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古傷の記憶(後編)

記憶の糸をゆっくりと、絡まないようきれいに戻したロイは、男性の様子をしばらくうかがっていた。

男性は目を覚ましたが無言のままである。


「……」

「大丈夫ですか?」


驚かせないよう、できるだけ穏やかな声でロイは男性に声をかけた。

男性は首だけを動かしてロイの方を見て答えた。


「……あ、はい。大丈夫です」

「お加減などは悪くありませんか?」

「特に……」


意識が戻って慌てた男性が勢いよく起き上がろうとしたため、ロイは男性を止めた。


「慌てなくて大丈夫です。ゆっくりなさってください。まだ記憶が戻ったばかりなので少々不安定かと思います」


ロイに止められた男性はベッドの上で仰向けになって天井を見ながらぽつりと言った。


「わかりました……。それにしても、不思議なものですね」

「何がでしょう?」


ロイが聞き返すと、男性は天井を向いたまま続ける。


「今まで私はこの記憶がなくても生きてこられました。今、記憶が戻って恐怖を覚えるものの正体も何となく見えた気がします。ですが、思っていたほど怖いと感じないのです。自分の記憶であることに間違いはないと思います。すんなり受け入れられましたし……。ですが、何と言いますか、こう、どこか他人ごとに感じるのも確かです。他人ごとだからこそ、記憶を受け入れられたのかもしれませんが……」


記憶が戻ったのはいいが、何か本を読んでいるような感じで、これが自分に起こったこととは思えないと彼は続けた。


「私が本当に怖いと思っていたのは、誘拐されたということではなかったみたいです。でも、そう考えたら全ての辻褄が合うんです。両親は誘拐されてから私が話しもできない状態になっていたので誘拐されたこと自体が恐ろしいことだと考えたようですが、そうではなかった……」


ロイは彼の記憶を確認するため一部を見ていたこともあり、何も言わずにうなずいた。

本人が頭の中を整理するのに、戻った記憶のことを語るのは悪いことではない。

失っていた記憶について細かく話のできる人はいないからと、記憶が戻った直後、ロイに話をして帰る人が多いのだ。

それに記憶されている事実を知ることはできても、本人が今どのように感じているのかまでは分からない。

男性も記憶の内容を知られているからこそ、自分に話しているのだろう、そしてここで話すのは彼が誰かに話を聞いてほしいと思っているからだろうとロイは考えている。


「私が怖かったのは誘拐した人より、連れ戻しに来た人だったんですね。誘拐自体はいいことではありませんし、確かに両親とは引き離されましたが、決して誘拐されている間、乱暴をされたわけではなかった。むしろ良く構ってくれていたみたいです。私は、そうして良くしてくれた人を目の前で殺されたことがショックだった……。だからなんですね。殺気のようなものを感じやすくなっているんです。疑いの目を向けられたら、悪いことをしているわけではないのに、自分が彼らのように殺されるのではないかって考えてしまう……」


彼は怖いものの正体に納得がいったようだ。

そして両親が心配するほどのことになっていたのは、誘拐犯を殺して彼を家に連れ戻した人が、彼の家にいたからだ。

誘拐された子どもを取り戻したヒーローは、男性からすれば目の前で良くしてくれた人を殺した怖い人だった。

そのヒーローだって彼を心配してやったことで、安全に彼を取り戻すためにそうせざるを得なかったし、ヒーローは彼を乱暴に扱うようなことはなかったのだ。

でも大人になった今なら、ヒーローの行動が理解できる。

だから全て納得ができたのだ。


「本来、人間は記憶を抜き出さなくても忘れることのできる生き物なのです。どんなに辛いことがあっても、すぐに思い出してしまうようなインパクトの強い出来事でも、別のことに集中している時までそのことを考えたりはしないでしょう。それに人の記憶は大人になれば風化します。消えていなくても受け入れられるようになるのです。あとは、やはり大人と子供では同じことを体験しても受け取り方が違います。一度抜いた記憶を戻すというのは、追体験をして思い出すのに似ていると聞きます。ですから、大人になった今、その出来事を冷静に受け止められることができた。本能的に残った恐怖の理由が分かったことで、実は恐怖などなかったと理解し、ご自身が納得することができたのでしょう」


ロイは過去の人たちが語ったことから考えた推測を彼に伝えた。

彼は首だけを動かしてロイの方を見るとうなずいた。


「もしかしたら両親も私がこの記憶を受け入れられる日が来ると信じて、この日記を残してくれたのかもしれません。まだ信じられないところもありますが……、記憶を預かってくれていたのがあなたでよかった」


そして男性はロイに微笑む。

しかしロイは首を横に振って言った。


「私は記憶を預かっただけで、あなたが辛くないように記憶を抜いたのは別の魔術師です。彼の腕が良かったから、あなたがすんなりと記憶を受け入れられたのだと、私は思います」


彼が今まで違和感なく生活を送れたのは間違いなく魔術師の腕だ。

記憶を抜く際、相手が違和感を覚えるような抜き方をすれば常に記憶を呼び戻す力が強く働き、徐々に思い出してしまうことが多いのだ。

幼い頃から大人になるまでこうして違和感を感じることなく生活を送れたのは、記憶がうまくつながるよう丁寧に抜かれ、管理されていたからだと、ロイは分かっている。


「そうでしょうか。私はあなたの話を聞いたからこそ、全て納得できたような気がしています。だからお礼はどうかあなたにさせてください」


彼はベッドから体を起こして座り直すと丁寧に頭を下げた。


「わかりました。どうぞ頭をあげてください。そのお気持ちは確かに受け取りましたので」


ロイが言うと、男性は顔をあげてロイをじっと見た。


「何だか生まれ変わった気分です。辛いはずの失われた記憶が戻ったらすっきりするなんて変ですよね」

「そんなことはありません。きっとあなたの心が、恐怖を覚えた本能が、ぽっかりと空いてしまった記憶を求めていたのでしょう」

「そういうものなのでしょうか?」

「そもそも記憶を抜いてから管理が必要な理由は、抜かれた記憶が持ち主の魂に戻ろうとするためです。それを無理に引き離した状態を維持しなければならない。だから管理が必要なのです。記憶そのものがあなたから離れたかったわけではないのですから、失った虚無感はあるのは当然です」

「勉強になりました。ありがとうございます」


男性はそう言うと満足そうに靴を履いて立ちあがった。

ロイは記憶返却の書類にサインをもらうと、男性をギルドの入口まで見送ると頭を下げた。


「どうぞお気をつけて」

「ありがとうございました」


そう言うと男性はギルドに背を向けた。

ロイが頭を上げると、彼は振り返ってはお辞儀をしていたらしい。

頭を上げたロイを見て彼は再び微笑むと、今度は振り返ることなく去っていったのだった。

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