記憶喪失の旅人(10)
彼が頼れるのはロイしかいない。
もしかしたらその記憶だって奪われる可能性があるけれど、今はロイという存在があるだけで安心感がある。
だから不安になったらロイの言葉に甘えてギルドに駆け込むつもりだ。
そしてそんな安心を得たところで彼は、ようやく自分の今後に目を向けた。
「あの、自分で動かない方がって言われましたが、何もしないで宿にいるわけにはいきません。これからの生活もありますし……」
お金が手元にあったといっても、このままでは目減りするだけだ。
働きに出るなり、住み込みの場所を探すなり、生活していくために何かしなければならない。
現実を突きつけられたと急に不安そうにする彼だが、この調子でよくここまで無事でいたなとロイは思っていた。
そこに何か大きな秘密かヒントになるものがありそうだが、それは分からない。
「今まではどう……」
ロイは思わずそう尋ねかけて、一度口を閉じた。
それらの記憶がない事を知っていながら、今までどうしていたのかを聞くのは愚問だ。
それが分かるなら、その記憶を糸口にしてもっと彼本人の情報を集められていたはずなのだ。
「あ、いえ、それについてなのですが、実は一つ報告があります」
ロイは自分の吐きかけた言葉をかき消すように窓の方を一瞥してから、視線を彼に戻してそう言った。
「何でしょう?」
さっきの記憶から何か大きな情報が得られたのかと目を輝かせた彼に、ロイは慌てて説明する。
「期待されているような内容ではないですが、一応国の方に話が通りまして、調査に協力を仰いでいます。それと、体が大丈夫でしたら起きていただいて、ちょっと窓側へよろしいですか。体を起してふらつくようなら、先に話だけでもいいのですが」
「はい。大丈夫だと思います」
ロイに言われた彼はベッドからゆっくりと体を起こした。
めまいなどで転倒しないかということをロイは心配し様子を見ていたが、どうやら自力で動いて問題なさそうだ。
彼はベッドの上に一度座った状態になってから、ゆっくりと立ち上がった。
そしてロイに誘導され、静かに窓側の壁に体を寄せた。
「あそこに制服の騎士がいるでしょう。彼らが陰からあなたを護衛してくれています。交代はありますが、基本的にはあの制服を着ている人がこの国の騎士団の人間です。一応、そういう人が付いています。身の安全を確保するためにいるのですが、行動を制限したりはしないと思います。ただ、ついては来ますので、慣れていないと不愉快かと思います。それでもし希望されるなら、この話を通してくれた人か、彼らの上司と話ができるようにします。あちらとしてはあなたと一度話をしてみたいと思っているようなのです。お一人だと不安でしょうから、もし子希望されるなら私も同席します。情報を多くの人と共有しておけば、完全ではなくともそのことを誰かが覚えているでしょうし」
ロイは説明をしながら、窓の外を指さして、彼にそちらを見るよう促した。
四六時中監視される状態なので不便だったり不愉快な事もあるかもしれないが、同時に安全も確保できるようになった。
だから彼らの目の届かない所でなければある程度行動ができる。
ただ現状で長時間かつ、護衛が入れない場所での仕事に付かれるのは困る。
「不便だなんてそんな。護衛がついてくれて、しかも自由に動いていいのなら、むしろ感謝しかありません」
日用品の買い物にすらおっかなびっくりしなければならない生活だったので、気軽に買い物に行けるのならありがたい。
ゆっくり外食などもできるようになるのだから、気分転換も可能だ。
今の恐怖に怯えた生活からひとつ、落ち着けるのはありがたい。
「そんなわけで基本的に騎士が付いていますが、ここの騎士は魔法は使えません。あくまで力で押し返すか、隙を作るか、人を呼ぶか、その程度でしか役に立たないと思ってください」
護衛と言ってもたいしたことはできないので、彼らが完璧に彼を守れるわけではないので、警戒を怠ることはしないでほしい。
ロイがそう伝えると彼は首を横に振った。
「それでも、こんな厚遇されるなんて、驚いています」
ロイと窓から見える護衛を交互に見ながら、待遇を受け本人はそう言う。
「それと、もし護衛の責任者との面会に応じていただけるのなら、その時に生活面について相談するのもいいかもしれません。費用の援助ができるかはわかりませんが、王宮内の寮など、比較的安全なところに部屋を間借りなどでよければ、少し不自由かもしれませんがお金の心配は減るかもしれません。もちろん、相談になりますし、聞き入れられるかわかりませんが」
彼の事件がどのように扱われるかによって、どう保護をするかを決めるのは自分ではない。
でもすでに護衛をつけることが認められ、実際に保護対象として彼が扱われているのなら、ロイの提案が一番守りやすい。
彼らとしてもこのようなトラブルが起きているのに、それを放置するわけにはいかないし、彼は被害者であり、数少ない証言ができるようになる可能性のある人物だ。
これが事件なら、解決に彼の存在は不可欠なので、彼はこの事件の重要人物と周囲は認識している。
ただ彼にはその自覚がない。
論理的に考えるという能力は、記憶を失くしても残っているようで、説明した内容を理解する力は高いが、考えるための手掛かりとなる記憶がないからか危機感が薄い。
本当ならば助けてほしい、守ってくれと縋ってもおかしくないような状況なのに、なぜか飄々としているし、それどころか待遇がいいと喜んですらいるから不思議だ。
「そのようなことができるのですか?」
彼の発した言葉に、ロイはうなずく。
「あちらも多分それを望んでいると思います。先ほどの話はこちらから提案しなくても、向こうから言い出す可能性が高いでしょう。あちらとしては、そうすればわざわざ人手を割かなくても、四六時中目が届きますし、外出の時は声をかけてほしいと言われて誰かが付き添うだけでいいのです。ただ今よりも近いところでずっと監視されていることになります」
ロイの説明を聞いた彼は、少し考えてから自分決意をロイに述べた。
「安心、安全の対価でもあるというわけですね。ですが何度も記憶を失っているようですし、その時に襲われたりしているのかもしれないので、そう考えると、双方にメリットがあるのなら、こちらが不自由であることには目をつぶるべきかと思います」
彼の話を聞いたロイは、とりあえず護衛の責任者に当たる人物を連れてきて、話を詰めた方がいいと判断して、宿を出ることになった。
後日の話し合いの結果、彼の件は国に任せることになった。
本人も彼らの監視下に入る方が安全だからと納得の上、宿を引き払っての移動だ。
この件については犯罪に関わっている可能性が高いので、国も積極的に調査を継続するし、もしロイの方に情報が入ったらそれを彼らに提供する事も約束した。
運が良ければ早い時期に何かしらの進展があるだろう。
こうしてとりあえずロイの手から離れた案件だったが、調査のためにと彼から預かった貴重な一食分の記憶はロイの手元に残されたのだった。