記憶喪失の旅人(7)
「そうですね。ですが通常と少々違う点もあるのです」
要点を確認すべく説明した先輩の言葉では認識に齟齬がある。
ロイがそう口にすると、先輩はロイをまっすぐ見て聞いた。
「どういうことだ?」
「まず、物取りの犯行ではなさそうで、持ち物は失くなっているものの、身ぐるみを剥がされるようなことにはなっていません」
この手の犯罪では、どうせ記憶に残らないのだからと、過剰に物を持ち去ったり暴行を加えたりするケースが大半だ。
けれど彼にはそれを受けた形跡がなかった。
傷も放り出されたりしたら付くかもしれない程度であり、暴行されたような怪我をした様子も見当たらなかった。
何より、記憶の有無はともかく、そのようなことがあれば本能がそれを回避するように恐怖を感じさせるはずなのだが、彼に関しては記憶を奪われた場所の話をしても、そのような反応をすることはなかったのだ。
つまり体が反射的に反応を示すほどの恐怖を与えられてはいない可能性が高い。
だからこそ彼は自分で記憶を探す旅を続けられているのだろう。
「だが、そもそも持ち物はなくなっているのだろう?」
来ているものをはぎ取られていないとはいえ、旅をしているはずなのに手ぶらというのだから、元々持っていたものは誰かに奪われているはずだ。
先輩がそう言うと、ロイは首を横に振る。
「ですが、服は来ていますし現金は持っているのです。その部分についても本人の記憶がないので何とも言えませんが、物取りの犯行なら、まっ先に奪われるはずの現金が残されているというのがわかりません。もしかしたら持ち物の中に、その事件の鍵になるようなもの、人に知られては困るものがある、もしくはあったのかもしれませんし、犯人はがそれだけを狙ったという可能性もあります」
ただこれだと残る疑問がある。
一度目に全ての荷物を奪っているはずなのに、なぜ二度目以降も同じようなことになってしまっているのかだ。
二度目が偶然、一度目の記憶が戻りかけてしまったからとか、その記憶と同じようなものを手にしてしまったからというのも考えられるが、それだってそう何度もあるものではないはずだ。
「なるほど。他にあるか?」
ロイは他にと促されて尽きない疑問を口にする。
「そうですね……、もしそういった単純犯罪であるなら、その部分の記憶だけを抜き取るか、抜き取れる部分をまとめて抜くというのが普通です。記憶の糸は本人のもとに戻ろうとして、本人に引き付けられるものですから、切れていない長い糸の方が管理がしやすいのです。ボビンに巻けば、それがほどけきらない限り、相手に記憶が戻ることはないのです。糸は長い方がボビンから外れにくいし、ほどけるにしても長さに比例して時間が長くなるのです。それなのに細かく刻まれている。逆に無意味だけれど知識の部分の記憶は残す必要があるような、そんな扱いに見えます」
そこまでしてなお、彼がなぜ生かされているのか、なぜ一度ではなく何度も同じような目に合わされるのか。
考えられる状況を口にし、頭を整理していくと、よりその理由がわからない。
「私には忘却魔法は使えないが、理屈はわかる。今回はそうではないのか?」
記憶の糸というものを普通の糸として考えれば、ロイの言っていることは理解できるが、魔法を扱えなければ、記憶の糸がどのようになっているかを確認することはできない。
だから失った記憶というものが何度も抜かれているのか、まとめて抜かれているのか、先輩には判別することはできないという。
だからロイは彼の記憶の糸の状況を詳細に説明する。
「はい。彼は何度も記憶を抜かれています。おそらくですが、彼の記憶は一箇所ではなく、分けられて複数箇所で管理されているのではないかと推測されるのです。私も彼の記憶を探すため少し記憶を見せてもらったのですが、不自然につながっていましたし、場所によって術師が違う用に感じられました。違法ギルドによるものとは思いますが、彼は私を頼ってくれました。ですからできる限り安全に過ごしてもらいたいのです」
これ以上、彼を危険な目には会わせたくないとロイが言うと、先輩は難しい顔で唸る。
「そして、その彼は?」
被害者である彼はどこにいるのかと先輩がロイに問うので、保護してもらえそうだと安堵し、先輩に彼がどうしているのかを話す。
