戦渦を生きた大魔術師と退役軍人たちの追憶(3)
大騒ぎの翌日から、ロイの指示で、受付は二つに分けられた。
通常業務である予約の人やボビンの購入などの依頼に来る人を対応するところと、大魔術師の孫から手紙を受け取って訪ねてきた退役軍人の対応をするところである。
少なくともこの対応によってボビンの購入など、すぐに終わる用事の人はスムーズに帰れるようになったため、少しギルドの待合室のスペースに余裕を作ることができた。
だが、割合の圧倒的に多い手紙を受け取った人を担当する受付は休む暇もないくらい大忙しである。
結局受付は午前と午後で通常対応と退役軍人対応の受付を交代するという措置をとって平等性を保って何とか回すことになった。
退役軍人たちは受付を済ませると無条件で会議室に集められた。
そしてロイが彼らに契約書を見せてサインをしてもらってから、事情を説明し、同じ部屋で対応していいという人を集めて、記憶を優先的に戻していくようにした。
大半の人はそれで問題ないと協力してくれたが、記憶の内容に不安があり、個別に対応してほしいという人に関しては、個別対応するかわりに、待ってもらうことを了承してもらっている。
ちなみに複数人で同時に返却を行うことになった部屋にベッドはない。
その代わり、多くの人が床に横になれるよう、きれいなタオルを敷きつめている。
まずはリラックスのためにいつも通りお茶を飲んでもらうのだが、その後、彼らにはそこに靴を脱いで並んで横になってもらうことになった。
正直この扱いに対しては、何かしらクレームが来るのではないかと思っていたのだが、想像に反してそのようなことにはならなかった。
すでに処置を終えた人や、前日処置を受けられなかった人が街に滞在していて、同じような状況で訪ねてきた人に状況を共有してくれていたらしく、むしろ予約もないのに効率よく対応できるように配慮してくれていることに感謝されることもあった。
複数人同時に記憶の糸を戻すと言っても、絡まってしまっては戻った記憶に障害が出てしまうので一人ずつボビンから外していくしかない。
ちなみに複数人の意図が絡まっても、それが理由で他の人のところに記憶が戻っていくようなことはないのだが、向かう方向の違うたくさんの糸を複数同時に扱うより、失敗した時のことを考えると、結果的に早く作業を終えることができると判断したのだ。
ただ、探しに行く時間、取りに行く時間は大幅に短縮されるし、効率はかなり良くなっている。
部屋に案内した人を寝かせて、彼らの状態が落ち着いたことを確認したロイは、糸車から外して持ってきている糸の中から、それぞれと引き合っているものを取り出した。
そして一人ずつ、糸が絡まらないよう、丁寧に戻していく。
幸い彼らの記憶の糸は短いものが多いため、比較的絡まりにくく、時間もかからないものが多い。
ロイは退役軍人たちの引きが強くなっている記憶の糸を全て抱えて、それらが勝手に戻っていかないように注意しつつも、処置が始められるようになっている人の記憶の糸を順番に解いていった。
記憶を戻された直後はその反動と、飲んでいるお茶の影響もあって、記憶を戻した瞬間は、ぼんやりとしているので騒いだりするようなことはない。
最初の人の意識がはっきりする前にそこに寝かせた数人の記憶を戻すことができれば、後は彼らに意識の混濁がないかどうかを確認して問題なければ全員お帰りいただくだけだ。
記憶の戻った軍人たちは、ぼんやりとしながらその記憶を受け取ると、ほとんどのものが涙を流していた。
ロイも確認のために記憶を少し見てしまうのだが、その糸のどの部分を触れても明るい記憶はない。
そう言う意味では彼らの記憶に触れるロイもかなり疲弊していたが、所詮は他人ごとだと割り切るしかない。
感情移入してしまえば仕事にならなくなるような悲惨な内容ばかりなのだ。
そうして戻された記憶と今の記憶が繋がり鮮明になったところで、彼らは並んで横になっている仲間とぽつりつりと話を始めるのだ。
普段であれば意識の混濁がないか会話をしながら判断する際、話相手になるのはロイの役目だったが、今回はその役を並んで横になっている仲間同士が勝手にやってくれた。
だからロイは急に起き上がろうとする人を留め、彼らの会話を聞いて内容を確認することに徹することになった。
彼らは意識がはっきりしてくると、軍人らしくお礼を言った。
「今までありがとう。おかげでこうして幸せな暮らしを手に入れることができた」
本人の記憶とはいえ、その内容は悲惨なものばかりだ。
忘れていることを忘れていられるのなら、ずっとその方が幸せだと考える人が多い中、なぜこんなにも多くの人が記憶を戻してほしいと言ってくるのかロイには分からなかった。
思わずロイがそのことを口にすると、それを聞きとった一人が言った。
「ワシたちは、そろそろコイツと向き合わなきゃならんかったんだよ」
彼は先ほどまでその記憶を見て涙を流していたとは思えない穏やかな笑みを浮かべている。
「この先、長く生きることは難しい。あの戦争を終えて何十年と、戦争の記憶を忘れたまま、そのことを考えず幸せに生きてきた。思えばあの時、こうしてもらわなければ自死していたかもしれん。そのくらい精神をやられていた。それは皆同じだったのさ」
記憶を戻された彼らは意識がはっきりとしてきたのか、その現実を受け入れることができたのか、意識のはっきりしたらしき別の人がロイに向かってそう言った。
「ワシらは、記憶を失ったことで、バラバラになっておった。ここで会うまで思い出しもしなかった。寝食も生死も共にした仲間なのにな」
記憶を戻してもらったことで、忘れていた仲間のことを思い出せたと、さらに別の人が言う。
記憶を抜かれたわけではなかったが、仲間のことなど思い出すこともなく平和に過ごしていた彼らは、戦争が終わった後、自分の住んでいた土地に帰っていった。
国全体が戦争で荒れた状態になっていたので、皆、自分の土地に帰って復興に専念することにしたのだ。
だからこそ今がある。
この平和な世の中を作った功労者は間違いなく彼らなのだ。
生きていくことで精一杯の人間が、仲間のことを思い出すことなどできなくても仕方がないとロイは思ったが、彼らからすればそんな軽薄な絆ではなかったはずだということだろう。
離れ離れになり、ここに来ることになるまで手紙ひとつやり取りをしなかったらしい。
連絡が取れなくなっていた人も多かったし、連絡をしなかったのはお互い様だと誰かが言えば、そうだなとそこにいるほかの人が納得する。
会話の内容はグループによって違っていたが似たり寄ったりではあった。
最後は長い年月が経ってしまったが今からでも交流を深めようという結論になり、すでに記憶の戻っている人たちの集まるところへと笑いながら戻っていく。
あの記憶を受け止めて、最後に笑える彼らを、ロイは複雑な気持ちで見送るのだった。