仮想敵国への訪問と旅人の郷愁(7)
侍女の態度を見たミレニアがため息をつきながら謝罪した。
「不快な思いをさせてごめんなさいね。そもそもこちらから依頼して、遠路はるばるお越しいただいているのに」
殿下の話ではミレニアは大まかの事情を把握しているということだった。
どうやらそれは本当らしく、目の前にいる見ず知らずの人間が、これから自分が対峙しなければならない相手だという事も理解しているようだ。
そういうところに聡いのは変わらないのだなとロイクールは感心しながら答えた。
「いえ。得体のしれない夫でもない男と二人にするなど、いくら命令とはいえ快く思わないということでしょう。それだけミレニア様が彼女たちに慕われているということではないかと思います」
悪意のある侍女なら不快感ではなく、笑みくらい漏らしただろう。
王宮にいる間にそういう女性を多く見てきた。
だからここでロイクールに対して不快感を露わにした彼女は、少なくともミレニアの味方に違いない。
知らぬ土地でそのように心配してくれる人間がいることにロイクールは安堵していた。
「そうね。そう言ってもらえると気持ちが軽くなるわ」
起こる様子のないロイクールを見てミレニアもどうやら肩の力を抜いたようだ。
そこでロイクールは姿勢を正すと改めて挨拶をした。
「申し遅れました。改めましてミレニア様、ロイクールと申します」
そう言って貴族に向けた礼をすると、ミレニアは静かにうなずいた。
「わざわざご紹介ありがとう。いつまでも立っていないで座ってちょうだい。ああ、私が勧めなければいけなかったわね」
ミレニアはロイクールに向かいの席に座るよう促した。
「ありがとうございます。失礼します」
ロイクールは言われるがまま、ミレニアの向かいに座る。
これが二人の、久々の再開となるのだった。
「先ほどの彼女たちは最初に来た時からずっと?」
遠くからじっとロイクールを見ている彼女たちの視線を感じながら尋ねると、ミレニアは笑みを浮かべながらロイクールに視線を送る彼女たちの方を見て答えた。
「ええ。一番大変な時を支えてくれた大切な人たちよ」
「そうですか……」
友好国なのかわからない、仮想敵国に一人で嫁がされたミレニアが、この地でどれだけの苦労を背負うことになったか分からない。
異国というだけでも大変だったはずなのだし、近くにいる人間を信頼できるようになるまで、そう言った人間関係を構築するまで、どれだけの困難が待っていたか、想像するだけで心苦しい。
本当ならばそんな時こそ支えになりたかったが、ミレニアにはロイクールの記憶がないし、ロイクール自身が国外に出ることを認められていなかったこともあり、ついていく事もサポートすることも叶わなかった。
ミレニアの口にした大切な人の中に、ロイクールは入ることができなかったのは無念だと改めて思う。
あの時、自分にできたのはミレニアから預かった記憶を大切に保管し、王族と距離を置くことだけだった。
ミレニアだけではなく、ロイクールも苦しんだのだ。
だからロイクールにも自分を癒す時間が必要だったけれど、そんなことを口にしても、何もしなかった言い訳にしかならない。
「本当に申し訳ないのだけれど、私がどうしてその記憶を手放したのかはわからない。その時はよほど思いつめたのかもしれないけれど、今は多くの者たちが支えてくれると信じているから問題ないわ。だから預けた記憶を戻してもらおうと思うの。きっとここに来る決意を揺るがすような、そんな記憶なのだろうと推測しているのだけれど、そうならば問題ないわ」
もうこの国の地に足はついている。
基盤もある。
信頼できる者も近くにいる。
だから問題ないとミレニアが強い決意をロイクールに伝えると、ロイクールは苦笑いを浮かべたものの、すぐにその意思を尊重するとうなずいた。
「わかりました。ところで、記憶を戻すのにあたって横になっていただいたりする必要があるのですが……」
「そう。別に構わないわ」
女性にそのような格好をさせるとはなどとミレニアが言う訳がないことはロイクールも分かっている。
けれどここでそれを行うわけにはいかないので、部屋を用意してほしいと伝え、最後に大事な説明を加える。
「もちろん、部屋に二人にしてほしいなどとは言いませんからご安心ください。邪魔をしないでくださるのでしたら、そちらの女性たち全員に見張られていても特に問題ありません。こちらにやましいことはありませんので。もちろん、そちらの殿下も立ち会われるのでしたらそれでも構いません」
男女二人で一つの部屋になど、そんなことが知れたらミレニアの名誉に傷がつく。
国は違うけれど、ミレニアに肩身の狭い思いをさせたくはない。
ロイクールが伝えると、ミレニアは微笑んだ。
「それは心強いわ。とりあえず聞いてみるわね」
「ちょっと一人、来てもらえるかしら」
ミレニアが女性たちの方に向かって声を張ると、すぐに一人の女性がそれに答えた。
「はい、ただいま!」
そう言って早足で女性が歩み寄ってくる。
そしてミレニアの横で用件を伺う姿勢を取ると、ミレニアは早速彼女に説明した。
「あのね、今回彼を呼んだ理由は知っているでしょう?そのために色々用意などを頼みたいの。まず私が横に慣れる場所が必要ということだから、寝室とは別にそういう場所を用意してちょうだい。それで、そういう場所で魔法を使用するから、もし私が何かされることを懸念しているのなら、信頼のおけるあなたたちや、殿下にも同席してもらえばいいっておっしゃってくれているの。準備だけではなく立ち会いも頼めるかしら?」
ミレニアが言い終わると、女性の方は信頼のおけると言われたことが嬉しい様子で即答した。
「もちろんです。私たちもご一緒させていただきます!」
そんな気合の入った女性にロイクールは声をかけた。
「わかりました。私からもお願いします。繊細な魔法を使用していますので、くれぐれも邪魔だけはしないでください。仮に立会人が原因で預かった記憶に傷がつくようなことがあれば、たとえ事情を知らぬものであっても容赦するつもりはありません」
これまで傷一つつけず、大切に守ってきたものだ。
そうすることだけが、ロイクールにできるたった一つのことだった。
それをこの場で傷つけられたら、ロイクールは怒りを抑えきれないかもしれない。
「私からも彼の邪魔をしないようお願いするわ。この私が記憶という大切なものを預けるに値すると判断した相手だもの。私のことを信頼して中央を出てついてきてくれたあなたたちか、それ以上に信頼をした者に値すると思うわ」
あなた方も信頼しているが、彼も当時の自分が信頼した相手なのだから失礼な行動を慎めと暗に伝えると、彼女はうなずいた。
「わかりました。このまま殿下にお伺いを立てても?」
「もちろんよ。殿下は何もおっしゃらないと思うけれど」
そもそもこの話をミレニアに伝えてきたのは殿下だ。
彼らを呼ぶことまでしておいて、今さらそのようなことは認めないなどと言い出すような人物ではない。
「ですが、何かあってからでは……」
事情は理解できるが、自分では判断ができないと表情を曇らせた彼女に、ミレニアは言った。
「そうね。あなたたちが困ってしまうでしょうから、いってきてちょうだい」
「失礼します」
ミレニアが声をかけた女性は、指示にに納得するとすぐに離れていった。
見守っている一人に声をかけてロイクールが来た方に足早に移動していく様子から、おそらく殿下のところに向かうのだろう。
ミレニアは穏やかな笑みを浮かべながら、そんな彼女の背を見送る。
そしてそんなミレニアを、眩しそうにロイクールは見つめていたのだった。