記憶喪失の旅人(1)
いつも通り運営を行っている記憶管理ギルドに、落ち着かない様子の男性が入ってきた。
どこで何をしていいのか分からないようで、明らかに挙動不審だが、初めて来た人は皆、理由は違えど、そのような行動を取るので受付もさして気に留めずにいた。
ギルドなのに小奇麗にしていることに驚いて様子を伺ったり、たまに偉い人が来たりするので、そのような人がいないタイミングを見計らっている人や、そういう人が来た時にそれとなく見つからないよう身をひそめたりする人などもいるし、記憶のない人が一人で来た時は、ここが何なのかすらわからないけれど来るように指示をされたと言うケースもあるからだ。
そうしてしばらくして受付周辺から人が引くと、その彼が、受付にいる一人に恐る恐る声をかけた。
「あの……」
おっかなびっくりの様子の彼に対し、声をかけられた側は慣れたものだ。
「はい。ご用件をどうぞ!」
いつも通りの接客モードで彼に対応すると、それに安堵したのか、彼は早速、その女性に質問をした。
「こちらで記憶を扱っていると聞いたのですが……」
探し物を尋ねる様子の彼は、きっと記憶がないけれど、何かの手がかりを元にここへと訪ねてきたのだろう。
そもそも預けられてしまっている場合、その記憶はここに保管されてしまう。
本当に忘れるために預けようとした記憶も預けてしまう人が多いので、本人がなぜここに来ることになったのか、来るべきと案内されたのかわからない場合が多数ある。
そういう人が来るのもここでは普通のことだ。
なので受付では、ここがどういうとことなのかを説明し、本人にどうしたいのかを確認する。
「こちらは記憶の管理を扱っているギルドになりますが、お預けですか?お戻しですか?」
受付にとっては恒例の質問だが、それを受けた彼はますます困惑の色を強めた。
「私、記憶がなくて……。だから私は自分の記憶を探しているんです。お預け……、何だか質屋か何かのようですね」
ここでは記憶というのは自分の意思で預けるものらしい。
そしてお戻しと言う言葉も出てくるくらいなのだから、本人の都合で戻す事もできるようだ。
それらの言葉から彼の頭に浮かんだのは質屋だった。
商品を抵当に入れてお金を借り、お金を返して商品を受け取る、彼にはなんだかそれに似た仕組みに見えたのだ。
「えっと、質屋とは違って、預かっているのは個人の記憶になります。本人の希望で一時的にお預かりして、返却も可能になっています。ちなみに記憶は、当人の元に戻さない限り、国法で永久保管することになっております。こちらは国の認可を受けているギルドになりますので、もし犯罪に関係するものと判明した場合はお預かりをお断りして、国に通報することになるのですが……」
彼女はそこまで口にしたところで、この人が犯罪に巻き込まれている可能性に行きついた。
そうだとしたら彼は加害者ではなく被害者なので、ギルドで話をするのは問題ないけれど、もしかしたら逆に保護をする必要が出てくるかもしれない。
慎重な対応が必要な場面だということになる。
「国の管理……、そうなのですね。そういう事も全く覚えていなくて……申し訳ありません」
どうやらここでは記憶を国の管理で預けることができるらしい。
それがここなのか、この国なのか、詳しくは分からないけれど、どうやら国の管理下の元でしっかりと運営されているギルドのようだと彼は少し力を抜いて謝罪する。
「いいえ。別に細かい事なんて知らなくても問題ないです。それを説明するのもギルドの役目ですから。ちなみに、今までどうされていたのですか?」
まずは覚えていることを確認しようとそう切り出すと、彼からは想定していなかった答えが返ってきた。
「さぁ……、気がついたら一人で路上にぽつんと置き去りにされていました」
そう、気が付いたら置き去りにされていて路頭に迷っていた。
何でそこにいたのかもわからず、それまでの記憶もない。
幸いにも手元にある荷物の中にお金はあったので、それを使って宿を取ることはできた。
しかしそれ以外、何かをした記憶はない。
そして、それを近くの宿でぽつりと話したところ、ここで相談したら何か分かるかもしれないと言われたということだ。
「何か身元のわかるものはお持ちではありませんでしたか?」
「いえ、何も……」
当然だが宿に着いてからも荷物は全て確認した。
でもその中に身元に繋がるものは何もなかったのだ。
もしかしたらそれを危惧した自分が、体に刻んだりしていないかと思って、人の見ていない所で服を脱いだり鏡を見たりもした。
でも本当に何もなかったのだ。
痣や傷、骨が歪んでいるとか、手足に欠損があるとか、そういった身体的な特徴もない。
至って普通なので、そこから自分を知ることはできそうになかった。
「では、記憶のどの部分がないのかはお分かりになりますか?」
「ない部分……?」
ないものはない。
それを教えてほしいというのは無理な話だ。
何がないのか分からないから困っているのであって、それが分かっているのなら自分で探せるはずなのだ。
ただ、この親切な受付の人が、意味もなくそのような事を聞く訳はない。
表情を曇らせながらも彼女の話を聞こうと疑問を返すと、彼女は慣れた様子で彼に尋ねる。
「はい。例えば、名前がわからない、住んでいたところもわからない、知っている人間がいない、子どもの頃のこと抜け落ちている、などですね」
抜け落ちていない部分から、抜けているであろう記憶が特定できる事もある。
もしそこに何かトラブルがあったのなら、そのトラブルから経歴を探ることができるかもしれない。
トラブルとの突き合わせはロイに頼むことになってしまうけれど、そういった情報を少しでも多く渡してあげることができればロイの負担を軽くすることができるはずだ。
そう思ったのだが、彼の記憶とそれに関する者は思った以上に抜け落ちている状態だった。
「なるほど。そういうことですか……。ですが残念ながら、私を示すものについて何も覚えていませんし、持ってもいませんでした……」
どうやら彼は自分の身元すらわからず途方に暮れているらしい。
確かにその状況では、誰かに話しかけるにも勇気が必要になるだろう。
彼の挙動不審の理由は納得できたが、解決方法は浮かばない。
受付では対応が難しいけれど、困っている人をこのまま放りだすわけにもいかない。
とりあえず何か彼の身元に関する情報を引き出せないか。
彼の話を受けた女性はもう少し粘ってみようと気合を入れるのだった。