最期の会話と失われた言葉(3)
彼の話によると、ある時、彼の妻と義母は些細な言い合いをした。
「あんたみたいなのが娘なんて嘆かわしい!」
「私もよ。あなたが親だなんて恥ずかしいわ!それに子は親を選べないのよ。残念だけど」
「そうね……」
わりと元気だった二人は、こんな感じできつい言葉を投げ合って、互いを罵りあうまでになったという。
しかし誰もが、これも日常の一つと、気に留めることはしなかった。
同じ家に住む、血の繋がった母娘だし、放っておけばいつも通り、仲の良い二人に戻るはずだと。
けれど、突然その機会は奪われた。
義母が急に体調を崩したのだ。
もちろん治癒魔法の使える魔術師を家に呼んで治療もした。
けれど、容態はどんどん悪化、気がつけば言葉を話す力を失っていた。
妻は喧嘩のことを後悔し、何度も謝った。
あの言葉は本気ではなかったと。
けれど義母はそれに応えることはない。
ただ、黙ってうなずくだけ。
彼女の意思表示は首の動きで判断しなければならない状態だ。
でもその仕草だけでは、聞こえているのか、いないのか、反射的にそうしているのか、心配かけまいとしているのかは判断できない。
そうして毎日、枕元で長く過ごすようになった妻と、一見穏やかな義母、そんな二人を見ている限り、娘も義母も互いを許して、今まで以上に寄り添っているように見える。
だから、傍から見ればそれで充分ではないかと思うのだが、時折、必死に娘に言葉をかけようとする義母の様子に気がついて、このままでは良くないと感じた。
治癒魔法は何度もかけているが、義母の容態が良くなる様子は見られない。
そこで、せめて義母が伝えようとしている言葉だけでも、何とか妻に届けられないか。
二人の中に残るわだかまりをなくすことはできないか。
そう考えているうちに、忘却魔法を応用する方法を思い付いた。
国の許可を得て営業しているギルドでは、記憶を預かる際、必ず内容の確認を行う。
だから一度義母のその時からの記憶を預け、短時間で戻す契約をする。
その際、義母の記憶にあるはずの言葉を共有してもらう。
それならば義母が口にできなくても、言いたかった言葉をこちらは知ることができる。
けれど、どこのギルドでもいいかというと、そうではない。
魔法の使い手が本当のことを伝えてくれるかはわからないのだから、そういう意味でも信頼できる人でなければならない。
そして一番信頼できるギルドに、事情を話して依頼しようと決めて、ロイクールを訪ねてきたというのだ。
「実は義母の方がもう話をするのも難しくて、言葉が途切れ途切れなんで、なかなかこちらも理解できなくて……。それで考えたんだよ。ロイクールさんは記憶管理ギルドの管理人なんだから、その記憶を一度預ければ、少なくともロイクール、じゃない、ロイさんには本人が話そうとした言葉を記憶として記憶を確認してもらえるんじゃないかって」
先輩の話によると、どうやら彼は忘却魔法を別の用途で利用しようとしているらしい。
確かに記憶管理ギルドは犯罪に使われないようにするため、預かる記憶に犯罪に関する内容が含まれていないかを確認することが義務付けられている。
だからそれを利用しようというのだ。
そしてこれは公表されていないが、拷問の代わりに相手の記憶を確認し、敵国や犯罪者から情報を引き出すという方法でも利用できないかと国は画策していた。
もちろんできなくはないのだが、その利用法では術者の確認作業が莫大になり精神的負担も大きくなる。
さらに彼の大魔術師もそれを国が権力で術者に使わせ利用しようとしていることに懸念を示していることから、まだ実装には至っていないだけだ。
もちろん彼はその話を公式に知られる立場にはないので、せいぜい噂程度に聞いたことがある程度だろう。
「よくそのような案を考えましたね」
彼らが悪知恵で考えた事を、人のわだかまりを無くす方向で使用しようと考えるなど、先輩らしいとロイが感心していると、彼は声をひそめた。
「この使い方が広まると、別の弊害が出てくることは重々承知の上なんだ。だけど他に方法が浮かばなかった。もちろん別途、その弊害を阻止するための契約を結ぶことは構わない。私の思いつく、できることはすべてやってきたつもりだから……」
それをしてくれるのなら、自分たちがロイや全ギルドのメンバーに迷惑をかけないような契約を結ぶことになっても構わないという。
彼の誠意を何度も見てきたロイは、それは必要ないと首を横に振った。
「あなたがこの方法を悪用するために広めるとは考えていません。そもそも犯罪抑止に関しては国の方に定められていますから、仮にその使い方が広まったとしてもその範囲内に収まるかと思います」
国が個人の記憶に関して厳しい管理をすることになったのは、彼の大魔術師が戦後処理のために記憶を預かったりした事もあるが、この魔法に関する危機管理が必要だと理解してのことだ。
戦争で傷を負った者だけのためにギルドに関する審査が厳しいわけではないのだ。
先輩は知ってか知らずか、ロイの言葉を聞いてすぐに首を横に振ってこう言った。
「それは国内ではの話だ。国が変われば法も変わる」
「そうですね。そういう意味では誰にも知られないに越したことはないと思います。そのために記憶管理ギルドの職員が他国 に狙われるようなことがあってはなりません。私だけならなんとでもできますが、それが難しいギルド管理者もいますから」
自分だけならどうにでもなる。
その言葉に偽りはない。
師匠との旅の中でも絡まれることはあったし、王宮魔術師として騎士と対峙した経験もある。
警戒を強めておけば人間相手なら後れをとることはないという自負がある。
けれど魔術師にも得手不得手がある。
師匠はあらゆる魔法を起用に使いこなしていたし、そんな師に育てられた自分もそれなりにバランスよく魔法を使うことがで きるが、話を聞くところによれば、普通はそんなに多くの魔法は使えないし、種類や性質が偏ってしまうのだという。
次期魔術師長と黙されているイザークですら、どちらかといえば攻撃魔法に特化したタイプで、忘却魔法や回復魔法は使えない。
訓練でできるようになったとはいえ、防御魔法も彼にかかれば攻撃魔法になってしまうほどだ。
そして目の前の先輩については、魔力量が多くないこともあり、うっすらと防御魔法を使える程度で、他に目立った魔法を 使うことはできない。
ただ、彼の場合、調整が大変巧みなので、魔法を細く長く使うことができる。
そして忘却魔法に関しては、目の前の先輩のような繊細な作業を得意とし、攻撃魔法のような出力の高い魔法は苦手としている人が多い。
ギルドに登録されている人に至っては、穏やかな人間性を持ち合わせている人が多いので、たとえ襲撃を受けても相手を攻撃することをためらうだろう。
「そんな理由なんだ。申し訳ないけれど……。それで確認だが、まずできるかできないか、そして依頼を受けてもらえるか、それを教えてくれないか?」
彼はこの魔法を悪いことに使おうとしているわけではない。
それ理由にロイは魔法契約の申し出を断り、信頼できる彼からの質問には答えることにしたのだった。