魔法契約と忘却魔法(9)
魔術師長の部屋に早く来てみたものの、まだ始業前だ。
部屋の前に到着してから気が付いたが、まだ始業していないのだから魔術師長がいるとは限らない。
部屋に客人はいないかもしれないが、朝早すぎて迷惑ではないかという重いがいまさらながら頭をよぎった。
けれどせっかくここまで来たのだからと、お叱りがあっても受け入れる覚悟で、ロイクールが魔術師長の部屋のドアをノックすると、中に入れと、すぐに返事があった。
「魔術師長。早朝から申し訳ありません」
「珍しいな。何か用か?」
すでに仕事を始めていたらしい魔術師長が座ったまま顔を上げロイクールを見た。
他の魔術師は知らないが、呼ばれてもいないのに魔術師長をロイクールが訪ねる事はない。
前に引きこもりの先輩を連れてきた事はあったが、一人ではなかったし、アポを取ったのも先輩だった。
今回はアポなしの単独行動にも関わらず、魔術師長は話を聞いてくれるらしい。
用件を聞かれたので、ロイクールは早速、魔術師長に用件を伝えることにした。
「先輩が、攻撃魔法の訓練をしたいというので、人のいない時間、夜などに訓練場をお借りできないかと思い、相談に来ました」
「急な話だな」
今の段階で忘却魔法の事を魔術師長に話すわけにはいかない。
だから、ロイクールは経緯を一切伝えることなく現状と要望だけを伝える。
「はい。実は先日、引きこもりの先輩が一度ここを訪ねたではないですか。それ以降、私は彼と何度か話をすることができました。魔術師長もできれば彼に早く仕事復帰して欲しいとお考えだと思ったので、私が護衛について人のいない時間に外に出る練習と、騎士たちに怯えなくてすむよう、攻撃魔法をコントロールできるように訓練すればいいのではないかという話になったのです。なので、騎士たちがいない夜の時間などに少しお借りできればと思うのですが……」
話を聞いた魔術師長は少し黙りこんで何か考えていた様子だったが、じっとロイクールを見て言った。
「そうか。彼をそこまで説得してくれたということか」
「はい。できればその決意が鈍らないうちにと思っているのですが、いかがでしょう」
攻撃魔法の訓練だけではなく、部屋から出る練習にもなるとロイクールが強調すると、魔術師長は思うところがあったのか条件付きで許可を出した。
「いいだろう。私も立ち会おう」
「魔術師長自らですか?」
本当ならば二人でこっそりとやりたかった。
けれどそれは容認できないと魔術師長は言う。
「ああ。気がついていると思うが、彼は魔力量が多い。暴発したら、まあ、君なら止められるだろうが、責任者不在というのはいささか体裁がよくない……」
訓練場の使用許可を出すのが自分なのだから、何かあった時の責任をとるのも自分になる。
その時に現場におらず正確な状況を把握できないのは困ると魔術師長は言う。
ロイクールもそう言われてしまうと拒否するのは難しい。
「そうですね。ですが彼は私と二人で行うことを前提に了承してくれているところもあります。偶然という形で来ていただくことはできませんか?」
「それでもいいだろう。許可を出したから、どんな訓練なのか見に来たということにすればよい。訓練場まで足を運んだのなら、見られる可能性や覚悟も必要だと、分かるだろう」
魔術師長はロイクールの提案に同意した。
別に部屋の前から仲良く移動して、交流を深めて、といった友達ごっこをしたいわけではないので問題ないという。
「はい。ですが騎士たちにはあまり知られたくないです。訓練中に妨害されては困るので。仮に妨害された場合、私が先手を打つ必要が出てしまいます。先日のここから戻る際のようになってしまっては、彼の勇気が無駄になってしまいますから」
「当然そこは配慮しよう。そのために足を運ぶのだからな」
「ありがとうございます」
申し出るまでもなく魔術師長が、訓練中に騎士が立ち入らないよう配慮してくれるという。
さすがの騎士も魔術師長相手に強行突破はできないから、自分がいるというだけで充分な抑止になるだろうと言う。
「それで、訓練しただけで自信を取り戻させることはできるのか?」
訓練だけで彼の自信を取り戻し、業務に復帰させられるのかと、魔術師長はロイクールに尋ねた。
