古傷の記憶(前編)
「ロイさん、記憶返却の対応お願いします」
「わかった」
受付に呼ばれたロイはいつもの通り管理室から出て、対応に向かった。
依頼人は受付で案内して、すでに個室に待機してもらっているという。
「こちらの個室に案内しました。あとはお願いします」
どうやら今日も受付は忙しいらしい。
呼びに来た受付担当は、ロイに一礼するとすぐに立ち去って行った。
ドアの前で一人になったロイはすぐにノックをし、返事を聞いてから中に入ってすぐにドアを閉めてから、座っている男性に声をかけた。
「私がこのギルドの管理人です。ご用件をお伺いいたします」
声をかけられた男性が慌てて立ち上がろうしたのでロイが制する。
「はい……。実は、こちらに私の記憶が預けられていると聞きまして伺ったのですが……」
「あなたの記憶ですか」
「はい」
この男性は自分の記憶の預け先を人に聞いて訪ねてきたという。
おそらく契約書なども手元になく、本人が希望して抜いた記憶ではないのだろうということが察せられたが、ロイは念のため確認した。
「記憶を抜いたり預けたりしたことに関する記憶はあるのですか?」
「いいえ。ありません」
男性は首を横に振った。
だが、ここに記憶があると確信している様子で、迷いはないようだ。
ロイは男性から詳しく話を聞くため、声をかけてからテーブルを挟んだ向かい側の椅子に座った。
「それではなぜ、ここにあなたの記憶があると?」
「両親は私が幼い頃に怖い思いをした私の記憶を、魔術師に頼んで消してもらったということらしいのです。ところが私がその魔術師を訪ねてみましたところ、すでに他界しておりまして、他のギルドで尋ねたところ、その魔術師の預かっている記憶は、現在、こちらのギルドで管理されていると教えてくれたのです」
記憶を抜いた魔術師、それを管理していた魔術師のことは分かるらしい。
それならば話を聞けば確実に取り扱いの有無がわかる。
ロイは彼がどこまでその記憶について知っているのかを確認するため質問を続けることにした。
「そうでしたか。まずいくつか確認をしなければなりませんが、その記憶の手掛かりになるものはございますか?」
「はい。古い日記になりますが……」
男性はそう言って日記をテーブルの上に置くと、該当するページを開いてロイの方に差し出すと説明した。
「幼い頃、この日記は大人になったら開けるようにと言われていたのです。私も最近まですっかりこの日記のことは忘れていたのですが、先日他界しまして……、部屋を整理している時に見つけたので読んでみたのです。読んで驚きました。まさか私の記憶が一部失くなっていたなんて……」
そう言ってロイが見せられたページには、魔術師の名前、そして記憶を抜いた経緯がおおざっぱに書かれていた。
彼が自分の記憶と向き合いたいと考えた時、このページを見せればよいようにとまとめたものなのだろう。
「日記には両親の苦悩が書かれていましたが、私かその時どうだったのかは、そこから読み取ることができません。ですがどうやら私は幼い頃に誘拐されたようなのです……」
開いたままの日記に目を落として男性は言った。
おそらく誘拐されて、ひどい目にあった。
その後、無事に帰ることができたものの、戻った時には精神的なショックを受けていて、記憶を消さなければ生活ができなかったのだろう。
「ご本人の希望ですし、こちらで預かっている記憶でしたらお返しできますが……、辛い記憶かもしれませんよ。ご両親がわざわざ記憶を消さなければと判断されたものなのですから」
「はい。その事も日記にありました。ですが、私は自分が何に怯えているのかわからないのです。ふと、わからないものに恐怖を覚えます。記憶はなくても、身体が覚えているのでしょう。それにいつか向かい合わなければならないと、私は思います」
「それが今だと?」
「はい」
彼は両親を亡くし、この日記を再び手に取ったこのタイミングが相応しいと感じていた。
忘れられていた日記も、両親に導きで、もう大丈夫だと思って出てきてくれたのかもしれないとロイに告げる。
「私の失った記憶がどんな内容でも、今は受け入れるつもりでいます」
最後にそう言いきった男性の決意を聞いてロイはうなずいた。
「わかりました。では、お預かりしている記憶と照合するため、あなたの記憶を拝見します。ご理解いただければ先にこちらの契約書にサインを、それから記憶を返却した証明書がこちらになりますので、返却後にサインをいただきます。よろしいのですか?」
「わかりました」
彼は契約書を読んで迷わずサインをした。
そのサインを確認してロイは立ち上がる。
「では、あなたの記憶をお探ししますので少々お待ちください」
ロイは依頼人にお茶を勧めて待つように言うと、記憶を管理している部屋へ向かった。
管理室ではその中の記憶の一つが強い力でどこかに引っぱられていた。
本人が近くにいるため、戻ろうとする力が強まったのだ。
ロイはその反応を示しているボビンと糸に触れて依頼人の説明と照合する。
そして内容が一致したことを確認すると、糸車からボビンを外して依頼人の元に戻った。
「お待たせいたしました。お預かりしているのはこちらです。お戻ししてよろしいのですか?」
「お願いします」
男性の返事を聞いたロイは、椅子からベッドに移動するよう案内をした。
「では、こちらに横になってください」
「わかりました……。これでよろしいのでしょうか?」
男性は不思議そうに靴を脱いで横になると、首を傾けてロイに確認した。
「はい。記憶を戻した際、その衝撃が強い場合、立っていたり座っていたりすると、そのまま意識を失くして転倒したりすることがあるので、それを防止するためにお願いしているだけです」
「そ、そうなんですか……」
少しおびえたような声を上げた男性にロイは言った。
「今まで、記憶を戻す際に痛みがあったと言う話は聞きません。少し記憶が自分の中に戻る際、ぼんやりとしたり、パニックになったりと、記憶の内容や、戻す量によって本人に馴染むまでに必要な時間やキャパシティが異なるというだけです。記憶はゆっくりと戻すようにしますし、そんなに長い時間の記憶ではないようなので、おそらく受け入れられるものだと思います。リラックスしていてください。眠ってしまっていても問題ありません」
「そうですか……。わかりました。お願いします」
そういった男性は静かに目を閉じた。
少しして男性の呼吸が規則的になったところで、ロイはすでに本人の元に戻ろうとしているボビンの糸を押さえこんで、絡まないようにストッパーを外す。
すると記憶の糸は、ボビンをくるくると離れ、少しずつ彼の中に吸い込まれていった。
ロイは記憶の戻るスピードが速くなったり、糸が絡まったりしないよう、全てが吸い込まれていくまで調整を続けるのだった。