人気の職場
権力者の立て続けの来訪があったため、ギルドで働く新人従業員からは困惑の声が上がっていた。
ロイの古い経歴を知っているのは、開業当時から働いているベテランの従業員か、通りにある老舗の上層部だけである。
人の忠誠心を契約で縛り、人生を踏みにじり、犠牲にした人間。
それがロイの彼らへの評価なのだが、従業員たちはそんなことは知らない。
だが、何も分からずそのような人間が出入りしていると、悪いことをしているギルドなのではないかと恐怖を持つ従業員がいた。
騎士団が調査に来るようなギルドなのかと不安そうにしている従業員に、ロイは辞めた経緯は話していないが、昔、王宮の魔術師をしていたのでそういう知り合いが多いという話を伝えたことがある。
それ以降、気がつけばこういう来客があった際、先輩従業員から後輩従業員に話が伝わるようになっていた。
皆、最初に見た時に不安を感じたということだろう。
だからその不安が払拭されるのであればとロイはそれをこっそりと伝えている従業員たちに何も言わない。
今回はなぜか続けてであるが、間隔を空けてであれば、騎士団長はここによくやってくるのだ。
従業員にはこの環境に慣れてもらわなければならない。
「ロイさんって何者なんですか?あれ、皇太子様でしょう?皇太子自らギルドまで足を運んで頭を下げるなんて、普通ならありえないですよね?」
「ロイさんは……ここだけの話だけど、このギルドを設立するまで、王宮の、しかも王族専属の魔術師だったらしいんですよ」
今回も新人が不安そうにしているのを見た先輩がこそこそと新人にその話を伝え始めた。
「じゃあ、皇太子様はロイさんにここを畳んで戻ってこいと言ってるんですか?」
「たぶんね」
「それじゃあ、ここ、なくなっちゃうんですか?せっかく就職できたのに……」
新人からすれば職場がなくなるかもしれない方が不安らしい。
それを聞いた先輩は笑いながら答えた。
「それは大丈夫だと思う。ロイさん、ずっと断り続けてるし、辞めたのも理由があるはずだから」
「だから謝罪……」
「よっぽどの事があったんじゃないかって、噂はあるけど、誰も聞けないんだよね、あんな感じだから……」
「確かに……」
ちらっと管理室の方に目をやって先輩が言うと、後輩も同意した。
皇太子やら騎士団長をすげなく追い返すなんて、出世したいと思っている人間のすることではない。
それに従業員にはわりと親切なロイの、高貴な人たちに対する冷たい態度で、その話題に触れて欲しくないということは見てとれる。
そして、さすがに先輩もそこを突っ込んで聞けないという。
「まあ、たまにこういうこともあるけど、私たちにできるのは聞かなかったふりをすることだけだから」
「そうなんですね……ってことは、一度や二度じゃないってことですか?」
「うーん……わりと頻繁に?もしかしたら何かが起こりそうってことかもしれないけど、ロイさんが動かないのなら大丈夫だって信じるしかないのよね。ロイさんがここを畳んでまでそっちに行くってよっぽどのことだと思う」
本人には聞けないが、街での噂でロイによほどのことがない限り、このギルドがなくなることはないと言われている。
根拠はないというが、知っている人が同じような答えを返してくるのでおそらく間違いないと先輩は言った。
「何か起こるって……例えば?」
後輩が不安そうに尋ねるので、先輩は笑いながら言った。
「この街が壊滅の危機とか?」
「え?この街が壊滅したらギルドは……」
「建物ごと吹っ飛んじゃうし、私たちだってそんな状態なら生きてるか分からないよね」
街や我々の生死に関わる事が起きるかもしれないという内容だが、皆そんなことは起こらないと思っている。
だからこれは笑い話なのだが、ちょっと物騒な例えに後輩は思わず苦笑いした。
「それは、回避したいですね……」
「とまあ、このくらいのことが起こらなければ、たぶんロイさんはこのギルドを閉めることはないんじゃないかって話です。だから安心してください」
「わかりました!」
