記憶管理ギルド
国の中枢である城下町の一等地に、ロイの記憶管理ギルドは店を構えていた。
治安が良いだけではなく、この通りはよく王族が通行するため、身元のしっかりした者でなければ住むことも店を出すことも許されないようなこの土地に、若くして記憶管理ギルドを構えたのがロイである。
この地域に出店している大半が、代々続く老舗の店舗なので、数年前にできたこの記憶管理ギルドは新参だが、この通りで働いているものは王族とも何らかのつながりを持っているため、彼のことを見知っているものが多かった。
そして、なぜ彼が記憶管理ギルドを立ち上げたのか公にはなっていないが、この地域で店を任される責任者クラスの者はその理由を知っている。
また、彼は高い能力を持つ魔術師だということも有名だ。
そんな高名な魔術師がこの通りに店を構えれば、この周辺の治安がよりよくなるのではないかと、ひそかに期待もされた。
そんなこともあり、この場所はロイを温かく迎え入れたのだ。
そもそも記憶を司る魔法はより高度なものとされており、誰にでも扱えるものではない。
中でも忘却魔法は相手の記憶を奪い去る魔法であるため、厳しく管理されているのである。
国に認められて運営している記憶管理ギルドには遵守すべき掟がいくつもある。
これを守って運営するギルドだけが表に看板を掲げて堂々と営業できるのだ。
それが以下の条件を守ることである。
■忘却させた記憶の内容は管理人が預かる前に確認する
■記憶の内容を確認した際、犯罪に関するものは預からない
■不当な忘却を強いられたと判断した場合、記憶はギルドの権限で当人に戻される
■忘却させられた人から返却を求められた場合、当人に返却する
■管理が不要になったという申し出があった場合、術者に返却する。なお、返却後、記憶の糸に関する責任をギルドが負う必要はなく、当人または術者の管理下に置かれる
もちろんロイのギルドもこれらを順守して運営されており、国の認可を受けている。
ロイは仕事を辞めた時、すでに一生分働いたのだから、どこか小さな町にでも引っ越して、隠居生活でもしようかと考えていたのだが、それは許されなかった。
王家が城下町に住み続けてくれと懇願したのだ。
そこで彼は仕方なくこの城下町でギルドを新設することにした。
ギルドを開設しても宣伝しなければ客は来ないだろう。
だからこの場所で誰にも干渉されることなくのんびりしようと思ったのも束の間、知らない間に自分がこの場所にギルドを開いたことが周囲に知られ今に至る。
ロイのギルドの中には常に客がいる。
そしてあちらこちらから接客している複数の従業員の声が聞こえ、とても賑やかである。
「いらっしゃいませー。ご用件をどうぞー」
「あ、予約されてたボビン、届いてますよー。今お持ちしますねー」
「いらっしゃいませ。ご用件をお伺いいたします」
「お預かりですね。何日間になりますか?」
「お待たせいたしました。ご相談ですね、かしこまりました」
いつの間にかギルドは国や高尚な魔術師が多く利用することで知られるようになってしまっていた。
そのため、口コミで利用者が増え、複数の窓口が同時に受付を行う、屈指の巨大ギルドである。
本来であれば、このようなギルドを多くの者が利用するのはいいことではない。
それなのに複数の受付窓口を持たなければ回らないほどの盛況ぶりに、ロイはため息をつくことしかできない。
細々、静かに余生を送るつもりだったはずの人生は大いに狂ってしまった。
それだけではない。
都合よく記憶を消したいという人間がこんなに多いとは思わなかった。
忘却魔法を使えない者には記憶の糸が見えないらしいし、記憶を切られても痛みなどは感じないらしい。
本当は自分の記憶を、自分だけが持っている記憶と向き合いながら過ごしたかった。
こんなに慌ただしい日々など、儲けがあろうが望んでいない。
そもそもお金には全く不自由していないのだ。
記憶と当人は細い糸で結ばれていて、術者は常にこの糸が当人に戻らないよう引き止め続けなければならない。
通常、忘却魔法の使えない者は、相手の記憶を見ることも、記憶の糸を確認することができない。
だから記憶の糸を引き抜いた術者や、記憶管理ギルドは、その記憶の糸がそこに存在しているかどうかを確認するにも魔力を消費し続けることになる。
管理人はこの糸と記憶を預かってからずっと糸を引き続け、戻らないよう管理する仕事をしている。
その仕事を楽にするのがギルドごとに異なる糸車で、魔力をずっと使い続けなくても管理できるよう、ギルドの管理人が思考錯誤して作り上げたものを使っている。
前は記憶の量などによってボビンを使い分ける店もあったようだが、ロイの店では一種類のボビンを使い、どの糸車でも利用できるようにしている。
ロイの店は糸車で糸を引く力を調整しているのだ。
この方法を知った他の店舗では、ロイの考えた糸車を購入したいというものが現れた。
こうして気がつけば彼の作った糸車とボビンが、かなりの店で使えるようになっており、特にボビンは重宝されていて、大量購入をする常連の魔術師がいるほどである。
正直、ボビンだけを売って細々と暮らしてもいいのではないかと考えることもあるが、そうすると今雇っている従業員の雇用が維持できない。
いつか忙しくなくなる日がくるのなら、新規の採用は行わず、従業員が退職するまで養っていけるようにしておこうとロイはそう考えながら仕事をしている。
ロイはギルドの受付の様子を少し確認し、特に自分が出る必要がないことを確認すると、糸車を管理している部屋にこもることにした。
管理室の中にはギギギという木材のきしむ音や、カタンという逆回転防止の弁のぶつかる音が、誰もいない室内に響いていた。
厳重に管理された地下の管理室では糸車の回る音と、糸車に巻き取られそこから逃れようとする糸の引き合いが静かに行われている。
糸車の数は一つではない。
また、巻き取るために糸車の回るスピードもタイミングも、管理されている糸によって異なるため、そのスピードは適宜管理人によって調整される。
魔法の力だけで糸が戻ることを防ぐのは管理人の負荷が大きい。
そこで考えられたのが記憶の糸と呼ばれる、記憶が紡がれている忘却魔法で抜き取られた記憶の糸を、特殊な糸巻きの道具であるボビンに巻きつけ、糸車に設置し引き続けることで記憶が戻るのを防止する方法である。
この糸車は当人の魂の中に戻ろうとした記憶の糸を戻りにくくしたり、ボビンに巻き直す作業を簡易化するものだが、巻き直す際の力加減を間違えると糸が切れて一部の記憶が戻ってしまうので、使う際は慎重に作業を行う必要がある。
なお、記憶の糸が薄くなって消え、空のボビンだけが残る時は、記憶の持ち主が天に召された時である。
ボビンが付いていれば、記憶の糸がボビンから外れようと勢いよく回り、ロイの魔力に干渉するが、消えるときは違う。
ボビンが回ることなく、急に軽くなるのだ。
糸がきらきらと光りながら粉が吸い上げられるように空に還っていく。
その光景はとても神聖なもので、ロイは何度か天に召される瞬間に立ち会い、管理室で密かに記憶の持ち主の冥福を祈ったことがある。
ロイは丁寧にひとつひとつのボビンを確認して糸車の速度を調整したり、空になったボビンがないかどうかを確認しながら管理室の中を歩く。
そしてすべての記憶の糸に異常がないことを確認すると、糸車の軋む音を聞きながら、管理室内に用意した机で一人、仕事を始めるのだった。