仮想敵国への訪問と旅人の郷愁(11)
「まず、記憶は一つの糸が長く伸びていて、記憶が増えれば増えるほどその意図が長くなるとお考えください。その糸の削除したい記憶の個所を取り除く、これが忘却魔法の原理です。ですから、この記憶の糸を見ることができなかったり、触れられないなど、扱えないものには使えない魔法です。そして、記憶を切り取るという行為を改ざんと表現されるのであれば、そうだということになります」
まずは忘却魔法というものについて簡単に説明をする。
あくまで魔法によって糸状に見えるようになっている記憶を操作するもので、忘却魔法という名前になったのは、記憶を切り取って、その部分の記憶を本人の中から奪う、すなわち本人からすれば忘却したことになるからである。
だから意図的に術者が忘却させる事自体が、そもそも改ざんと言えなくもないと説明すると、殿下はもっともだとうなずいた。
「確かにその通りだな。他にはあるか?」
もちろん、そんな初歩的な説明を聞きたいわけではない事はロイクールも理解している。
本当は他の方法を説明すると、そういうことができると教えるに等しく、後々悪用されかねないためあまりよくないのだが、この魔法をそこまで使いこなせる術者はそういない。
改ざんの一つの方法を除けば、そんな器用な事ができるのはロイクールと、その師匠である彼の大魔術師くらいのものだろう。
だからここできいたことを他の術師に説明されたところで、実行できないのならば問題ない。
ロイクールはそう判断して、可能な事を補足する。
「記憶の糸を戻す際、繋ぎ方を変えることなどができなくはありません。基本的に記憶には流れもありますし、本人の意識の中で正しく修正されていくことが多いですが、無理矢理違う場所に抜き取った記憶を結びつけることもできなくはありません。あとは、記憶の糸を傷つけてしまった場合、その記憶内容が失われてしまうこともあります」
繋ぎ方を変える、つまり順序を入れ替えることができる、これはできなくはない。
本人の中にある、正しく直そうと働く強制力にもよるが、違和感のないようにつなぐことができれば、それは自然に受け入れられる。
記憶とは非常に曖昧にできている者なのだなと、すんなりできてしまった時、ロイクールは複雑な心境になったのを覚えている。
「なるほど、つまり先ほどの邪魔をするなというのは、記憶の内容を少したりとも失うことなく戻すためということだな」
「はい」
説明を聞いた殿下は、忘却魔法が繊細な技術を使いものと正しく理解したらしい。
そして、邪魔されたくない理由も同じように捉えてくれている。
理解ある相手であるのはありがたい。
ロイクールがそんなことを思っていると、殿下から次の質問が飛んできた。
「しかし記憶を管理していたと聞いたが、それは?」
傷つけないようにするために大切に保管するというのは理解できる。
記憶管理ギルドというものまで作って適切に保管しているというのは理解できるが、それならば他の預かり物を管理するギルドと同一で構わないはずだ。
預かっているものの性質ゆえかもしれないが、記憶が糸という品になってしまえば、あとは預かっておくだけになるはずである。
あえて特別に扱われているのには理由があるのか。
殿下にそう問われたロイクールは糸の性質について説明を加える。
「記憶の糸は抜き取っても必ず本人の方に引っ張られていきます。そして本人の命が尽きると、どういうわけかその命とともに消えてしまうのです。記憶の糸は本人の元に戻ろうとするので、記憶を失った状態を継続させたいということになると、持っている記憶が常に戻らないよう管理、拘束しておかなければなりません。そのため、管理するための道具をそれぞれのギルドが独自に持っていたり、さらに管理する場所の立ち入りに制限をかける仕組みを構築していたりと、かなり特殊な環境を整えなければ記憶管理ギルドは承認を受けることができません。だからこそ、国民の信頼も厚いのです」
国から認可を受けている記憶管理ギルドが上位のものとして扱われるのは、過去、戦争の記憶から多くの人たちを救った師匠の功績と、正しい管理と適切な使用をしているギルドが、師匠の意思を汲む形で運営されているからだ。
そんな師匠の最後の弟子である事はロイクールの誇りである。
「なるほど。つまり一時的に抜き取ったとして、それを放置していれば、勝手に記憶は戻ってしまうのだな」
記憶の糸は何かしらの形で本人の元に戻らぬよう留めておかなければならない、そう理解した殿下が眉間にしわを寄せた。
仮にその糸が戻ろうと勝手に本人の方に向かって動いたのなら、記憶が戻っては困る相手は戻る前に捕まえるべく動くに違いない。
「基本的にはそうなります。ですから記憶の糸を手荒に扱う者が出ないよう、厳重に管理する必要があるのです」
本当に戻っては困る記憶の場合、その場で切り刻んで戻りにくくしてしまう可能性が高い。
刻まれようが引っ張られて戻るだろうが欠損は発生する可能性があるし、細かすぎれば正しくつなぎ直すこともできないかもしれない。
そのようなことにならぬよう、そもそも事件がらみの記憶は抜きだすことが禁止されている。
ただそれは、あくまで自国での決まりごとにすぎないし、非公式の使用者について把握しきれていないのが現状だ。
「そうか。だから貴国は悪用できぬよう、法で制限を加えているのだな。理解した」
自分の身は自分で守るべきなのだろうが、こればかりはそうも言っていられない。
この魔法が広まっている以上、使うなと言うだけでは歯止めがきかないだろうから厳重な管理をすることになった、という経緯があるのなら理解できる。
そこまでしなければ悪用を止めるのは難しいからだろう。
「ありがとうございます。そろそろお茶もよろしいかと思うので、始めようと思うのですが」
ロイクールの申し出をうけて、殿下はミレニアに視線を送る。
「そうか。ミレニアがよければ始めてくれていい」
「はい」
ミレニアの返事を確認すると、ロイクールは慣れた手つきで近くに置かれたお茶のセットに手を伸ばす。
ロイクールの知るミレニアならば、殿下との話に入ってきたに違いないが、緊張しているのかそういうことはなかった。
ロイクールはその点を気にかけつつも、慣れた手つきで準備を進めるのだった。