戦渦を生きた大魔術師と退役軍人たちの追憶(6)
女性の中には本来高みの見物で済ませることのできたはずの貴族のご令嬢もいた。
通常時であれば魔法を使えることは自慢できることだ。
だが、戦争になった時、その能力を持つが故に目を付けられ、戦場に駆り出されてしまったのだという。
彼女も戦場で男性に酷い暴力を受けた一人だった。
今は結婚し、子供もいて、その子供ももう成人を迎えるのだという。
嫁いだ先も貴族の家らしく、彼女は使用人と一緒にギルドにやってきて、知らない女性と一緒というのも、ロイと二人というのも、立会人の女性が知らない人になるというのも怖いので、連れてきた使用人を同席させたいと依頼してきた。
ロイはそれを快く受け入れた。
どちらにしても記憶を戻した後、ふらふらした状態で出ていく可能性があるのだから、誰か付き添いは必要なのだ。
ただ、記憶を戻された時の状態を見られたくないとか、ロイとの会話を聞かれたくないという人が多いので二人というのが多いだけである。
ロイは質問に答えてもらう必要があるし、それを聞かれてもいいのなら問題ないとその申し出を快く受け入れた。
そうして同伴している使用人と本人を部屋に案内したロイは、二人にお茶を出した。
お茶を飲み終えてからは使用人を椅子に座らせたままにし、本人には横になるように指示をする。
そうして彼女の状態が安定したところでロイはゆっくりと記憶の糸を彼女の元に戻していった。
「終わりました。少ししたら目を覚ますと思いますのでお近くにいてくださって構いません。ゆすったり、無理やり起こそうとしたりはしないようにしてください。あと、急に起き上がるとめまいを起こして倒れますので起き上がろうとしたら止めてあげてください」
「わかりました」
使用人はロイの言う通り彼女の側に寄ってその傍らに膝をつくと、彼女の手を握り締めて、彼女の目覚めるのを待った。
少しして彼女は目を開けると、両手で大事に握られている手に気が付いたのかそちらの方にゆっくりと首を傾けた。
そして使用人の顔を見て泣きそうな顔で言った。
「ねぇ、あなたは私がこの記憶を失くしていると知っていたの?だから手紙が来たとき青ざめていたの?」
思い出した記憶は今の彼女にとっても辛いものだったのだろう。
声も少し震えているが、しっかりと握られた手に支えられて何とか毅然としている状態だ。
「いいえ。そうは思っておりませんでした。手紙の件を知るまで、私はてっきり大魔術師様とお話をしていくうちに気持ちが落ち着いたものと思っておりました。それに忘れて幸せになれるのならば、わざわざその傷を抉って思い出す必要はないと、そう考えて何も申さなかったのです」
彼女が記憶を失くしたことによって立ち直ったことを知らなかった使用人は、大魔術師がそんなことをしていたとは知らなかったという。
もちろんこの話は軍にいる一部の人間しか知らないことなので、彼女が知らなかったというのは本当のことだろうし、抜かれた本人は抜いた時の記憶も一緒に失くしているのだから知るはずはない。
「そうね、もしこの記憶があったのなら、私はあの方との子を授かることはできなかったし、それ以前に、あの方に怯えて、部屋に閉じこもって暮らすことになっていたわね」
「お嬢様に治癒魔法の才などなければと、今まで誇りに思っていた自分は何だったのかと思いました。変わり果てたお嬢様を目にして、旦那様も奥様も……」
ロイは二人の話を聞きながら、当時の状況がどんなものだったのかを探ろうと黙って耳傾けた。
彼女は治癒魔法の使い手で、戦争が起こるまでは病人の治療を行う仕事をしていて、街の人たちにも愛されていたという。
数多の魔法が存在し、複数の魔法を使えるものが多いとはいえ、治癒魔法の使い手は数少ない。
それだけにそのスキルを公開していれば職に困ることはない。
だから彼女もその能力を隠すことをせずに仕事を探し、そして就職したのだ。
その結果、戦争が始まってしばらくすると彼女は徴兵されることになってしまった。
最初、この戦争はすぐに終わるものと思われていた。
そのため王宮が管理している男性の騎士や兵士だけが前線に赴いた。
ところがいつまでも終戦の気配はなく、戦況は悪化。