「手元にお金があったそうで、ここに来る前からご自身で宿を取って泊まっています。宿の場所と、彼の特徴は後でお伝えします。それでもし判れば、彼の身元を先に割り出してほしいと思います。彼がこのような扱いを受けているのには出自が関係しているように思えるのです。一番狙われるのが、自分のことを知ろうとしたり、そのヒントを得た時のようなので」
ただこれはロイの勘でしかない。
当人に記憶があるわけではないからだ。
「わかった。じゃあ、届け出の書類を書いてもらえるか。保護はできないかもしれないが、事件かもしれないといえば、監視という名目で誰かしらがつくだろうから、必然的に身の安全も守れるはずだ。それと身元の調査はこちらでやっておこう」
「助かります」
話を聞いた先輩があらかじめ用意されていた申請書の中からその一つを取りだすと、インクと共にロイの前に差し出した。
ロイはその内容を確認し、記入を始める。
「本人はこのことを知っているのか?」
本当は本人から事情も聞きたいところだが、本人にはそもそも記憶がないというし、こちらが出向いたところで、対応が難しそうだというのは分かる。
保護の依頼なので本人でなくとも申請は可能だが、急に国が彼に接触したら、記憶の有無に関係なく、驚くだろう。
先輩の相談を兼ねた質問に、ロイは少し考えてから必要な情報を伝える。
「いえ。ですが事件に巻き込まれている可能性があれば、国が対応するということは説明してあります。彼は大半の記憶を失っているのに、そういったことの理解はできますし、言葉も問題なく通じます。ですが国が動いている事を知ったら相手がどう出るか分からないでしょう」
記憶を失っているのに、不思議なほど冷静な彼を思い出しながらロイが言うと、先輩にも思うところがあったらしく、表情を歪めた。
「そうだな。接触はいざという時に限定した方がいいかもしれない。だが接触するかもしれないから、その情報は助かる。通訳をおかなくていいということだからな」
「そうですね。この先に置いてその部分の記憶を彼が失わなければですが」
国が接触したことで逆に彼が危険にさらされたら意味がない。
ロイがそう言うと当然だと先輩はうなずいた。
「それはこちらの名誉にかけてさせないつもりだ」
「そうですね。申請されたのに保護に失敗したら恥になりますしね」
「人々の身を守るのは、騎士たちの仕事だけどな」
忘却魔法に関して法律が整備されているため、法律に則って動くのは騎士団の仕事になる。
今でも荒事が絡むものについては、魔術師より騎士が出てきて対応することが大半だ。
ロイがあの環境に置かれた当初なら協力を仰ぐのは難しかっただろうが、今はそれがない。
依頼を流すということは、騎士と魔術師はうまくやっているのだろうとロイは安堵の息を吐く。
「彼に対して手荒なのはやめてくださいと念を押しておいてください。今なら事情を説明して監視程度でいいと思います」
書きあがった書類を先輩に渡しながら、そう言うと、彼は書類を受け取り確認してからうなずいた。
「わかった。これはもらっていく。それから報告に感謝する。それと、私個人としては先日の件も」
書類に間違いがないことを確認すると、先輩は立ち上がってロイに頭を下げた。
ロイは慌てて立ち上がると、先輩に頭を下げる必要はないと伝える。
「それはもう終わってますから。それに先輩がこうして仕事に戻っているのなら、家は落ち着いたということでしょう」
「おかげで、穏やかな気持で送ることができた。本当に感謝している」
あの後、無事に葬儀を終えたし、妻も喧嘩の期間の事は後悔しながらも、最期に話ができたことで大きく救われたという。
「それはよかったです。ではこの件、よろしくお願いします」
「わかった」
とりあえず過去の件については先輩の役には立てたようだ。
今回、先輩が来てくれて、その後の家の現状を知ることができたのは思わぬ収穫だった。
話を終えた先輩を見送りながら、またこうして関わりを持つことになったのは偶然なのか、運命のいたずらなのか。
あるいは前触れだったのか。
そんなことを思ったが、ひとまず彼の乗る馬車が見えなくなったところで、ロイは改めて依頼主の事を考える。
彼の身の安全は確保できそうだから、彼の護衛が始まったら、彼の期待に応えるべくロイも調査をしなければと、手元にある彼から預かった短い記憶の糸に、それとなく触れるのだった。