魔術師長はロイクールが何をしたいのか分かっている様子だったが、ロイクールはそれをあえて言葉にする。
「いえ、そこでもう一つのお願いです」
「模擬戦か?」
「はい」
お願いという言葉を聞いた魔術師長があっさりと要望を言い当てた。
それを否定する理由はないためロイクールは素直にうなずく。
「模擬戦を行う気があるのなら、日を決めておいた方がいい。だらだらとできるまで訓練しようというやり方では伸びぬからな。目標はあった方がいいだろう」
「そうですが……」
魔術師長は彼に自信を付けるために模擬戦を希望するなら期限を決めるようにという。
確かに際限なく深夜の訓練場を使うわけにはいかないし、訓練だけで自信を付けられるようなものなら、模擬戦を汲む必要などない。
訓練だけで取り戻すことができないものだからこそ、模擬戦という場を設けなければならないのだ。
「もし変更が必要ならそれでもいい。模擬戦そのものは直前でも許可されればできるものだ。だから君の判断で、まだ彼が騎士に立ち向かえないと判断したら、その時は延期できるよう配慮しよう」
「そうしていただけると助かります。私としてはできるだけ早く彼に普通の生活を取り戻してほしいと思います。それが他の魔術師たちにもいいと思うので」
そのためには彼に勝利してもらわなければならない。
ロイクールはそう考えていたが、他の魔術師という言葉が出てきた事が魔術師長には意外だったらしい。
「他の魔術師にか?」
「はい。現在、魔術師が騎士より立場が弱くなっていますが、私が彼らに勝利したことで少し空気が変わったと思うのです」
「確かにその通りだ」
魔術師でも騎士に勝つことができる。
それはロイクールが何度も証明して見せた。
でも彼らからすれば、かの大魔術師の弟子であるロイクールが特別な存在であって、自分たちとは違うものだと考えているのは明らかだった。
そして彼らが抱えているのはそれだけではない。
これは外から見ているからこそ、感じられる事だ。
「あとは……、彼が部屋から出られなくなったきっかけは騎士たちですが、無理矢理引きずり出そうとして心を閉ざすきっかけを作ってしまったのは、それに関わった魔術師たちで、彼らは悪意を持っていなかった分、罪悪感を抱えているのではないかと思っています。だから彼が普通に生活している姿を見れば、その罪悪感もなくなるのではないかと」
今の魔術師団は完全な悪循環に陥っている。
騎士に負け癖が付いている上に、仲間すら救えない。
それどころか自分たちが仲間を追い詰めた。
だから自分たちは騎士に勝ってはいけないし、それを受け入れることが彼にできる少ない罪滅ぼしだと、悪い暗示をかけているように見えるのだ。
「……よく考えられているな」
魔術師長が思わずつぶやくと、ロイクールはそれに対して自分の率直な意見を述べた。
「私はこうなってしまった後にここに来ていますから、話を聞いただけです。当時を知らないし、現場を見ていません。だからこそ、それぞれが伝えてくる内容を冷静に聞く事ができるのだと思います」
魔術師長はロイクールの話にうなずくことしかできない。
「そうだな。私もこうなったことの責任は少なからず感じている。確かに彼が普通に生活してくれたら私の憂いも晴れる。彼に関してはどうしても腫れもの扱いなのでな」
ロイクールの意見はもっともだ。
自分も他の魔術師と同じように、罪悪感を持っていた。
隠しているつもりでもそれが出てしまっていたのだろう。
しかも悪循環を改善するところか、自分までそこに飲み込まれてしまっていたのだ。
表面的に騎士団長と口論することはできても、部下たちの憂いを取り除くことはできなかった。
本来は自分のすべき事だが、今は彼に託した方がいい。
「できれば今晩から、お願いできますか?」
ロイクールの再度の申し出を魔術師長は受け入れた。
「わかった。今晩だな。君の仕事が終わってからということで押さえておこう。君たちはまっすぐ向かえばいい」
「よろしくお願いいたします。では私は仕事にまいります」
ロイクールは自分の要望が通ったため、挨拶をして部屋を出た。
そして何もなかったかのようにその日の仕事をいつも通りにこなしたのだった。




