王宮の引きこもり魔術師(2)
魔術師長と話をした翌日、ようやくロイクールは仕事らしいものを教えてもらえることになった。
指導をするのは先日、案内をしてくれた先輩だった。
おそらく配慮というのは、自分に反感を持たない人材を当てるという意味だったのだろう。
ロイクールは前日の魔術師長の言葉をそう捉えた。
「俺の仕事は書類仕事だが……、まず文字は大丈夫か?」
ロイクールは少し考えてうなずきながらも、濁して答えた。
「たぶん」
「たぶんか……」
「仕事で文字を使うことがなくて、何をもって大丈夫と答えるべきかがわかりません」
ロイクールがそう言い直したのを聞いて、先輩は納得したらしく、近くにあった紙を手に取ると、それをロイクールの前に差し出した。
「そういうことな。んじゃあ、これ、読めるか?」
差し出された紙の一番上に契約書とか書かれており、その下には契約内容、一番下のサインをする場所が空欄になっている、いたって普通の契約書だ。
「これは、契約書ですね」
「それが解れば充分だ。じゃあ説明するぞ」
そう言うと、今度は新しい紙を出して、先に出した契約書の横に並べた。
そして説明が長くなるからと、彼はロイクールに椅子を勧め、自分も対面に腰を下ろすと、並べた契約書を指差しながら、内容の説明に入った。
「さっきのは普通の契約書だが、ここで管理するのは魔法で管理する書類だ。残念ながら魔法が使えない人間は、この契約書を発行したり書き換えたりすることは難しい」
「そんな契約があるのですか」
魔法で管理するなど初めて聞く契約だ。
ロイクールが彼に尋ねると、親切にも契約について詳細を説明し始めた。
「ああ、その魔法で制約を受ける書類を使って契約をするものを魔法契約と呼んでいる」
「普通の契約との違いがよくわからないのですが……」
「普通の契約書は紙にインクで書かれたもの、つまり破ったり破損したりすれば証拠はなくなる。だがここで作る魔法契約の書類は隠滅することができないし、仮に書類そのものが見つからなくても契約は常に効力を発揮するようになる。だから重要な契約を交わす時、契約内容を改ざんされては困るようなものに関しては魔法契約を結ぶことが多い」
どうやら一般的なものではないらしいが、重要な契約の時には必要になるもののようだ。
けれどそんな契約をしてしまったら後はどうなるのか。
一方的に内容が改ざんできないのはいいかもしれないが、不利な内容を強制されたりする場合もあるだろうし、条件の変更が必要な場合もあるだろう。
ロイクールはその疑問を先輩にぶつけた。
「契約内容を変更するときはどうするのですか?」
「その時は魔術師が立ち会い、もしくは当人が魔術師ならばその人が契約内容を書き換えて、相手にサインをさせることで変更が成立する」
魔法のインクと紙で書かれたものを変更するには魔法を使う必要があるらしい。
だが、誰にでも使用できる魔法でいいのなら、その契約は常に魔術師優位なものになるのではないかとロイクールは思った。
「それでは魔術師がいれば内容はいつでも変更できてしまうのではないですか?」
「だから契約書の内容は相手が一方的に不利になることのないように記載しなければならないし、迂闊にサインしてしまうと変更や無効にするのが面倒になる。一番いいのはどんなものでも契約書にサインなどしないことだ。インクや紙から魔力を感じ取れるならサインするべきではないし、もしペンを握ってしまっても書きはじめで気が付いて途中で止めるのがいい。一度サインを完了してしまったら効力が発揮されてしまうからな。悪用されないよう内容をチェックするのも我々の仕事だ」
どうやら魔術師の採用で契約書を作成するかを判断するらしい。
もし悪用されそうな内容の場合は契約書を作成しないで突き返すのだという。
ロイクールがとりあえず魔法契約については何となく理解できたと伝えると、そのまま仕事の内容について教えられることになった。
「まず、魔法を使えない人が効力の強い魔法契約をするためには、契約内容に魔法を付与した契約書を使う必要がある。俺たちがやるのは、その魔法契約に使用する契約書を作ることだ」
「はい」
「そこでさっきの契約書が出てくる。これは契約書なんだが、これを魔法契約に使用する契約書にしてくれという依頼書でもあるんだ。まあ、まずは見ていてくれ」
彼はそう言うと、紙に何かの魔法をかけた。
それからインクにも何かの魔法をかけて、その紙にインクをつけたペンを走らせた。
すると彼の書いた文字は一瞬光を放った。
光はそのまますぐに消え、その紙に残るのはただの黒いインクの文字だけだった。
内容は隣にある契約書と同じものだ。
こうして並べると内容の違いについてはまったく分からない。
ただ文字を書いた人が違うため、それぞれの文字に個性があるだけだ。
「できた。これで完成。最後に書き間違いがないかを確認したら終わりだ」
先輩がそう言ったので作業は終わったのだろう。
さっき見えた光のことが気になったロイクールは質問することにした。
「あの、さっき文字が光っていましたけど……」
「それは紙の魔法とインクの魔法がちゃんと融合したというか、魔法の効力が発動している証拠だ。逆に言えば書いた文字が全て光らなければ、その契約書で契約を行っても魔法契約にはならない。契約が成立したらそれも契約書を見ればわかるようになっているが、さすがにサインして見せることはできないから、それは後日、見せられる契約書が来た時に説明する」
見本の契約書でも魔法契約の契約書にサインして契約を成立させてしまうと、一時的とはいえ効力が発揮されてしまう。
もちろん、すぐに契約解除することはできるが、それでも魔法契約で拘束されることはあまりよいことではないという。
親切にもそこまで説明してくれるあたり、この先輩は間違いなく親切な人だとロイクールは思った。
「そうだ、紙の術者とインクの術者は同じじゃないと効果がないから、本当はインクに魔法をかけてから紙に魔法をかけたほうがいいんだが、慣れればどちらからでも問題ない。インクは契約の時も使うから多めに必要になる。だから書類と一緒に、魔法を付与した新しいインク一瓶も提出するんだ」
せっかく契約書を作成するための紙に魔法を付与しても、魔法を付与したインクがないと作業ができないらしい。
さらにそのインクは契約時に別の人が使うため多めに作って提出しなければならないという。
インクは余ってもいいが、紙が余るのは困るのだろう。
何も書いていない紙は魔法を付与されているかどうか見た目では区別ができないし、他の人が魔法付与してしまった紙に、他の人が魔法を付与したインクは使えないのだから、紙が無駄になるだけだ。
「だから最初にインクに魔法を付与するんですね」
ロイクールが納得していると、彼はうなずいた。
「そうだ。まあ、契約書の枚数が少なければ、インク一瓶に先に付与して、あとは紙に付与しながら作業して、その残りを提出しても足りるし、魔法を付与したインクの量が増えれば、その日は付与済みのインクを使って契約書をたくさん作るように言われる」
魔法契約で行われた契約書と紙とインクは、それらに魔法を付与した人が同じでならなければならないため、付与した人物単位で管理されるのだという。
「わかりました。それで、私はその魔法を知らないのですが……」
「なるほどな。じゃあ次は付与についてだ」
ロイクールが作業をしようにもその魔法を知らないと告げると、彼は魔法の付与に関する理論と方法の説明を始めた。
こうしてロイクールは一日かけて書類仕事について学び、その日は仕事として契約書を作ることはなかった。
けれどもなぜ王宮の魔術師が書類を管理しているのか、彼らがなぜ重用されているのかを理解することができた。
そして後にこの仕事をしたことが、彼の人生で大いに役に立つことになるのだが、当時のロイクールは知る由もないのだった。




