最期の会話と失われた言葉(8)
「ひとつ、聞いてもいいか?義母を、どうやって話せるようにしたんだ?」
馬車の準備が整い、二人で乗り込み、その馬車が動き出したところで彼はロイに尋ねた。
どんなに手を尽くしても叶わなかった事を彼は一瞬でやってのけた。
少なくとも彼のやったことは、誰も思い浮かばない方法だったはずだ。
もしかしたらものすごく難しい魔法なのかもしれないが、今後の参考までに知っておきたいと彼が熱心に言うので、ロイはそんなに難しいことはしていないと淡々と答えた。
「一時的に筋力を、喋るのに必要な口周りや肺などに、身体強化魔法をかけました。戦闘で騎士にかけるのと同じものです。おそらくですが、話ができないくらい、体力、筋力が落ちているだけで、怪我をしている訳ではないですし、治すところはありませんから、回復魔法は効かなかったのでしょう」
「そうか……」
言われてみればその通りだ。
きっと緊急事態であったために焦りもあったのだろう。
どうやら難しく考えすぎていたらしい。
「ただ、この魔法を使うと、本人の体力の消耗も多くなります。相当苦しかったと思います」
ロイがそう付け加えると彼は顔をゆがめた。
「そう……だろうな」
身体強化の魔法は自分自身に使った事がある。
使っている時はいい。
ただ、使い終わった後の普段にない酷使した状態が、半端ない疲労感を体に残すことを知っている。
話を聞けば全身ではないようだが、それでも体力の衰えた女性にとって、筋肉の酷使はかなりの苦痛を伴っただろう。
「ですが、何度も力を振り絞って話そうとしたのなら、その苦しさに耐えられると判断しました。それに時間がなかった。寿命を削ることになっても、彼女の意思を尊重できたと思います。本人への意思確認ももちろん行っています。それはあなたも分かっているでしょう?」
最初に声をかけた時、彼女は確かにロイの方法を肯定した。
そして最後に少ない時間しかない事を分かっていながらお礼まで残してくれたのだ。
とても判断が間違っていたとは思えない。
そして彼も言われて、ロイの用いた方法に間違いはなかったと肯定する。
「ああ。回復魔法の術師には何度も来てもらっていたが、回復させられるところがほとんどない、気休めになるだけだと言われていた」
回復魔法は命を永らえさせるのに役に立っていたかもしれない。
しかし完全回復に至るものではなかったし、悪化を緩やかにしただけだった。
「それであの案を考えたと」
ロイが先輩をじっと見て尋ねると彼はうなずいた。
「回復魔法で治らなければ、もう会話そのものは無理なのだと思っていたんだよ。それは私たちも、義母もきっと同じだった。でも、義母は何かを伝えたがっている、それは間違いない。せめてそれが理解できれば、こちらが答えることはできるだろうと、そう思ったんだ。だから、義母に記憶管理ギルドに依頼してあなたの伝えたいことを、記憶の中から探してもらっていいかと確認して許可を得た。でもこれは、それ以上だよ。最良の形で我々の願いを叶えてくれたことに感謝しかない」
彼はそう言って軽く頭を下げた。
「しかし驚きました。記憶を預かるのではなく、確認だけという依頼は前例がありませんから。もちろん、ギルドは預かる記憶を確認する義務を課せられていますから、できますし、その内容によって預かれない場合もある。本人が魔法を使う前に拒否すれば、やめることもできる。まさかあなたがそれを利用することを考えるなんて……」
悪用を考えそうな人からその案を提示されることはあっても、善人の塊のような人からその案を出されたことは想定外だった。
ロイがそんなことを思いながらそう言うと、先輩は苦笑いした。
「周囲と揉めないようにとか、そういう方向で動いてばかりいたのを知られているからな。あの時の行動を見られていたわけだし、解決もできなかったんだから、頼りないかもしれないけど、これでも一応、王宮魔術師なんだよ……」
先輩は自虐的にそう言うけれど、一緒に仕事をしてきたからこそ知っている事も多い。
