仮想敵からの依頼と噛み合わない対話(15)
「なるほど、ロイさんがこれから尋ねる国、もしくはその方角に、失われた私の記憶のある可能性が高いと。なので一緒にどうかと、そういうことですね。私としてはご一緒することに悩むことはないのですが……」
他の選択肢を検討することなく、即答する彼にロイクールは、きちんと考えるよう促した。
「少なくともここにいれば、これ以上の記憶を奪われることはないと思います。それならば失ったものを取り戻しに行くのではなく、新しい記憶を紡いでいくという選択もあります。もし先日のようにどなたかが記憶の糸を放棄したのなら、その時は時間がかかってもあなたには記憶が戻ります。混濁するようでしたら、私を含め記憶管理ギルドの人間がそれをつなぎ直すこともできる。わざわざ危険を冒す必要はありません」
ロイクールが同行しないという選択肢を強く押すと、彼は首を傾げた。
「ではなぜ、ロイさんは私に同行するか尋ねたのですか?言わなければ、私が知らなければそちらの思う通りになったのでは……」
それは確かに彼の言う通りだ。
けれどロイクール自身がそれに納得できなかった。
「気持ちの問題が残るからです。少なくとも今までのあなたは一人で探して歩いてきた。そこに強い意志が感じられました。自分で見つけなければという。だから、勝手なことをされても嬉しくはないのではないかと思いました。何よりあなた自身のことなのに、自分で決められないのはもどかしいのではないかと」
このくらいのことしかできないが、誠意としてそうしたつもりだ。
ロイクールがそう伝えると、彼は口元をほころばせた。
「それで私に選択肢をくださったのですね。危険だけれど自分の足で、記憶をたどる道を歩かせようと」
少し感動じみた雰囲気を出している彼を見て、ロイクールは慌てて首を横に振った。
「そんなに大げさなものではないですし、本当にそれをあなたが望むかはわかりませんでした。以前、私が見つけて戻せるようにと一部記憶もお預かりしているわけですから、私だけが行って探しても問題はないのです。ですが、本人のあずかり知らぬところで一方的に決めていい話ではないと思いました」
記憶がないとはいえ、もう同じような事を繰り返したくない、そんなことになるくらいならこれからを大事いにしたいと、そう考えることだってできる。
今は記憶の大半が失われているから、それを補いたいと考えてしまいがちだけれど、その容量を新記憶が埋め尽くしたのなら、その時、果たして過去の記憶を本当に求めるのか、それが人次第である事をロイクールは知っている。
「そうですね。不思議なことですが、私は即決で行くと判断してしまいました。待っているという選択を、危険だという話を聞いても優先したいと思わないのです。私の中には自分で取り戻したいという欲が染みついているのかもしれません」
人任せにせず自分で行動したいという欲がある。
だから、その欲を満たすために一緒に行くのだと彼は言う。
記憶はなくとも本来の性格というのはそういうところに現れる。
今までそうしてきたのも、生き延びられたのも、きっと彼の中にそういう本能が眠っているからだろう。
「では、一緒に向かうということでよろしいですか。宿から移動ばかりでせわしなくなってしまいますが……」
王宮のように穏やかで満ち足りた生活はできなくなる。
道中、また危険と遭遇するかもしれない。
ロイクールがそう忠告すると、彼は笑いながら答えた。
「問題ありません。むしろこの場所に愛着を持ってしまったら、離れがたくなってしまったと思います。それでは自分で動けなくなってしまいますので、早く離れた方がいいのだろうなと考えていたのです」
これはあくまで保護されている間だけ許されている生活だ。
いずれ記憶が戻ったら。ここでのような贅沢はできなくなる。
だったらここでの生活に慣れ親しんでしまう前に、例え命を狙われようが、今までと同じ暮らしができる状態でいた方がいい。
ここでの生活が当たり前になってしまってから放り出される方が、後々よくない。
「私もできるだけあなたの身を守るよう努めます。護衛の経験はありませんが……」
一緒にいる人をそれとなく庇うことはしたことがあるが、きちんと護衛をした経験はない。
だから彼を必ず守るとはどうしても口にできない。
もしそう口にしたとしても、その約束を果たせる自信がないからだ。
短い期間ながらもロイクールをしっかりと見てきた彼は、首を横に振った。
「ありがとうございます。一緒に旅ができると思うだけで、心が浮き立ちます。今までもこうして誰かと旅をしたことがあったのでしょうかね……。もしかしたら初めてだからこそ、そう感じるということもあるのかもしれませんけど……」
これまでずっと、大半は一人で行動してきたと思う。
それは何となく身についている自分自身の行動から察せられた。
記憶はないけれど、何となく次に何をすればいいのかということが感覚で掴めていたし、その際に仲間を気にしたことはなかったからだ。
もしずっと誰かと行動していたのなら、きっと体が勝手にその相手を気遣ったりしたことだろう。
何より今回、ロイクールと一緒に旅ができると知った自分は、少し浮き足立っている。
不安を越えた高揚感で、出発を決めたのは初めてだ。
むしろこれで連れていってもらえない方が残念で、気持ちのやり場に困ったに違いない。
「前向きに考えていただけるのならよかったです。予定の詳細は相手の都合とのすり合わせが済んでからになりますが、数日内に出ることになると思いますので、ご準備をお願いします」
持ち物などがあまりないことは分かっている。
けれど出発に向けて心の準備をしてもらう必要がある。
ロイクールがそう告げると、彼は大きくうなずいた。
「わかりました。改めましてよろしくお願いいたします」
一度頭を下げた彼は、顔を上げるとしっかりとロイクールを見た。
そんな彼の目に不安は一切見られない。
ロイクールは、彼の芯の強さをその目の奥に感じ、こんな彼だからこそ、あの境遇で生き延びられたに違いないと思った。
同時に彼に選択肢を提示した判断は正しかったと安堵する。
「では、私も準備がありますので、本日はこれで失礼いたします」
ロイクールが立ち上がると、彼は待っていますと嬉しそうに言って、ロイクールを部屋から送り出したのだった。