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記憶喪失の旅人(2)

自分の記憶のほとんどを失っていると思われる彼と、受付のやり取りは続く。


「では、こちらに来るまでに、自然にできたことはありますか?例えば、お金は使えましたか?この国の通貨の単位とか、そういうのはどうでしょう?」


記憶を抜かれる際、その時に覚えた知識などが抜け落ちてしまうことがあると聞いている。

その話を思い出し、ほとんどの記憶がない彼もそうなのではないかと考えての質問だったが、逆にそうではない事が分かった。


「言われてみれば、お金には困りませんでした。懐に入っていたのでそれを使って買い物もしました」


しかも彼は自分が意識を取り戻した際、お金を持っていたのだという。

荷物はなかったのに懐のお金は無事、そして汚れてはいたものの大きな怪我もなかったようだ。


「そうですか。他に道具の名前や使い方は教わらなくてもわかるとか……あっ」


他に同じ症状がないかどうかを確認しようと質問しかけたところに、外出していたロイがギルドに戻ったらしく、受付に姿を現したため、思わず彼女が説明を止める。


「何ですか?」


驚いたのと同時に、何か思い当たることがあったのかと記憶喪失の彼が彼女に聞くと、その彼の後ろから声がかかった。


「どうしましたか」


受付からの視線を感じたロイが、困っている様子に気がついて、彼の側に移動する。


「おかえりなさい。あの、こちらのお客様、ご自身の記憶を探しているそうなんですけど……」


彼女がそこまで言うとロイはそれを遮った。


「そうですか」


基本的にここに来る人間は記憶を失くそうとしているか、失くしている人なので、それ自体珍しいことではない。

けれどそれでも受け付けがてこずっているということは、自分の力が必要なのだろうとロイは判断した。

そうだとするとそれ以上の詳細をここで聞くのはよくない。


「あの……」


彼は自分の後ろに立って話に割り込み、受付と話す通りすがりの誰かわからない人を振り返って見たり、受付の女性に視線を戻しながら、しどろもどろになる。

その様子に気がついた受付の女性が端的にロイについて説明した。


「この方はこのギルドの管理人です」


受付にそう説明を受けた彼は、彼女同様、ロイに聞いた方が話が円滑に進むと理解したのか、すがるようにロイに尋ねた。


「そうでしたか。それであの……私の記憶は……」


何となく察していたが、どうやら彼はどのように記憶を失ったのか分からず困っているらしい。

多くのギルドを探し回っているのに見つからないようだ。

ただここにも彼の記憶があるとは限らない。


「ここで記憶を預かっているか照会するくらいなら構いません。お預かりしているかどうかは確認しなければ何とも申し上げられませんので、お役に立てるかどうかは分かりませんが」


さすがにロイも尋ねてきた人の事を全て覚えているわけではないし、それが委託されたものだった場合は本人と対面すらしていないのだから、こうして尋ねられても分からない。

ただ、記憶の糸は本人と引き合う。

現状においては、少なくともその本人がいるので、管理室の糸の動きの変化で、預かっているかどうかは判別できる。


「本当ですか?」


門前払いを受けることなく、確認だけでもしてもらえると聞いた彼は大きく目を見開いた。

彼の反応に対し、ロイはいつもと変わらぬ様子で話を進めていく。


「ですがそれにはあなたの記憶を少し見なければなりませんが」


ロイが確認のために記憶を見ると言うと、彼は困ったように笑う。


「それは構いません。もともと覚えていないので……。しかしそんなことができるのですか?」


覚えている事がないので、仮に頭の中を見られても出てくる情報は少ないだろう。

でもロイが確認するのはそこではない。

ただそれを逐一説明する必要義務もないので、できると言うことだけを答えておくことにした。


「忘却魔法が使えなければギルドの管理人にはなれませんので」

「ああ、そうなのですね」


彼は忘却魔法というものの理解はないらしい。

おそらく記憶がなくて困っていたところ、ここに案内されたということだろう。

記憶の照会をするのなら、それは受付の仕事ではない。


「とりあえずここで話を続けるより、応接室にお通ししたほうがいいでしょう」


ロイがそう言うと、受付からは安堵の声が返ってくる。


「はい。お願いしてもいいですか?」

「大変だったでしょう。こちらで対応します。ではご案内いたしますのでご一緒にお願いします」


受付に紹介対応をすると告げてから、彼に移動をお願いすると、彼はうなずいてから慌てて立ち上がった。

そしてロイの後ろについてギルドの奥へと向かうことになるのだった。



記憶のない男性を応接室に案内し、彼に座るよう奥の席を勧めてまずお茶を出すと、ロイは再び別の準備に取り掛かった。

そして準備ができるとようやく彼の向かいに腰を下ろす。


「お待たせいたしました。では、こちらを」


ロイが魔法契約書を彼の前に置くと、彼はそれを不思議なものを見るように眺めて動きを止めた。


「これは?」


契約書を出された彼は何が起きるのか分からず不安なのだろう。

ここでもロイは簡単な説明だけを行う。


「私があなたの記憶を閲覧するための許可証のようなものです」

「私は名前がわからないので、署名とかできませんが、どうすれば……」


一番下に署名欄がある。

彼はそれを理解しているらしい。

ロイが許可証という言葉を使ったが、おそらく契約書に関する知識はあると、彼についての情報を頭の中で書きかえながら、契約書の署名方法について説明を行う。


「魔法契約なので、本当はこちらでサインをいただくのですが、血判で構いませんよ。初めてですか?魔法契約は」


ロイがそれとなく質問をすると、彼は目の前に置かれた契約書に目を落としながら首を傾げる。


「どうでしょう……記憶にある限りならばこのように契約書を交わすのは初めてになります」


どうやら契約書ということは理解できているらしい。

そう判断してロイはそれとなく少なめの情報で確認を続ける。


「わかりました。やり方は簡単です。あなたの血をこの紙に落とせば成立します。内容の確認を

してほしいのですが、文字は読めますか?会話はできるようですが……」


自分に関する大半の記憶はないけれど、不思議と会話は成立している。

だから少なくとも彼は、言葉を話したり理解する部分を失ったわけではないということだ。

では文字はどうなのかと尋ねると、彼はその質問に答えた。


「……はい。読めるみたいです。このギルドに私の記憶が預けられているか確認するために私の記憶を見る、それ以外では利用しないし、術者は他人にここで見た内容を口外しない。ただし、犯罪に関する記憶が見られた場合はそれを通報する可能性がある……」


読めると答えてから、彼はその契約に関する内容を正確に口にした。

まだ詳細な説明をしていない内容を口にできているのだから、彼は本当に文字が読めているということだ。

ただ今すべきはそこを追求することではない。

彼の記憶がここにあったなら、その記憶を彼に返却する方が優先だ。

その時に加わった情報でなにかわかることもあるかもしれない。

ただ、ロイは彼の記憶はここにはないと考えている。

話を聞けば聞くほど、犯罪に巻き込まれているようなものを感じるからだ。


「その通りです。問題なければ契約を」


ロイが自分の憶測を隠して平静を装いそう言うと彼はうなずいた。


「はい……」


彼はそう返事をすると、迷うことなくナイフで自分の指を傷つけると、そこに血を落とした。

特別な階級になければ、血を落とすとか血判をと言われたら方法を聞いてきたり、手に傷を入れることを躊躇うものなのだが、彼にその様子はない。

そのためロイは、魔法契約かはともかく、彼自身がこのようなことを行うのに慣れる環境や立場にあった人間なのではないかと分析するのだった。

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