敵からの依頼と噛み合わない対話(10)
「結果的に記憶を戻すか戻さないかはわからぬが、どちらにせよミレニアの記憶についての話であることに間違いない。どちらにせよ第三者が対応できる内容ではないと判断した。だからこうして話すことにしたのだ」
記憶の糸を持って来いと言われたからといって、必ずミレニアにそれを返せと言っているわけではないだろう。
結果的にそうなる可能性はもちろん高いが、すぐそこに結び付けるのはいくらなんでも浅慮だ。
それに第三者が尋ねて行けば、ロイクールに配慮した回答を得てくる可能性は下がる。
当事者ではないのだから、その程度のことで丸く収まるならと安易に了承してくる可能性が高いためだ。
それをどうにかしたい。
では一番配慮した形になるのはどうした時か。
本人に行かせ、そして答えさせる。
これに尽きるだろう。
「それならばお断りすればいいのでは?必要になったことが決定してから行くのでも遅くはないでしょう。当然、ミレニア様の記憶の糸を第三者に託すなどという愚かな真似はいたしませんが」
何かと理由をつけているがつまるところ自分たちで対処ができなくなったから、後始末をして来いと、そういう事だろう。
王族たちだけではなく、貴族とも、ミレニアとも距離を置いて、ようやく気持ちの整理をつけて生活が落ち着いたというのに、またその渦中に放り込まれるのかと思うと憤りを覚える。
自分たちの都合をさも当たり前のように押し付け、命を下そうとするその姿勢も気に食わない。
だから、できない事ならば先方に断ればいいだけではないのかとロイクールは言うが、魔術師長は首を横に振るばかりだ。
「そなたもこの話を受ければ、ミレニアに会うことも叶うだろう。元気な姿を見れば安心するのではないか?」
ロイクールがずっと一人身であり続けるのは、ミレニアの件があったからだろう。
結果はどうあれ、ミレニアと再会を果たすことで、その気持ちに変化が現れるかもしれないと魔術師長は考えていた。
しかしロイクールはそれを拒否する。
「記憶をもって彼女に会えば、記憶が強く彼女に引っ張られます。そのはずみで記憶が戻ってしまうかもしれない。何より、元気な姿を見ても、こちらがむなしくなるだけです。ミレニア様は私を覚えていないのですから」
本人からの希望がない限り記憶を戻すつもりのないロイクールは、まず、記憶の糸を持って近付いたら、こちらの手違いで記憶が戻ってしまう可能性があることを懸念した。
通常ならば、記憶の糸を持って行かないという選択肢もあるのだが、今回はそれが叶わない。
ヘマをするつもりはないが、もしものことを考えると、どうしても少し臆病になるところがある。
「向こうが何を思ってそう言ってきているのかはわからぬ。が、用件を確認をする必要があるにせよ、適任なのは、そなたしかおらんのだよロイクール。それにこれは命令だ」
魔術師長が言うと、ロイクールは大きくため息をついてから、自分がそれに従わなければならない理由はないと前置きをした上で今回はその命を飲むと告げた。
そして最後に一言、確認ついでに言葉を突きつける。
「私は魔法契約をしておりませんので、影響も縛りもありませんが、魔術師たちが人質なわけですね」
「すまないが」
魔術師の皆を守る義務、それだけはきちんと果たそうとする姿勢は昔と変わらないようだ。
それならば、これ以上ここで問答をしても彼が折れることはないだろう。
それにロイクールも元同僚や先輩、目の前の上司を陥れたいわけではない。
そんなロイクールの目の前に、魔術師長は紙を置いた。
「ここにあちらの国からの正式な書簡、彼女のサインもある。これは命令だ。そうせざるを得ん」
「魔術師長……」
本来ならばこのようなものをわざわざ見せる必要はない。
けれどせめてもの誠意だとして、魔術師長は、ロイクールの目の前にそれらを置いた。
「そなたには辛い仕事かもしれんが、彼女の糸を他人に託し、確認されるのも嫌であろう?それでもかまわんというのなら、ミレニアの記憶を預かり、別の記憶管理ギルドの人間を派遣してごまかすことも可能だ。しかしミレニアに記憶を戻せばそなたの事を思い出す。その時ミレニアがどう思うかを考えれば選択肢などないに等しいのではないか?」
内容を整理した形で、魔術師長は再度ロイクールに提案した。
「そうですね」
「行ってくれるな」
さすがのロイクールも、先ほど以上の意見はないと、渋々答えた。
「お引き受けいたします。しかし彼らはなぜ、今になってそのようなことを……」
「そこまではわからぬ。だが断るわけにもいかん」
再度、拒否権はない、ロイクール個人はともかく、国としては敵に回したくない所からの要求だから、これを国として拒絶することはしないだろうと付け加え、さらに国を管理する王族たちとの魔法契約を結んでいる魔術師たちも、上がそう判断したら拒否できないと言う。
当然ロイクールもそれは理解しているし、彼もこんなことを伝えればロイクールが機嫌を損ねることくらい分かっている。
ただ、この件の被害者である自分やミレニアにこれ以上の不利益を浴びせるのかと、そんな感情をもったロイクールは、それを表に出さないよう必死に耐える。
「彼女の記憶を使って何か良からぬことを考えているのかもしれません。記憶を返却したら、彼女は辛い思いをするかもしれない。国に帰れず悲しむ日々を送ることになるかもしれない。そう考えると私は……」
ミレニアの色あせぬ記憶と向かい続けているロイクールがそう言って唇をかむと、魔術師長はあちらにそういった狙いがあるのかもしれないという。
「奴らが何も考えていないとは思わぬ。彼女も苦しむやもしれぬ。こちらが警戒しているのは、記憶を返却したことで、彼女に内側から事を起こさせようと企んでいないかということだ。彼女は賢い娘だから問題は起こさぬと思うが……」
ミレニアがもしロイクールの事を思い出し、悲しむ日々を送ることになったとして、ミレニアの気持ちの変化が、どう行動の変化に繋がるか分からない。
つまり、記憶を戻すことで、婚姻させられたことに不信感を募らせ、その心境に何かしらの変化が出ることを期待されている可能性がある。
不信感を抱く程度ならばまだいい。
それ以上に悪い方に感情が動いてしまわないかの方が心配だ。
相手に敵意を持って攻撃的になるのならまだしも、過去と未来に絶望してしまうようなことになったら、きっと取り返しのつかないことになるだろう。
「わかりました。それも含めて、こちらも対策を考えて言った方がいいということですね。それでは準備もありますので失礼いたします」
状況は何となく見えた。
それならば対処は早い方がいい。
ロイクールが一礼して部屋から出ようとすると、魔術師長に呼びとめられた。
「ロイクール」
「まだ何か?」
ロイクールが背を向けたまま足を止めてそう言うと、魔術師長は静かに言った。
「いや、いつも役に立てなくてすまぬな」
その言葉でロイクールは振り返ったものの、魔術師長に言葉では返答せず、小さく首を横に振った。
それは彼に期待をしていることはなかったので、気にする必要はないという、ロイクールの意思表示だ。
ロイクールは最後に魔術師長を一瞥すると、軽く会釈してから部屋のドアを開けたのだった。