それぞれの在るべき場所(10)
「幼いお前たちを戦争に巻き込んだのは、我々大人だ。我々はこの国でその責任を取る必要がある。辛い人生を歩ませたそなたらのような者をこれ以上生まないためのな」
一番上の人間は腹を探られまいとのらりくらりとしているが、彼らはそうではない。
少なくとも記憶を預けなければならないほど苦しんだ大半は、人を殺めたこと、助けられなかったことに苦しんでいた。
当然、確認をして記憶と向き合ってきたのだから、戦争で苦しんだのは巻き込まれた自分だけではないと理解しているつもりだ。
両親をあの戦争の流れで失って、大人を恨むこともあった。
けれど自分には気づいていなかっただけで、守れるだけの力があったのだ。
それを活かせていたのなら、少なくとも両親くらいは守れたんじゃないかと、そんなことを思う日もある。
「私は……」
ある程度力を持っているはずの自分が、今度は別の大人に守られようとしている。
彼らを守っても両親は帰ってこないだろうが、彼にその責があるかと聞かれればないと答えるだろう。
しかし自分も親と同じかそれ以上の年齢を迎えようとしている。
守られるだけの子供でいることは許されない。
そんな思いを察してか、彼が言った。
「そなたには何の責もない。我々が前線に立ったことで気に病むことはないぞ」
戦った彼らの苦しみの記憶は預かった時も返却の時も見ている。
前線にいた人々が、両親を失って家の中に籠っていた自分よりはるかにつらい思いをしてきたことなど想像に難くない。
当時はやりたくもない殺しに加担し、一方で国を守るため自分の身も危険にさらさなければならなかった。
実際、何人もの記憶の中で、彼らから取り除かれた大半が、その手の記憶だった。
前線で国を守ってくれた彼らこそ、国の指示で強制されたのだから気に病まないでほしいと思ったほどだ。
そもそも彼らがいなければ、この国が残っていたかどうかすらわからない。
当時子供であった自分たちの未来を守るために苦労してきてくれた彼らがいるから、今のこの生活がある。
「あなたこそ……」
思わずロイクールがそんな言葉を漏らすと、彼は小さく口角を上げる。
「我々はそなたには恩がある。昔を取り戻すことはできんが、未来の選択肢を提示することはできよう。そして、そなた一人くらい、希望の地に送り込むことのできる力が我々にはある」
彼はそれとなく自分の持つ力を誇示すると、気持ち声を潜めて言った。
「そうだな。たとえ亡命を選ぼうと、我々は恨んだりせん。もう充分なことをしてもらったからな。それにあちらの殿下から直接の誘いもあったのではないか?気に入られていたようだと耳にしたぞ?」
ただものではないとは察していたが、彼の情報網は精度も高いし、並ではない。
すでに正確な情報を持っているだろうから、ここでごまかしても嘘がばれるだけだろう。
そう判断したロイクールは、観念して言った。
「そこまでご存じでしたか。ですがお断りして戻ってきたのです。ですから……」
正直に、けれど簡潔にそう伝えると、彼はそれを鼻で笑った。
「それは監視のためだろう。彼らに罪はないからな。そこを捨てきれぬのが、そなたのやさしさだろう」
確かにあの時、自分が亡命したら、訪問に同行していた護衛という名の監視が罰せられることになったのは確実だ。
それでも自分が本気だったらその場でどうにかしてほしいと申し出ることもできただろうし、脱走し行方をくらますこともできた。
しかしそれをしなかったのは、自分にその意思がなかったからだ。
考えないようにしていたというのが正しいかもしれない。
もちろん監視の彼らのことが頭をよぎらなかったわけではないが、自分がそこまでしなければならない義理もないのだから、彼らだけ帰して、その後のことだって気に掛ける必要はない。
全ては自分の決断力のなさに帰結する。
「弱いだけかもしれません。肝心な時に」
結局一人では何もできないのだ。
本気になれば、記憶を失った彼のように、自ら願い出ることができる立場だったにもかかわらずそれをしなかった。
両親の時も、ミレニアの時も、自分は役に立たなかった。
その分、他の人のためにとやってきたが、それで気が晴れることはなかった。
