模擬戦とトラウマ(12)
騎士との模擬戦に勝利した彼は魔術師の中の第二の英雄のようになった。
もちろん第一の英雄はロイクールのままだが、騎士に立ち向かえる人間が増えた事は、今までやられっぱなしだった魔術師たちの希望となっていた。
戦った本人は、未だに実感が湧かないらしいが、まぎれもなく、この勝利は彼の力で勝ち取ったものだ。
訓練には付き合ったが、当日、ロイクールは戦いにおいて何もサポートしていない。
それはとても喜ばしいことだが、その感情に浸っている場合ではない。
その前にやらなければならない事がある。
ロイクールは戦いを終えた彼の元に急いだ。
「あの……、お疲れのところお話するのは申し訳ないのですが」
彼が訓練場から客席を避けて外に出ていこうとすることが分かっていたロイクールは、先輩をおいてそちらに先回りした。
彼もロイクールが来た理由をすぐに理解したようで、それを小声で伝える。
「わかっています。多くの方に声をかけられる前に、ですね」
「はい」
「では、一度部屋に戻るようにしましょう。皆が話しかかけてくるようなら、少し休んでからにしたいと言って断ります」
「その方がいいと思います」
彼が退場しても観客席は勝利の余韻を残しているのか、その場で魔術師たちが興奮冷めやらぬ様子で語らい合っている。
けれど次に彼がそんな魔術師たちの前に姿を見せたら間違いなく囲まれてしまう。
そうなる前に彼の記憶を戻しておきたい。
そうしなければ会話がかみ合わなくなってしまう可能性が高いからだ。
「あの、戻した後はどのくらいで動けるようになるものなのでしょう?」
「人にもよりますが、そんなにかからないと思います。戻す事より、感情を整える方に時間がかかると思いますが……」
小動物なら数分もかからなかった。
ただそれは練習のためにほんの一部しか抜いていないからかもしれない。
今回は抜いた記憶の量が練習より多い。
人間の記憶ということもあり、情報量も桁違いだ。
師匠についていた時、忘却魔法を行使された人を見ているので、普通に話せるようになるのにそんなに時間はかかっていなかったことは知っている。
ただ、その記憶を受けきれずに少し混乱してパニックを起こしかける人がいるのも知っている。
パニックを起こしていても体は動くのだ。
だからロイクールは体は動くが感情の整理の方が大変だと彼に伝えたのだ。
「なるほど。混乱した状態が見られなければすぐにでも動けると。もし私の頭の中が混乱したままでも、それを見せずに対応できるのなら問題ないということですね」
彼はその言葉の意味を正確に捉えていた。
けれど貴族として感情を隠して人前に出るのは慣れているので、さほど問題ないという。
「すぐに皆と話すつもりですか?」
せっかく部屋に戻ったのだからこのまま出ていかなければここでゆっくりできるはずだ。
辛い記憶を受け入れる時間だって十分取れる。
それなのに、早い時間にあえて人前に出て行くのだという。
ロイクールが驚いていると彼は笑みを浮かべた。
「この熱が冷める前に顔を出すのが良いですね。ですがまさか、こんなに皆が喜んでくれるとは思っていなかったから、少し驚いてます」
自分に声をかけてくれているのは同情や罪悪感からだろう、そう思っていた。
仕事を人の倍以上こなしているかもしれないが、仕事場に行かないで必要なものを運ばせたりしていたので、同じ仕事をしている魔術師には手間も苦労もかけていた。
それは分かっていたので、自分の苦しみを理解できていないのだから、こうした手間をかけさせることも自分のわがままと取られているだろうと考えていたのだ。
けれど観客席の歓声や、彼らが泣いて喜ぶ姿を見て、あの場を後にしながら、少し心に温かいものが流れ込んでくるのを感じていた。
彼らは本当に心配してくれていたのかもしれない。
自分は彼らの希望になれたのかもしれない。
そして今の自分なら、ロイクールまでとはいかなくとも、彼らを守ることもできるかもしれない。
