最期の会話と失われた言葉(6)
ロイはしばらく魔法で力を流し込むと、彼女の握る手に力が入るようになったのを感じ、声をかけた。
「お気分は悪くありませんか?いかがでしょう。何か話してみてもらえませんか?」
ロイがそう言うと、女性は恐る恐る発声する。
「あ……の……、伝わりますか?」
最初に出た自分の声に驚いたのか言い淀んだものの、続けて恐る恐るロイに自分の話していることが伝わっているのかと尋ねた。
「あっ……」
遠くで先輩の妻が息をのんで、慌てて自分の口を両手でふさいだ。
ロイは少し離れた位置で待機している先輩達の方をちらっと見て、すぐ女性に視線を戻して答える。
「はい。きちんと話せています。ですがあまり長くはもちません。ですから、私とではなくご家族と、娘さんとのお話に時間をお使いください」
「ありがとう」
女性は自分の体の変化を喜びながらも、それが長く続かないことは本人にも自覚があるようだ。
おそらく一時、魔法で無理に引き上げられている部分とは別に、辛いところがあるのだろう。
それならばなおさら、ここでお礼合戦をしている場合ではない。
一言でも、一秒でも長く、話をしたかった人に、伝えたい言葉を伝えるため使うべきだ。
「いいえ。私のことは気にせず、どうかご家族に伝えたいことをお話ください。私は席を外します」
ロイがそう言って女性の手を離してベッドから離れ部屋のドアに向かうと、先輩が出て行こうとするロイを引きとめた。
「ロイさん、同席してください。お願いします」
「ええ。私からもお願いするわ」
先輩だけではなく、これから話をしようとしている先輩の妻、女性の娘にまで引き留められてしまっては出て行くわけにいかない。
使った魔法は彼女の体がもつ限り切れることはないのだが、もしかしたらそれを心配しているのかもしれない。
ただ、それを説明するのも野暮というものだろう。
「わかりました」
自分がこの部屋の中にいるだけで彼らが安心できるなら、ここに残るべきだろう。
ロイクールは先輩の横に並ぶように立ち、女性の方を見た。
女性は穏やかな顔で笑みを浮かべて小さくうなずいている。
ロイはそれを確認すると今度は娘の方を見た。
そして彼女に、母親の側に行くよう促すのだった。
「お母さん……」
ロイに促された娘は、よろよろと、まだ信じられないといった様子で女性の方へ一歩、また一歩と近付いていき、最後はベッドの縁へ倒れ込むように床に膝をついた。
そして先ほどまでロイが握っていたため見えた状態になっている細い手をしっかりと包み込むように握った。
「今まで苦労かけてごめんなさいね。喧嘩をしたままずっと謝れないままでいたこと、ずっと苦しかったのよ」
少し寝返りを打つように彼女の方へ横向きに体の向きを変えた女性は、握られていないもう片方の手を彼女の手に重ねた。
「私も、私もよ、お母さん!」
意識があるかないか分からない女性に、何度も何度も訴えた言葉を娘はここで再度繰り返す。
「あなたには恥ずかしくて残念な母だったかもしれないけれど、あなたが生まれたこと、私には最上の幸せだったわ」
そう言いながら娘の手に重ねていた手を伸ばして、今度は娘の頬に触れる。
「それから、最後の最後に苦労をかけたわね」
朦朧とした意識の中、娘の声は聞こえていた。
その声にどうにか答えたいと何度も願ったけれど、体がいう事をきかず、いつも聞くばかりになってしまっていた。
そんな中、医者が何度もやってきて治癒魔法を試していたのも知っている。
それが全て、自分の許しを得るためだったこともだ。
「いいの。そんなこと、もうどうでもいい!最後だなんて言わないで!まだ話足りないわ!」
せっかく話せるようになったのだ。
そして自分も、ようやく素直に話ができるようになった。
ようやく本音を言い合えるようになったのに、それを伝えて終わってしまうのは嫌だ。
「そうね、お世辞でも嬉しいわ」
涙ながらに訴える娘に、母親は穏やかな笑みを浮かべる。
「違う、違うの!本当だから。今のが本心なのよ!今までは恥ずかしくて言えなかったけど、言えなくてずっと後悔していたの!お願いだから信じてちょうだい」
もう伝えられなかったなんていう愚かな後悔をしたくないと、娘の方は子どものように鳴きながら必死に訴える。
「泣かないで。泣くくらい辛い思いをさせたのね。わかったわ。私のために泣いてくれたのだもの。信じるわ」
頬に当てた手で娘の流した涙を何度もぬぐう。
その手にあまり力はないけれど、ぬくもりがある。
「このままではいけないと思っていたのだけれど、私は言葉を失ってしまって、後悔したの。本当はずっとありがとうって言いたかったの。本当にありがとうね」
娘はすでに当てられた母親の手に、自分の頬を押し付ける。
「私もよ。私はあなたの娘でよかった!ちゃんと、言っておけばよかったってずっと思っていたわ」
涙を我慢する様子もなく言葉を絞り出す娘の涙を指でぬぐいながら、彼女は少し声を張ってドアの側にいる娘の夫に声をかけた。
「あなたも、ありがとう。娘を頼むわね」
自分に声をかけられたことに驚きながらも、ロイの横で先輩は安心させるようにはっきりと答えた。
「はい。お義母様」
その答えに満足したのか、再び母親は目の前の娘に視線を戻す。
「私のかわいい娘、産まれてきてくれてありがとう。これからは幸せに暮らしてちょうだい」
自分がいたら不幸になるとでも言いたげな母親に、娘はそれが違うと、涙で言葉を詰まらせながら言う。
「これまでも、幸せだった。たくさんの人に、彼に会わせてくれて、たくさんの幸せをもらったわ。お母さんのおかげよ」
娘が幸せだと伝えると母親は嬉しそうに顔を歪めた。
「そう?よかった……。あなたが不幸じゃなくて……。もう……心残りはないわ」
そう言うと母親はゆっくり娘の頬に触れていた手を離した。
「お母さん?」
娘がそう呼びかけるのをかわすように、女性は先輩の隣で待機していたロイを遠目に見る。
「管理人さん、もういいですよ。まもなくお迎えがくるようだわ。これはあなたが起こしてくれた奇跡ね。娘にお別れが言えてよかった。ありがとう……」
彼女はそう言うと、頬笑みを浮かべて、最後に娘を見ると、静かに目を閉じたのだった。