失が残らないよう丁寧に戻していく。

記憶の糸は片方の端を繋ぎ合わせると、その糸に引っ張られて彼の体の中に戻っていった。そしてもう一方の端と戻っていく記憶の末端も繋げば、それはきれいに体の中に吸い込まれていった。

あとは彼の記憶が馴染んで落ち着くのを確認するだけだ。

とりあえず自分の役目は終わった。

ロイクールは彼が目を開けるのを、近くの椅子に座り見守るのだった。



「それにしても君は、ロイクールさんはすごい人だな。こんなことができるなんて」


記憶の糸を戻し、ぼんやりとした意識が鮮明になってきたのか、彼ははっきりとそう口にした。


「だけど気分のいいものではないでしょう。記憶を他人に覗かれるなんて」


ロイクールがそう言うと彼は大きく首を横に振ってその言葉を否定した。


「それは確かに闇雲に覗かれたらそうだけど、君は私の辛い記憶だけを一時的に忘れさせてくれた。しかもピンポイントだ。それって、前後含めて、私の辛い記憶と向き合ってくれたってことだろう?今まで誰もわかってくれなかったんだ。どんなに辛くても、苦しくても、そう訴えても。でも君がその部分の記憶を忘れさせてくれたってことは、このことが、私にとって辛いことだったって理解してくれたってことだろう?今はそれが一番嬉しい。ありがとう。私が前に進めるのは君のおかげだ!」


彼が今までどんなに辛いと訴えても、それはお前が弱いからだと言われたり、そんなことはたいしたことではないと取りあってもらえなかったし、周囲はそのうち何とかなるだろうと傍観するだけだった。

辛い感情、その記憶について誰にも理解してもらえない中、ロイクールが自分の記憶の一番辛い部分を取り除いてくれた。

それだけで自分が辛い思いをしているということを認識し受け入れてくれる人が現れたと感じることができたのだ。

そこに忘却魔法を用いてロイクールが背中を押してくれたから、その記憶を見て背負ってくれたから、理解してくれたから、そういう人もいるのだと信じられるようになった。

記憶が戻った今、改めて向き合っても、やはり目をそむけたくなる記憶ではある。

けれど記憶のない間に、その記憶を受け入れられるだけのものを多く手に入れることができた。

これから先、忘却魔法を使うかは別としても、ロイクールなら自分の辛い記憶を否定しないでくれるだろうし、今の自分ならよほどのことがない限り、心折れることなく生活できる。

今回の経験が自分を大きくしてくれたのは間違いない。

だから彼からすればロイクールには感謝しかない。



あの時、本当は忘却魔法を使う前、彼が自分から話ができるようになっていた時点で、彼の中でその記憶は少し消化できる可能性があったとロイクールは感じていた。

ずっと一人だったから、引きこもっていたから、口に出す事もできなかったから、自分と向き合ってくれると信じられる相手がいなかったから、そしてずっとその事に囚われていたから、出口を見つけられずに苦しまなければならなかった。

でも忘却魔法の話がなかったら、実際に記憶を残したまま消化しようとしたら、もっと長い時間を必要としたかもしれない。

だからこそ彼の言葉を聞いてロイクールは安堵した。

提案し実行しながらも、師匠のようにうまくできるかどうか常に不安はあったのだ。

戻すのが早すぎるのではないか、本当に戻して大丈夫なのか、もう少し落ち着いてからの方がいいのではないか、彼の前で不安な顔をするわけにはいかないので表には出さなかったが、そんな考えが常に頭の中にあった。

しかし、模擬戦の勝利によって自信が持てるようになり、記憶を戻した今、彼の表情は非常に穏やかなものだった。

そして感謝の言葉をロイクールにかけてくる。

つまりそれは彼が過去の記憶を受け入れられるようになったということだ。

そしてこれは、ロイクールが初めて自分の意思で人間に忘却魔法を使い、感謝される出来事になったのだった。

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