模擬戦の勝利と彼らの喜んだ姿は彼に希望を与えるのに充分なものだった。
だからこそ、この良い流れを加速させるべきだ。
そのために自分はその場にいなければならない。
彼が、彼らに希望を持たせる仕事が残っているから、そう説明すると、ロイクールは黙ってうなずいた。
ロイクールは何とか人に会うこともなく部屋についたことに安堵しながら、彼の希望から早く記憶を戻すため、休憩することなく、彼にベッドに横になるよう言った。
作業をするのは自分で、彼は横になってぼんやりしていてもらうだけでいいのだから、ちょうどいいと判断したのだ。
彼もそれを了承したので、早速、保管していた記憶の糸を取り出した。
そしてそれを見てふとロイクールはつぶやいた。
「そういえば、見せていませんでしたね」
「何をですか?」
邪魔になるマントなどを外し、ベッドに横になろうと腰を下ろしたところだった彼は、座った状態でロイクールを見た。
「あなたの記憶です」
「私の記憶?」
「これです」
ロイクールが彼の前に糸を乗せた手を差し出した。
彼が前のめりになってロイクールの手元を見ると、そこには淡い光を放つ細くてきれいな糸があった。
そしてその糸は彼に近付けられたせいか、その先が持ち塗りの元へ戻ろうとして浮き上がる。
「これは……?」
きれいな糸が意思を持っているかのように、自分の方にふわふわと向かってこようとしていることに気が付いて、彼はその先をじっと見た。
「これが、あなたの現在失っている記憶になります」
「これが……私の記憶?細い糸のようですね」
「はい。乱暴に扱えば簡単に切れます」
今も勝手に戻って彼の記憶の繋がりがおかしくならないよう、ロイクールは手のひらに乗せながらもきちんと反対の手で記憶の糸を押さえていた。
ロイクールからすれば、変につかんで引っ張られてしまうと切れてしまうからそうしていたのだが、彼はそれすらも嬉しく感じた。
手のひらで包むように扱われている自分の記憶、それが苦しんでいた自分を丁寧に扱ってくれたロイクールと重なる。
そして基本的に彼はこういう人なのだろうと認識した。
「それをこうして大切に持っていてくれたんですね」
彼が思わずそう言うと、ロイクールは首を傾げた。
「記憶は大切なものでしょう?」
本当は全て自分の中になければならない記憶の一部、それが記憶の糸だ。
目には見えない部分だが、これは本人の一部で、いずれ本人に返すものなのだから大切に扱うよう師匠にも厳しく言われてきた。
身体なら怪我などで体の一部分が悪くなった、治すことはできないと切り取ることがある。
同時に治る可能性があるから一時預かるといった場合もある。
その場合、その部分を治して再び体にくっつけることになるので、その接合部はできるだけきれいな方が良い。
その方が治癒魔法が利きやすい上、魔術師の魔力消費量も少なくて済む。
つまり良い状態であればあるほど、治療できる魔術師も増えるから、治る可能性も上がるのだ。
そして最後は本人の自然治癒力がものを言う。
どんなに治癒魔法を行使しても、本人に治す意思がなかったり、治ろうとする力が足りなかったりすれば、効果は落ちてしまうし、一度は良くなってもまた悪くなってしまうのだ。
師匠はそれと同じだと言っていた。
ただ記憶というのは目に見えないものだし、忘却魔法で糸の記憶を書き換えることはできないから、本人が自力で治せる環境を整えられるまで悪い部分が広がらないよう預かるだけ。
そして環境が整った時、預かった記憶をきれいな状態で返してあげれば、後は本人が自分の力で何とかする。
そもそも本来はこうして取りださなくても何とかできるものだし、他人が勝手に彼らの中にある歴史を書き換えようとするのは愚かなことなのだ。
そこに干渉するのだから最大限大切に扱うべきものだとも師匠は言った。
だからロイクールはその教えを守っていた。
本当はそれだけだったのだ。
だから彼に自分を大事に扱ってくれたと感謝され、ロイクールは少し後ろめたく感じるのだった。




