仮想敵国への訪問と旅人の郷愁(6)
いくらロイクールがあの国をよく思っていないとを察していたとしても、仮にもその国に籍のある国民にそんな話をしていいのかと思わなくもないが、先ほどもこちらの国に来ないかと誘ったくらいなのだから、思うところがあってのことだろう。
「それにしても、あの姫は自分に価値などないことを理解できていない可哀想な姫だな。若いうちは何とかなっても、あれでは貰い手のないまま年老いていくだけだろう。しかしミレニアには申し訳ないことをした。結局、この国とあの姫の犠牲になったのだから」
ミレニアには申し訳ないが、政治的判断としては間違っていなかった。
それは今でも思っている。
そして分からなかったとはいえ、あの時のことについての弁明を続けた。
「念のために言っておくが、彼女は国を出る時、婚約者を気にしていない様子だったし、それがこの国の矜持なのだろうと、あの時はさして気に留める事もしなかった。そなたとの婚姻も、そなたを貴族が繋ぎとめる一つの手段として選択したものだったに違いないと、そう考えていたのだ」
姫も平民に嫁ぐはずだった彼女が高位なものに見染められてよかったと言っていたし、ミレニアもそれに同意していた。
念のためロイクールの事を調べれば、確かに彼は戦争孤児となった平民だったし、魔法に才能があり、彼の大魔術師に認められ最後の弟子となり、王宮勤めをしていた経緯もわかった。
ミレニアが魔法の才溢れる家系に生まれている事もあり、その才能を継ぐか、それ以上の才能を持つ子を望まれて決まったことだったのだろう。
国が能力を買って王宮に勤めることを認めたくらいなのだから、それだけの価値ある男で間違いない。
その調査結果から、ロイクールとの婚約も事情があって上が決めたものだと解釈したのだ。
しかし今回、意外なところから、ミレニアとロイクールとの関係を知らされた。
それはこちらが招いた商人だ。
その商人が二人の関係や記憶管理ギルドに関しての情報をもたらした。
そこから二人の人間関係についてよくよく調査をした結果、ミレニアがロイクールに記憶を託したらしいことを突き止めた。
「そちらにそのような特異技術の魔法が確立されていて、記憶を国が管理しているなど、当時は考えてもみなかったのだ。ましてやミレニアがそのようなものにすがるほど苦しんでいたなどとは、当時、全く気がつくことができなかった」
その苦しみを知るのは本人であるミレニアと、その記憶に直接触れたロイクールだけだろう。
そして、記憶を預けるにあたって家族には相談しただろうが、彼らならミレニアの判断に任せたに違いない。
忘却魔法について機密事項ではないし、ミレニアとロイクールの関係は当時の貴族社会において周知の事実だったので、商人がその話をしたことも特に問題はない。
国が違うとはいえ、何年もの間、その話がここまで伝わらなかったことの方が驚きだ。
ロイクールが黙っていると、彼は続けた。
「我々の話が必要ならば、後日時間を作る。ミレニアを待たせているので私が引き留めておくわけにはいかぬ。それに記憶が戻ったら、その状態のミレニアと話をする必要もあるからな。とにかく一度話をしてみてくれ。判断はそなたに任せる」
知識が不足していたからなのか、今まで無関心だったのかは分からない。
けれどロイクールにできることはミレニアの希望を聞くことだ。
そのためにも、まずミレニアに会わなければならない。
「かしこまりました」
ロイクールがそう言って頭を下げると、一人の男性が進み出た。
「それではご案内いたします」
そう促した彼に、殿下も同意する。
「そうだな。彼についていってくれるか。後ほど頃合いを見て声をかけるとは思うが、それまでゆっくり話すといい」
ロイクールは小さくうなずくと彼にも一礼した。
「わかりました。お願いいたします」
「それではこちらへ」
彼はそういうとロイクールについてくるよう言った。
「はい。では、御前失礼いたします」
最後、深々と頭を下げると、ロイクールは殿下に背を向け彼に従うのだった。
彼について歩くと、そう遠くもない距離にある庭のようなところに出た。
晴天なこともあり、東屋のようなところではなく、草原の中央に椅子とテーブルだけを置いたような、見通しのいい庭がある。
一つのテーブルに二つの椅子、その一つにはすでに女性が座っている。
横には侍女と思しき女性がワゴンと共に待機していて、とても和やかな時間が流れているように見える。
女性はお茶に手を伸ばし、時には近くにいる侍女と談笑しているようだ。
遠くにいても笑い声のような高い声がかすかに聞こえてくる。
女性がお茶に手を伸ばすその姿は優雅で、所作は美しい。
それは過去に何度もロイクールが目の前で見てきたものと変わらない。
ご令嬢は日に当たるのを好まないので、屋根のある場所の方がよいように思われるが、死角のない場所という意味では正解だ。
ロイクールが、その光景をまるで一つの絵画を見るような目で立ち止まって見ていると、案内をしている者から声をかけられた。
「まいりましょう」
「はい」
彼はロイクールの返事を受けると、廊下からそのまま草原を模したような庭の中央に向かって歩き出した。
その後ろをロイクールがついていく。
そうしてロイクールはミレニアの前に連れ出されたのだった。
「ミレニア様、ロイクール様をお連れいたしました」
案内役の男性がそう伝え、ロイクールを紹介すると、ミレニアはうなずいてから、周囲に聞こえるように言った。
「ええ、ありがとう。下がっていいわ。皆も、下がってちょうだい」
最初から指示を受けていたのか、そこに抵抗の声を上げる者はいない。
「かしこまりました」
しかし侍女と思われる人たちはロイクールを睨むように見てから、ミレニアの許可を取って離れていく。
その様子から、ロイクールはここが仮想敵国であることを再認識させられた。
それは相手からしても同じだろう。
そしてミレニアはこの国の皇太子殿下の見染めた大切な人だ。
きっとそんな人に母国の人間とはいえ、家族でもない人間を近付けるのは不快なのだろう。
殿下から事前に指示があったのだろうが、明らかに歓迎されていないことを察したロイクールは、気まずそうにしながら、彼女たちが離れていくのを見送ることしかできないのだった。