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仮想敵国への訪問と旅人の郷愁(12)

ロイクールがポットの蓋を取りお茶を確認すると、お湯の中に浸かっていた茶葉は充分開き、お湯に色もついている。

これならばきちんと成分も溶けているだろうし、味もきちんとするだろう。

確認を終えるとすぐに蓋を戻して用意されたカップにお茶を注いで、それをミレニアの前に出した。


「お茶としてこちらをお飲みになって、落ち着いたらご用意いただいたベッドに横になってください。私がそばに寄ります。皆様には大きな音を立てたり、私やミレニア様に対して、身体を揺するような強い衝撃を与えるのを控えていただきたく思います。緊急時以外、そのようなことはないと思いますが、くれぐれもお願いいたします」


魔法を行使している間はもちろんの事、終わったと告げてからも、すぐに意識が戻るわけではない。

その時間はミレニアが失っていた記憶を受け入れる方に意識を向けている時間であるため、頭の中を整理している最中に邪魔をされたら、本人が混乱する可能性がある。

記憶が正常に戻っている状態であれば、当然いずれは元に戻るが、わざわざ綺麗に戻した糸を絡ませる必要はないはずだ。


「わかったわ。皆もお願いね」


ミレニアの一言に、侍女や殿下が従う。


「かしこまりました」

「了解した」


そして、ミレニアは降りクールの入れたお茶のカップを一人の女性に手渡した。


「それじゃあ、これをお願い」

「はい。失礼いたします」


彼女は躊躇う様子もなくミレニアから差し出されたお茶を飲んだ。

そしてそれをテーブルに置く。

それからしばらく、誰も何もしゃべらず、室内は静寂に包まれた。



「特に問題はないかと思います。リラックス効果のあるお茶のようですが、味も大変よろしいものです」


静寂を破ったのは毒味をした女性だった。

皆が彼女に変化がないかを見守っていたが、特にその様子がない事を確認すると、誰からともなくため息が漏れる。

毒が入っていない事を一番理解しているロイクールですら、静寂の中にある緊張感から解き放たれて安堵したほどだ。


「そう。じゃあ、いただいたらすぐ、横にならせてもらうわね」


女性が飲んだカップを手に取ると、ミレニアはそれに口をつけた。


「本当に、いい香りだわ。初めてのような気もするし、どこかで飲んだ事のあるような気もするのだから不思議だわ。このまま眠ったら良い夢が見られそうね」


記憶はなくても味覚をつかさどる別の何かが知っているものだと判断しているのだろう。

思い出せないまでも、口にした事がある気がして、拒否感がないのなら、飲んでも大丈夫なものだと安心することができる。

人間の感覚とはそんなものだ。


「そういう効果もございます。元々普通のお茶ですから。それと、この魔法の行使以外にも、就寝時にお飲みになられる方がいるというのは存じております」


調合されているとはいえ、薬ではなくお茶だ。

茶葉の組み合わせでそういう効果を得ているだけのものなので、似たようなものが普通に市販されている。

いわゆる一般的なブレンド茶というものだ。


「そうか。私も飲んでみたいものだな」

「ポットに残っておりますが、新しいものをお淹れしますか?」


茶葉の予備は持っている。

ミレニアが飲むまでに時間が経っているので中のお茶はかなり冷めている。

熱い状態でお茶をお出しするのがマナーのはずなので、入れ変えることが必要ならばと申し出ると、殿下は不要だという。


「いや、このままもらおう。その方が同じものを口にしたと言える。毒味も済んでいるしな」


殿下がそう口にしている間に、侍女が手際よくカップを持ってきて、お茶を殿下に差し出した。

ロイクールは自分がする必要はないのだと察すると気持ちを切り替える。


「では、ミレニア様が横になられましたら始めさせていただきますので、私は準備を進めます」

「わかった。見守らせてもらおう」


そう言うと、味が分からないから不安もあってか、殿下はお茶を少量だけ口に含んだ。

ロイクールはその様子を見ながら、緊張しているのはミレニアだけではなさそうだと察し、普段通りに振る舞うよう努める。

ロイクールが殿下に意識を取られている間に、ミレニアは体を横にして仰向けになっていた。


「やはり記憶が戻ってくると聞くと緊張するけれど、このまま寝てしまったら緊張せずにすみそうだわ」


そう言って、ふふふっと笑ってから静かに目を閉じた。


「それで結構です。では、はじめます」


ロイクールはミレニアが横になったのを確認すると、その近くに寄っていってから、大切にしまっていたミレニアの糸を巻いたボビンを手元に用意した。

ミレニアの記憶から、二人の思い出に触れるのはこれで最後になる。

けれどこれからはミレニア本人と再び語り合う事のできる日が来るのだ。

それでもずっと、この記憶の糸は、ミレニアの記憶は、自分の心の支えだった。

これが手元になかったら、自分は自暴自棄になって、まっとうな生活を送れていなかったかもしれない。

ここでロイクールは大きな支えを失うことになるが、もう、この記憶がなくても一人で立つことはできている。



手元から失う事を惜しいと思う気持ちはあるが、改めてこの記憶と向き合えば、感謝の方が大きい。

何よりきちんと生きているうちにこの糸は主の元に戻るのだ。

戻せば自分の役割はまっとうされたのと同義である。

記憶を戻しながら、ロイクールは複雑な思いを胸に、触れる度に流れてくる記憶の一つ一つを頭に刻み込みつつ、別れを惜しむ。



ミレニアの中にある記憶の糸を引き出し、自分の持つ部分と比較を繰り返しながら、丁寧に糸を繋いでいった。

繋がれた糸を戻してそれを辿り、また預かっている部分を戻すため切って繋いでは戻す。

通常であれば、預かるのは一定期間というまとまった箇所なので、預かる糸は一本につながっている。

しかしミレニアの場合、まとめて記憶を切り落としたわけではなく、あくまでロイクールに関する記憶の部分だけを落としているので、ミレニアの糸は本数が多い。

ただロイクールは、その記憶の部分を一本の糸になるよう保管していた。

ちなみにどちらも美しい金色の糸であり、色褪せた部分はない。

その糸を一本に繋いで保管していたため、流れるままに触れて行けば、ロイクールの場面が走馬灯のように、時系列に見える状態になっていた。

そうすることで、預かった記憶が不足していないか、より確認しやすくなると考えたからだ。

けれど普通はそのようなことはしない。

だから今回の連れである旅人の記憶の扱いがどうにも気にかかったのだ。



だんだんと少なくなっていく糸を見ながら、ロイクールは最後まで集中して作業を進めた。

他の人の記憶だったら疲れたかもしれないが、見知った記憶なので、さほど苦痛ではなかった。

空になったボビンを、ロイクールはそれを静かに鞄へ収めると、ミレニアの様子を伺った。

ミレニアは眠ってしまっているからか、穏やかな表情で落ち着いた様子だ。

念のため、ロイクールは最後にミレニアの記憶が正しく繋がっているか確認する。

そしてロイクールが知る限り、その流れに問題がないと分かると、糸を戻してまぶたを閉じると、最後に見た記憶もしっかりと頭に焼き付ける。

それから目を開いて、音を立てないようゆっくりと立ち上がって振り返り、待っている人たちに目を向けるのだった。

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