新人は先輩に言われて元気に返事をすると仕事に戻って行くのだった。
記憶管理ギルドの従業員も同じ通りにある老舗の従業員と話す機会がある。
一番多いのは昼食に出た際に立ち寄る食事処だ。
通りの店の従業員の昼食は少し遅めで似たりよったりの時間になる。
お昼になると昼休みを迎えた人が通りにたくさんやってきて、食事を提供する店以外も混雑するためだ。
商売人としては、この時間の客をぜひ取り込みたいと考えて、自分たちの昼食をずらして営業しているのである。
「私、記憶管理ギルドの受付の仕事決まったんですよ!」
「そりゃあよかったなあ。就活してるときはなかなか決まらないって、ここで落ち込んでたもんなあ。で、いつからだい?」
「実はすでに働き始めてるんですよ。やっと研修が終わって、受付デビューしたんです」
「そうか。おめでとう!あそこは評判いいとこだから、安心して働けると思うぞ。しかも給料もいいみたいだしなあ」
いつも笑顔の老舗のお爺さんと合席になった新人従業員は、いつも通り食事をしながら雑談を始めた。
前に合席になった時は就職活動真っ盛りでテンションが低かったが、今はとても元気である。
「でもすごく忙しいですよ。こうしてお昼はもらえますけど、ここでしっかり取らないと、本当に休みがないです。研修で言われてましたけど、本当でした……」
「まあ、仕事なんてのは、何やっても大変なもんさ。でも、そう言いながら随分とイキイキした顔してるな」
お爺さんは変わらずニコニコしながらそう言った。
「そうですよねー。みんないい人だし、ちゃんと休みもあるし、大変な分お給料もいいし、変なお客さんは上に回せるし、いい職場すぎて幸せです。私、今よりいい職場見つかる気がしませんもん」
「まあ、実際なかなかないだろうな」
話を聞きながらお爺さんは相槌を打つ。
「そう言えばこの間からロイさんを訪ねて偉い人っぽい方がたくさん来ているんですよ。でもお客さまじゃないみたいなんですよね。ロイさんって何者なんですかね。なんか知ってます?」
雑談の一環として新人がそう口に出すと、お爺さんは急に難しい顔になった。
「ん……。ロイさんか……。あまり彼についてはなぁ……」
「もしかしたら、おじさんなら、何か知ってるかもしれないと思ったんだけどなぁ。長年お店やってるんだし……。もしロイさんが引き抜かれてギルドがなくなっちゃったらどうしよう、また就職先探さなきゃいけないのかなぁって思うと憂鬱になっちゃうんですよ」
ロイのことは知っていても話せないと言葉を濁しているお爺さんだったが、新人がギルドがなくなることを心配しているだけだと分かると、笑顔を戻して伝えた。
「ああ……たぶん、たぶんだが、あのギルドはよほどのことがない限り無くなることはない。あるとしても移転くらいだから心配することないだろう」
「先輩もずっと偉い人からの誘いを断ってるみたいだから気にしなくていいって言ってくれたんですけどね」
ロイと親しいわけではない彼女からすれば大事なのはロイ個人より良い職場らしい。
お爺さんはその考えに行きつくと納得したように言った。
「確かに今に始まったことじゃないな。忘却魔法の管理人になれるというのは能力の高い魔術師ということだから、彼らが欲しがるのも分からなくはない。もしその気があるならもうとっくにギルドなんて畳んでるんじゃないか?それに畳むつもりなら、新人なんて雇わないだろう。ロイさんはそんな無責任なことはしないと思うがね」
お爺さんの言葉に納得したのか、新人は目を輝かせた。
「そっか。それもそうだよね。もうたくさん人がいるんだから、なくすんだったら雇う人を増やすわけないもんね。元気出たよ!ありがとう!」
新人は先に食事を終えたので、合席のお爺さんにお礼を言って立ち上がった。
そしてお店を出る時、もう一度お爺さんに笑顔で頭を下げると、元気に飛び出していった。
お爺さんは元気な若者を見送って、食事を終えると一人ゆっくりと店に戻った。
そしてロイへの誘いが増えているという話に少し引っ掛かりを覚えながら、昼食のために休止していた店を再び開けるのだった。