仮想敵からの依頼と噛み合わない対話(16)
彼との面会を済ませ、自宅に戻ったロイは早速旅支度を始めた。
と言っても、そんなに持ち物は多くない。
過去の旅の経験が存分に活かされていて、遠出をするのに荷物を少なくする術が身についているためだ。
そのため旅支度はさほど問題がない。
問題があるとすればギルドの方だろう。
まずやるべきことは、この先、ギルドを空けることを就業員に伝えて、休みにするか働きたいかを確認する。
おそらく働きたいと答える者が多いだろうから、開けることになるだろう。
任せられる人材が多いので、対応はいつも通りでいいのだが、魔術師団が監視に来ることも知らせねばならない。
けれどイザークが味方になってくれている様子だから、困ったら彼らを頼るよう伝えておけば、頼る先があることで少しは安心して働くことができるはずだ。
ただ、ギルドの職員は、今まで騎士団の面々にあまりいい印象を持っていなかったから、魔術師に対しても同じ印象になっているかもしれない。
そこだけが心配だけれど、騎士団とは違って魔術師はおおらかな人が多いから、問題ないはずだ。
向こうもその心づもりで接してくれるだろう。
そもそも皆が魔術師たちと関わるような事態が起こる前に、自分がここに戻ってくればいいだけのことだ。
ただ、自分から申し出た、記憶喪失の旅人の記憶を探す時間はとりたい。
彼をこの旅に連れ出す以上、少しくらい成果を出さなければ、示しがつかないからだ。
できる限りロイクールが援護するとはいえ、彼は今まで幾度となく被害にあってきている。
そもそも普通の旅での危険はつきものであるのに、彼が表に出れば危険に出くわす確率は上がることが容易に想像できる。
理由は明確にならないままだが、少なくとも彼には監視のようなものがついている形跡があるし、仮に記憶を取り戻すようなことがあれば、また、それを奪いに来る可能性が高い。
その時、彼の記憶をどう奪われないようにするか、そして身の安全をどう確保するか、それが課題だ。
しかしミレニアの事はどうなるか分からないのだから、ならばせめて別の事でもいいから成果くらいは上げたい、ギルドの管理人ロイとしてはそんなことを考えていたのだ。
彼と面会した翌日、ロイクールは約束通り彼の元を訪れた。
彼は元々あった荷物は少ないと言って、全てまとめたカバン一つを軽く持ち上げてロイクールに見せる。
「おはようございます。これからよろしくお願いいたします。出発まであまり準備に時間も取れず慌ただしかったのではありませんか?」
ロイクールが尋ねると彼は首を横に振った。
「準備に関しては問題ありませんでした。そもそも手持ちは少なかったので。ロイさんこそ、お忙しいのに大丈夫なのですか?荷物も少ないようですが……」
ギルドの代表を務めているはずの彼の方が、自分よりはるかに忙しく、短時間での準備は大変だったはずだ。
元々も所有物がつくない自分はともかく、それと似たような分量しか荷物を持っていないのは準備時間が不十分だったからではないのかと、逆に心配されたロイクールだったが、それをあっさりと否定した。
「ギルドを開いたりする前、旅生活を送っていたことがあるので、現地で何とかできるものはそこで調達するつもりです。何より持ち歩く荷物は少ない方が動きやすいので」
開く前ではなく、開いたりする前、ロイクールは彼に王宮魔術師団に在籍していた事実を伏せるため、あえてそう口にした。
その言い回しに関して、彼は特に気にする様子を見せなかったが、これまでの自分の経緯と比較して思うところがあったのだろう。
「動きやすいというのはその通りですね。いざという時全部持てないような量を抱えて移動しても仕方ないですし」
確かに記憶がない状態で多くの荷物に囲まれていたら、不自由はしないかもしれないけれど、どうしていいか分からなかったと思う。
そもそもそれらが自分のものなのかどうかだって判別がつかないだろう。
もしかしたら自分がカバン一つだったのは、カバンなら身に着けていれば自分のものと認識できると、そう判断した結果なのかもしれない。
もしかしたらカバン以外の物も置いていてくれたかもしれないけれど、置いておいても自分が知らないと答えた結果、第三者に持っていかれてしまった可能性もある。
あらゆる可能性が考えられるけれど、その可能性について考えなければならないのは記憶がないからだ。
彼は思わずため息をついた。
「その通りです。ただ、私は経験がありますが、もしかしたら野宿などもあるかもしれません。休まらない日もあると思いますし、それが心配ですね」
彼は一応、相談を受けた時点で宿にいたし、お金も持っていた。
これまでもそうだったとしたら、きっと同じように宿に泊まっていたことが推測される。
野宿など失った記憶の部分を含めても経験がない可能性が高い。
だから不安はないかと念のため確認をすると、彼は首を傾げた。
「それに関しては、やってみないとわからないですが、そもそも、意識が戻った時の状況を考えると、今が恵まれすぎているだけなので、問題ないと思います」
彼の中ではどうやら、今回お金をたまたま身に着けていたから宿に泊まったけれど、もし持っていなかったらきっと野宿をしていたに違いない。
幸い街中に放逐されたから宿だってすぐに見つけられたけれど、山の中などだったらどうなっていたか分からない。
けれど自分ならきっと、本能的に生き残る手段を模索しただろう。
それに今回は別に記憶を奪われて放逐されるわけではない。
ありがたいことに多くの人に護衛されながら移動することができるのだ。
今まで移動した別の街の記憶などは残っていないから、感覚としては初めて旅をする気分だし、この状況なら、きっと野宿と言っても不便なだけで安全はかなり確保された状態になるだろう。
それにこの野宿の記憶が残せれば、今後の役に立つかもしれない。
そう前向きに考えていた。
「そろそろ馬車に乗ってくれ。出発だ」
これから国境を越える長い旅路が続く。
話は馬車の中でいくらでもできるのだ。
護衛役か御者と思しき男性に促されたロイクールと彼は返事をすると、男性の指示に従って、大人しく目の前の馬車に乗り込んだ。
こうして名前のわからぬ旅人と、護衛という名でついてくることになった複数の監視役と共に、ロイクールは初めて国外に出ることになるのだった。