「非情な人間に落ちるよりはいい。あの戦にはそれだけのものがあったのだ。そしてロイクール、そなたと、彼の大魔術師に救われた者は多い」
「師匠はともかく私は何も」
自分は戦の時、建物の中に閉じこもっていただけだ。
意思を持って何かをしていたわけでも人を助けたわけでもない。
もしかしたら家に助けを求めた人が来たかもしれないけれど、それを受け入れたこともないのだから、受け入れられなかったものがいたのなら薄情と取られたことだろう。
「謙遜するな。そんなことをすれば師匠である彼も悲しもう。そなたの成してきたことは継承された彼の意志そのものなのだからな」
「そうですね。してきたことに間違いはないと自負しています。ですがその道筋は全て師匠の導きあってのものです。私は、師匠に救われた一人にすぎませんから」
師匠がいなければあの家で、実家で餓死していたに違いない。
防御魔法のかかった空間であっても、調達しなければ口に入れられるものは有限だし、師匠が来た時に動く気力などほとんどなかった。
むしろ、無意識に生に執着していながら、なぜ死ねないのかと嘆いたほどだ。
魔法が暴走していたとはいえ、生きる屍となっていた自分をあの環境からここまで引き上げてくれたのは師匠だ。
師匠の意志を継いだことに後悔はないし、師匠が成しえなかったことに手を付けられたことは自分にとっても名誉なことだ。
これが少しでも師匠に恩返しになっていればと思っている。
だから師匠を盾に取られたら、自分を卑下することなどロイクールにはできない。
その様子から察する者があったのか、彼は小さくため息をつくとロイクールをじっと見た。
「不毛な話を続けても仕方がないな。我々は単に、彼の忘れ形見のようなそなたに幸せになってもらいたいというだけだ。我々を使うも使わぬも好きにすればいい」
「ありがとうございます」
ロイクールは一度礼をしてから、ふと思ったことを口にした。
「あなたは残られるということですが、他の皆様方はどうなさるのですか?」
自分は残ると言っていたが、それ以外の人たちはどうするのか。
この人には守るものがあるというので、残るというのはわかるが、彼らの中には単身者になったものも数多くいたはずだ。
自分とより境遇の近い人の判断が気になってロイクールが尋ねると、彼は聞き返す。
「それを聞いてどうする」
「いえ、どうもしませんが……」
ロイクールが小さく息をつくと、彼はロイクールの考えを見透かしたように言った。
「それを聞くのは、自身の結論が出た後にした方がいい。多くの意見を聞くことで、揺らぐ決意もあるだろうからな。多数派がいる方に流される形で決めるべきことではなかろう」
「わかりました」
確かに多くの人が亡命すると聞いたら、その意見に流されて一緒にと咄嗟に口をついてしまったかもしれない。
それで動き出したら戻れないのは確かだ。
迂闊なことはするなと釘を刺されたのだとわかる。
「もちろんこの国に残る選択肢もある。他国に行けば幸せになれるとは限らんし、あっちはあっちで文化が違うのだ。ただ、亡命という選択肢もあると教えておきたかった、しかもそなたには、それを叶えられるだけの人脈が揃っているとな。それだけだ」
彼としては何かあったら自分たちを頼れ、そして自分たちの持つ権力はロイクールが思っているほど小さくないのだと、それが伝えたかったらしい。
「このような事態だが、出て行けとも残ってくれとも言わぬ。ただ、自分で決めてもらいたい。他者の意見で揺らぐようなものではいかん。そしてそなたがどの選択をしようとも、我々は味方になる。そしてできる限り民の平和が乱されぬよう、解決に尽力すると約束しよう」
「ありがとうございます」
やたらと亡命やら協力やらという話が出てくるところを見ると、まだ余裕はあれどきな臭いものが漂っていると思っていいだろう。
今すぐに決めなくてもいいということだが、それを匂わせてくれただけでもありがたい。
ロイクールが素直にお礼の言葉を述べると、彼は鼻で笑う。
「それに例の国に気に入られたのなら行く当てにも困るまい。連絡を待っておるよ」
やはり国内で何かがくすぶっているらしい。
後半でそれを感じ取りながら、ロイクールは連絡を待っていると立ち上がった彼を、ギルドの入口まで送り出すのだった。