この人が揉めないようにしていたのは、騎士たちに魔術師が危害を加えられるのを最小限にしようという考えからだ。
たまたまそこに戦闘のできる自分が来ただけで、もし誰もが反対できない立場にあったのなら、あの対応で穏便に済ませるしかなかった事も察せられる。
魔術師の被害を最小限に、というのが先輩らしいとロイは思うのだ。
「そうですね。私よりも知識があるし、機転もきく。そして面倒見が良くて、他人の悩みに真剣に向き合い、誰よりも粘り強く解決策を模索する。あなたは出会った時からそういう人でした。変わってないんですね。イザークの時もそうだった」
ロイが久しく口にしていなかったイザークの名前を上げると、彼はその事に驚きながらも、首を横に振った。
「そんなことは……。イザーク様……、彼の件に関しては責任を感じていた部分も大きいんだ」
彼が引きこもる原因の一端を作ってしまったこともあり良心の呵責に耐えかねて、いや、耐えかねる寸前だったと思う。
ああして毎日彼のためにできる事をしていなければ、自分がまいってしまうから、だからそうしていたのだ。
あの行為は彼のためではなく自分のためにしていたこと。
それを褒められるとどう答えていいか分からない。
先輩がため息をついたり視線を泳がせたりしているところに、ロイは言った。
「でも私が新人として入った時、皆に遠巻きにされている私に親身になって仕事を教えてくれたのもあなたでした。あなたがどう思っていてもいいんです。一人になってしまった私にはそれが救いだったのですから」
入職の時期でもないのに入ってきた新人を、さすがに魔術師たちも受け入れてはくれなかった。
早々に騎士をふっ飛ばしたこともあって、自分に付けば安全だと考えた者たちは後から寄ってきたけれど、そうなる前から、自分に色々教えてくれたのは彼だった。
それがなければ、寮のルールも仕事の事も、分からないままになっていたはずだ。
煙たがられている中で普通に接してくれる人のありがたみは、ロイが一番よく知っている。
それがどんな理由であったとしても、声をかけられた事実は消えない。
受けた側がそれによって救われたのだから、その時抱いていた感情に対して後ろめたさを感じる必要などない。
そこに打算的な考えが混ざっていようと、それはこちら側に関係なく、あるのは救われたという事実だけなのだ。
「そうか……。堂々としていたからそうは見えなかったが、自分を敵視する知らない人間の巣窟に放り込まれたんだから、そうだよな……。残念ながらもうすぐ到着だ。その話はまた今度になりそうだな。妻ではないが、もしよかったら今度は客人として来てくれたら嬉しい。ゆっくり食事をしながら話をしよう。そうさせてほしい」
先輩がそう言うと、馬車は静かに停車した。
ロイを送り出すためドアを開けようとした彼を制止し、ロイは彼に自分の今の本音を言葉にした。
「先輩、ありがとうございます。あの、今日のことなのですが、私は、両親と最期の別れができませんでした。最後に交わした言葉もあまり良く覚えていない。そのくらい幼い日、突然両親を失いました。元気な姿をいつも通り送り出したはずなのに、戻ってきた姿はそこから想像できない状態でした。それでも最後に送りだした日、最後になるなんて思っていませんでしたから、どうやって見送ったのか、その日の事について正確に思い出すことができません。ですからあなたの家族には、私みたいな別れをしてほしくないと、そう思った、それだけです」
戦争のせいで、正確にどう最後の言葉を交わしたのか、それを思い出す事もできない。
現実逃避をするほど強い後悔を持つロイは、心やさしい先輩にその後悔をさせたくなかった。
今回のことで先輩の依頼を最上の形で叶えることができたのなら、少しは恩返しになったと思える。
退職時に挨拶もできずに別れた先輩との再会は意外なものではあったけれど、これでよかった。
先輩が自分を頼ってくれたこと、ロイは密かにそれを嬉しく思いながら、馬車を降りてギルドに戻っていくのだった。