模擬戦とトラウマ(4)
彼によって空高く打ち上げられた水球は、どこかで自然崩壊したのだろう。
ロイクールの予測通り、訓練場には急に大量の雨のようなものが落ちてきた。
幸い塊で落ちてくることはなく、上空の空気で凍ったものが落ちてくることもなかった。
ただその量と範囲を見る限り、大きさだけではなくそれなりの威力のあるものになりそうだ。
もし明るい時に打ち上げていたら、空を飛ぶ鳥が何羽か、雨とともに落ちてきていたことだろう。
屋根や地面にたたきつける水音が、その量の多さを物語っている。
二人で屋根のある観覧席で水の降ってくる様子を見ていると、少し離れた場所から声を掛けられた。
「やっているようだな」
「魔術師長」
彼は人が来ることを想定していなかったのか体をこわばらせた。
幸い離れたところから声を掛けてくれているので、ロイクールは自分が魔術師長のところへ行ってくると伝えて彼のそばから離れた。
彼はあれだけの魔力を放ったにもかかわらず、無意識からなのか防御魔法を強化しているので、魔力はまだ残っているようだと、彼に目を配りながら魔術師長のところに向かうのだった。
「訓練場の使用許可、ありがとうございます。おかげで気兼ねなく攻撃魔法の練習を行うことができます」
「そうか」
土砂降りの雨のようなものは降り止んだが、訓練場とその周囲は水浸しだ。
もし近くを通った人がいたら申し訳ないけれど、訓練だから仕方がないし、夜にこんなところを歩いている人はむしろ不審者だから気にする事もないかもしれない。
「今日は初日ですし、すでに水魔法を発動していますけど、これから何かに向けて撃つ予定はありません」
「すでに空に向かって水魔法を放出したようだが、今日の訓練では加減を覚えるということだな」
「はい。部屋を出る時から防御魔法は発動しているので、攻撃魔法の練習がメインです。これからもそうなると思います。彼がどのくらい強い魔法を発動するのかを知りたかったので、本当なら自分に向かって打ってもらう予定でしたが、それは本人に拒否されました」
深夜の空中を飛んでいるものはいないと説明して、ようやく強いものを打ってもらった事を説明すると、魔術師長は渋い顔をした。
何となくだが、ロイクールがこの訓練場を破壊するのもやぶさかではないと思っている事を肌で感じたのだ。
「的は必要か?」
魔術師長が的は用意するから施設は破壊しないでほしいと願いを込めてそう言うと、ロイクールは首を横に振った。
「本人は的に向かって撃ちたいと言っていますが、たぶん必要ないです」
「なぜだ?加減できるようになっても当たらなければ意味がないだろう」
近付かれるのが怖いのだから、相手を早くノックアウトするべきだと魔術師長は言うが、彼にそれは無理だとロイクールは判断していた。
「相手がここにいる騎士なら、打てば当たります。騎士団長でしたら難しいかもしれませんが、基本的にこちらの能力を低く見ている騎士たちが、こちらの攻撃を警戒して攻撃してくる事はないでしょう。なので近距離で打つことになると思います」
「なるほどな。あの様子だと、彼は打つのに躊躇しそうだ。結果、発動できる状態で躊躇い、意図しなくとも引きつけたところで打つことになりそうだな」
「おっしゃる通りです」
そうすると、一つ大きな問題が残る。
魔術師長はその問題についてどう考えているのかロイクールに尋ねることにした。
「人間相手に最後まで打てないという可能性もあるが、どうだ?」
その質問を想定していたロイクールは、先の事は分からないとしながらも、メインはその練習になるだろうと正直に答えた。
「そうですね。その恐怖を軽減するために訓練しているのですが、解消されるかは分かりません。ですから期限までに人に向かって打てるようになるためには、的の工程を飛ばして、私に向かって打てるようになってもらう必要があります。ですがそれは難しいでしょう」
