模擬戦とトラウマ(1)
仕事を終えたロイクールは、その足で彼の部屋へと向かった。
まず、魔術師長から訓練の許可が降りたこと、残念ながらまだ廊下や食堂は人が多く、今出てくると確実に人に出くわすため、それが落ち着いたのを見計らって出たほうがいいということを伝えた。
「わかりました。私はいつ声がかかっても出られる状態で待機しておきます」
外の状況を伝えると、彼は納得できたと言葉を返した。
「お願いします。ですが、今から防御魔法を使う必要はありません。その魔力は訓練のために温存してください。防御魔法を発動する時間くらい外で待ちますから」
「ありがとうございます。お言葉に甘えます」
待ち時間の魔力消費は無駄でしかない。
その分を攻撃魔法の練習に使った方がいいし、訓練場の往復の防御魔法の使用だけで練習ができなくなっては意味がない。
もちろん、引きこもりの彼が魔術師長の部屋まで行くのが精一杯だったにもかかわらず、トラウマのきっかけになった訓練場に行けるようになるのは大きな進歩だ。
でも目指しているのはその先で、忘却魔法まで使用している以上、できるだけ早く本来の目的である攻撃魔法の訓練を進めるのが正しいだろう。
「では、様子を見て、再度お訪ねします。よろしくお願いします」
ロイクールはまたくると告げて一度部屋の前から立ち去ったのだった。
数時間後、廊下と食堂の様子を見てからロイクールは再び彼の元を訪ねた。
「食堂も廊下も人が減りました。裏から出れば人には会わないで済むかと思います」
「裏ですか?」
「非常口です」
「ああ、そういえば、そんなものがありましたね……」
一番人が使用しなそうな経路だとロイクールが言うと、言われるまで忘れていたと彼は答えた。
ロイクールはもちろん使う事はないが、彼も使用した事はないという。
本来緊急時に使用する出入口なのだから当然だ。
ロイクールも非常口は扉を開けただけでそこから外に出たわけではなかった。
ただ、開けて外を見る限り、ちょうど正面玄関からは真裏に場所に出るようで、そこに人の気配がない事は確認できている。
「あの、あとひとつ、出る前にお尋ねしたいのですが……」
「何でしょう?」
「お腹は空いていませんか?」
彼はロイクールの質問に少しの間言葉を失った。
言葉が足りなかったのだと気が付いたロイクールが慌てて説明を加えた。
「いつもは食堂の残りがここに置かれると聞いています。ですがそれは食堂の業務が全て終わってからでしょう。そうなると、残っているのかどうかも不明、来るかすら分からない食事を受け取るために外に出ないということになってしまいます。受け取れなかった場合、食事を抜くことになってしまうのではないかと思ったので」
その言葉を聞いた彼は、質問の意味を理解してすぐに今の腹具合を伝えた。
「……なるほど。ご心配には及びません。部屋にあるものを食べて夕食としましたから」
「そうでしたか。一応パンに具を挟んだものを持ってきたのですが、不要でしたね」
「そこまで気にしてくださったのですか?」
「ええ。空腹の状態で魔法の訓練は危険でしょう。魔力がなくなれば、体力だけで対応しなければならないのですから、腹ごしらえをしっかりとして、体力を残しておくべきですし」
お腹をすかせているかもしれない自分のために、わざわざ軽食を用意してくれたということに驚いたのか、それが嬉しかったのか、ドアの向こうから彼の弾んだ声が返ってきた。
「ありがとうございます。わりと部屋に貯め込んでいますから大丈夫です。出られるようにする準備するという話は、腹ごしらえも準備のひとつと捉えていましたから。でも訓練したらお腹がすくかもしれません。久々の課外活動ですから」
せっかく作ってくれたものだ。
今だって腹八分目くらいなので、きっと訓練後はお腹がすくだろう。
是非彼の手作りの軽食をいただきたいと彼は言った。
「わかりました。今なら人はいません。あとは訓練場に向かいながら話しましょう」
「そうですね」
「では行きましょう」
「はい。話をしている間に防御魔法の発動も終わりました。ドアを開けます」
彼は話をしながら部屋の中で防御魔法を発動させていたらしい。
開けますという宣言の通り、彼はすぐにドアを開けた。
そこにはやはり過剰な防御魔法をかけた彼の姿があるのだった。
二人は人のいない間に非常口まで廊下を移動し、そこから外へと出た。
そして誰もいない道を訓練場に向かって歩いていく。
「本当に誰もいないですね。ありがたいですが、これはこれで少し怖いです」
「周囲が暗いので恐怖心を持つのは当然です。ですが、ここは管理された敷地内ですから、そんなに危険はないと思います」
彼は移動しながら、人に会う以外の恐怖を訴えたが、ロイクールはそれを一蹴する。
ロイクールはかの大魔術師との旅で、幾度となく野宿を強いられた。
歩いている時も、食事をしている時も、寝ている時も警戒を怠ることはできず、肌で危険を感じられる状態でなければならなかったのだ。
それが当たり前だったからこそ、寮の中でも気持ち防御魔法を発動させていたし、騎士たちの不意打ちにも対応できた。
確かにここに来てから、安全な生活に慣れてきてしまっている事もあり、勘が鈍っているかもしれないが、警戒しながら歩けば、さほど問題はないと思っている。
けれど彼は違うのだ。
彼にとっては部屋を一歩出たらそこは敵がいつ現れるか分からない外で、警戒しているからこそ恐怖が倍増してしまっている。
そして彼の感覚は、ロイクールが家から離れられなかった時に似ている。
ロイクールは少し懐かしく思いながらも、彼にそれを悟られないように危険はないと伝えた。
さすがにいい大人を幼い子供時代の自分と一緒にされたら気分が悪いだろうと思ったのだ。
「そうですよね……」
ロイクールが気にし過ぎて少し言い方が冷たくなってしまったのか、彼は落ち込んだように言った。
「とりあえず訓練場まで行きましょう。これが旅だったら足を止める方が危険です。それに訓練場の中に入ってしまえば、不特定多数の人に会う心配をしなくてすみます」
「わかりました」
一ヶ所でしゃべっていればいずれ誰かに気付かれる。
別に気付かれてもいいのなら問題はないが、彼は人に会いたくないのだ。
ならば早く目的地に到着する方がいい。
訓練場なら、使用許可を得ている自分たちと、その責任者になっている魔術師長しか原則入ってこないはずだ。
夜の遅い時間に訓練をしようという奇特な人はいないと思うが、魔術師が何かをしていると知れたら、面白半分で見に来る人が寄ってくる恐れがある。
魔術師長は今、ここにはいないけれど、彼が練習を始めたら見に来るし、彼が訓練をしている間、抑止の役割を引き受けてくれると言っていた。
彼にはまだその話をしていないが、練習を初めてから、偶然を装って魔術師長が現れた時に事情を説明すればいいだろう。
結局二人は黙ったまま、足音もできるだけ立てないようにしながら、暗い道を訓練場へと急ぐのだった。