戦争は長期化しそうな気配を見せる。
前線にいる男性の詰め所には怪我人が溢れ、とてもそこにいるメンバーだけでは対応できる状態ではなくなっていた。
そこで国は追加の人員を派遣することにした。
その時、希望してきた兵士だけでなく、後方支援をするための女性たちも一緒に派遣されることになったのだが、その時に治癒魔法の使い手として知られてしまっていた彼女は、衛生兵としてほぼ強制的に徴兵されてしまったのだという。
今回彼女の付添をしていた侍女は、戻ってきた彼女の様子から、彼女が戦場でそのような目にあったことに勘付いていた。
彼女の両親も同じように感じていたが、それを憔悴した娘に聞くことはできなかった。
そうして過ごしているうちに、彼女は大魔術師の治療を受けて元気な姿を取り戻した。
彼女が家族に真実を語る前に彼女の中からその記憶がなくなってしまったこと、そして幸いにも加害者である男性とこの家の人間が接触することがなかったことが重なり、この家では事実が有耶無耶にされたままとなったまま今に至ったのだという。
「お嬢様?」
「私は皆にとても気を使わせてしまっていたのね」
「いいえ、私達にできたことなどほんの些細なことでございます」
「そんなことはないわ。今ならわかるの。私がいかに大切にされていたのか」
心の傷が広がらないよう皆が配慮し、そのおかげで今の生活が成り立っているということを知った彼女は申し訳なさそうに言った。
自分がこの苦しみで心を病み、向かい合うことができなくなったことで皆を心配させ、元気になってからも思い出させないようにと、誰も戦争のことに触れずにいてくれたのだ。
使用人は良くないことのように謝罪をしたが、有耶無耶になっていたからこそ苦しみから解放されて生きることができたのだ。
「管理人さん、気丈なことを言ってしまったけれど、これはとても辛い記憶だったわ。あの頃の弱い自分には耐えられなかったのだと思います。私が聞いた話では記憶というのは、きちんと管理されていないと抜き取ってもすぐに戻ってしまうものなのでしょう?」
「そうですね」
突然話を振られて多少驚いたものの、ロイが静かに返事をすると彼女は少し悲しそうな笑みを浮かべた。
「それをかの大魔術師様とあなたが、管理してくれていたのですよね。私、一度もこのことを思い出すことはなかったわ。だからこうしてこの年まで幸せに生きられたのね」
自分の過去を知ってしまった今、彼女の幸せは壊れてしまったのではないかとロイは少し不安に思ったが、彼女は続けてこう言った。
「ありがとう。私に幸せをくれて」
「いいえ、あなたを幸せにしたのは私達ではありません、こちらの付添の方やご家族の心遣いと、あなた自身の努力だと思います」
本当にロイは何もしていない。
ただ頼まれて記憶を管理していただけだ。
辛い部分の記憶を抜く作業は師匠である大魔術師のやったことだし、何より近くで彼女を支えたのは、彼女の家族と身内のように大切に思ってくれる使用人たちなのだ。
「そう……。そうね。私は自分の周りにいるたくさんの人にお礼を伝えなければならないわね。ありがとう」
彼女は改めてロイにお礼を言うと少し体をよじった。
話をして結構な時間が経ち、受け答えもしっかりしていることから、ロイはそろそろ彼女が動いても大丈夫なのではないかと判断して声をかけた。
「そろそろ体を起こせますか?勢いよく起きずゆっくり体を起こしてください。もし大丈夫そうならお帰りになっても大丈夫です。あなたには待っていてくれるご家族がいるのでしょう?」
「はい。そうですね。私は早く家族に会いたいです。本当にありがとうございました」
彼女は使用人に支えられながらゆっくり体を起こした。
そしてそのまま立ち上がる。
立ち上がってふらつきがなさそうなのを確認したロイは彼女と使用人を見送ることにした。
「どうぞこれからもお幸せに」
「はい」
最後に彼女は曇りのない笑みを浮かべてしっかりと返事をした。
ロイはその返事と表情を見て、彼女が記憶をしっかり受け止められたのだと安心した。
「それでは参りましょうかお嬢様」
「ええ、行きましょう」
こうして使用人に肩を抱かれたお嬢様はギルドを後にするのだった。