敵にすら攻撃魔法を向けられないのだから、味方であるロイクールにそれを向けるのはもっと恐ろしいと思っているに違いない。
彼が自分を数少ない味方だと思ってくれているのならなおさらだ。
彼は味方だと思っていた人物から、悪意はなくとも裏切りを受けている。
それもあって、今、味方を失う事を、他の人を攻撃する以上に恐れるはずだ。
「今回の模擬戦は外を歩くのに自信を持たせるためのものだから、勝敗はどうあれ、よい結果になれば構わないのだがな」
魔術師長がもっと気楽に考えろとロイクールに言うと、ロイクールはそれを受け入れた。
「彼に関してはそうですね」
そもそもロイクールが頼まれていたのは、彼が部屋から出られるようにすることだ。
周囲を気にすることなく外を歩けるようになることは、あくまでおまけにすぎない。
けれど出られるようになってすぐに、何かのきっかけで引きこもった場合、重症化してしまう可能性が高い。
再発防止をした方がいい。
何より、彼自身、何一つとして悪い事はしていないのだ。
堂々と太陽の下を歩く権利は彼にこそある。
「前に聞いた話なら、他の魔術師を鍛えてやっても同じ結果になるだろう。彼が重症なだけで、他の魔術師も同じようなトラウマを抱えているのだからな」
「それは今回失敗した時に考えればいいでしょう」
そもそも失敗させるつもりはない。
失敗しそうなら延期を申し出るだけだ。
魔術師長には言えないが、彼から記憶まで預かっているのだ。
一発で成功させなければ、傷が広がってしまう。
「この件が終わったら、別の魔術師の指導も頼めるか」
まだこの件が成功してもいないのに気の早い事を言い出すなとロイクールは思いながらも、少し考えてから言った。
「そうですね。でも指導は魔術師長が行った方が、魔術師たちの士気は上がると思います。それに新人が指導をするのは、あまり外聞がよくないでしょう。今回は特例で、彼は私の護衛がなければ外を怖くて歩けないという理由が成立します」
王宮魔術師も王宮騎士団も所属者は貴族が多い。
平民の自分に教わる事に拒否反応を示す者も多いだろう。
ロイクールは師匠に言われた面倒な貴族の体面の事を思い出したのだ。
「その考え方は、かの大魔術師から得たものか?」
すぐに大魔術師はそれを察して確認する。
「はい。私は平民で、集落ごと失った戦争孤児です。ですから地位を気にする事はありません。ですが貴族は細かい爵位などもあって、外聞を気にする。能力向上だけではなく、周囲が納得できる案を提示できるようにと鍛えられました」
「だが、今まで貴族と話す機会などあまりなかったのではないか?」
かの大魔術師が王宮に戻るまで、彼が貴族と接した記録はほとんどない。
大魔術師の陰に隠れてしまっただけかもしれないが、それでもかの大魔術師が付いている以上、ロイクールが直接貴族と会話を交わす機会などほとんどなかったはずだ。
それなのにどこでそんな話術を練習したのかと不思議そうに尋ねられたため、ロイクールは師匠がどうやって自分を鍛えたのか説明することになった。
「貴族の方との話で失敗するわけにはいかないので、練習は旅の最中に出会った方々の仲裁で行いました。相手が平民なので、仲裁の練習に利用して穏便に収められなくても、こちらが何かされる事はないですし、平民の荒事の最後は、暴力でという場合が多いので、それで負ける事はありませんでしたし……」
「……なるほどな」
旅をしながら過ごしていた彼らにしかできないことだ。
きっとかの大魔術師は、弟子を鍛えるために荒くれ者の集まりそうな店にも連れて行ったのだろう。
そしてロイクールは話術だけではなく、攻撃魔法の性能もそこで鍛えたに違いない。
先に危ないことがわかれば仲介に入れて、攻撃をやりすぎたら治癒魔法を使える者が側にいるのだ。
特殊な環境だが、そんな環境だからこそ、このロイクールという規格外の人間が育ったのかもしれないと魔術師長は密かに感心していたのだった。




