最期の会話と失われた言葉(2)
受付から個室である応接室に移動し、とりあえず先輩に椅子を進めると、ロイは自らお茶を用意して彼の前に出し、話を聞くため彼の向かい側に腰を下ろした。
「いらっしゃいませ……で、よろしいでしょうか?」
「あっ、ロイクールさ……えっと……」
受付で呼ばれ方が違ったことに気がついたのだろう。
名前をどうすればいいのかと言い淀んだので、ロイクールは、ここでの名前を口にする。
「ロイです」
それを聞いた先輩は改めて名前を入れて挨拶から仕切り直した。
「なるほど、はい、ロイさん。お久しぶりです」
「ご無沙汰しております」
ロイが表情なく返事をすると、やはり彼は気まずそうにうつむいた。
「すまなかった。急に」
自分など、ロイからすれば顔も見たくないだろう相手であるにもかかわらず、仕事中に割り込む形で急に尋ねてきたのに、普通に接してくれている。
話を聞くと、こうして場所を設けてくれたが、そこまでしてもらえるとは思っていなかった事もあり、聞いてほしいと勢いで尋ねてきたものの、冷静になれば軽率な行動だったかもしれないと思ったのだ。
「いいえ……。珍しいですね。あなたがここに来るなんて意外です。……それだけ国が切羽詰まってるということですか?」
国という言葉が出た途端、先輩は大きく首を横に振ってそれを否定した。
自分はロイクールをこれ以上国の犠牲にしたいなどとは思わない。
それだけの恩があるのだ。
それに自分がそのために来たと誤解されたくもない。
「国は関係ない。ただ私はあの件を目の前で見ていたんだ。なのに、見ていることしかできなかった。だから本当はあなたにその時の事を思い出させるだろうし、最期に寮から出て行くのを見送ったあの日、もうロイさんには頼ってはいけないと、頼らずに解決しようと決めていたんだ……。それなのにこうしてここに来てしまっている自分が情けない」
そういう誤解を受けるかもしれないから、できるだけ魔術師たちはここに近付かないようにしていた。
ただ時折、元気にしているのか気になって近くを通れば外から覗くことはあったけれど、せっかく新しい日常を落ち着いて営めるようになったロイクールの邪魔はしたくないと、少なくとも魔術師一同が同じ思いを持っていたのだ。
なのにそれを自分は、たかが私事で破って尋ねてしまった。
その事に罪悪感もある。
「余程の事情があるのでしょう。気遣いのできるあなたが私のところに来なければならないほどの何かが」
ロイの言葉に、意気消沈した先輩はうなずいた。
押し掛けてきてまで依頼しようとした事なのだ。
隠すことでもない。
「お恥ずかしいことなのだが、私事で……」
そう切り出した先輩にロイは言った。
「そうですか。それなら伺います。国が絡んでくるのなら聞かないつもりでしたが」
「申し訳ない」
せっかく切り出したのにロイが話を中断したせいで、先輩の言葉がまた謝罪に戻ってしまったが、ロイクールはそれが個人の依頼というのなら受けるつもりだと先に伝えることにした。
「いえ、あなた個人のギルドへの依頼なら、何も問題ありません」
「いいのか?」
「ご依頼ですよね、私事の」
「そうだが」
彼は個人の、家庭内の相談だからこそ、自分たちで解決しなければならないと思っていたようだが、ロイからすれば、お世話になった先輩に個人的に役に立てる方が嬉しい。
今でこそ王宮魔術師皆がロイを尊敬しているというけれど、当初は中途で、しかも平民が入ってくると白い目で見られていた。
初期にロイを煙たく思っていたのは、騎士だけではなかったのだ。
そんな中で、彼が嫌な顔をせず、教育係を買って出て、新人の自分に色々教えてくれたから、王宮魔術師として仕事をする事ができたようなものだ。
今までお世話になりながら、防御魔法を少し教えた程度で、他にお返しになるようなことは何もできなかった。
それがここで叶うかもしれないのだ。
「ご依頼をお引き受けするのに何も問題はありません。どうぞ」
「ありがとう」
先輩はそう言って頭を下げる。
そんな先輩にロイは今度こそ本題に入ろうと聞く体勢を整えた。
「それで今日は……?」
「なんかすまない……。他に頼れるところが思いつかなかった」
ここに来てロイと話すようになってから、先輩の口をついて出るのは謝罪の言葉ばかりだ。
けれどそれでは話が進まない。
彼はあくまで依頼人としてここにきているのだから、その依頼内容を確認する必要があるのだ。
「謝罪されるようなことは何もありません。それより緊急なのですよね。ここまで気遣いのできるあなたが私を頼るくらいですから」
「ああ、そうだ。あまり時間がない、と思う」
こうしている間にも全て終わってしまっているかもしれないし、焦らなくても時間がまだあるかもしれない。
決められたものではないだけにどう答えていいか分からないが、残りがわずかということに変わりはない。
「早速ですが用件を伺っても?」
ロイクールに促され、彼は用件を端的に伝えた。
「そうだな。家庭内の話で恥ずかしいが、嫁と義母のことなんだ。二人を何とか和解させたい」
彼は自分の求める着地点をまずはロイに伝える。
一方のロイはそれを聞いてなぜ自分のところに来たのかと首を傾げた。
「それが私……、記憶管理ギルドへの依頼ですか?」
記憶管理ギルドは仲介屋ではないし、ロイ個人に頼むにしても、唐突すぎる。
よほど特殊な事情があるということだろう。
ロイクールが詳細を教えてほしいというと、先輩は結論を焦りすぎたと一度深呼吸をしてから話し始めた。
「厳密には違うが、少し事情が特殊なんだ。それでも何とかしたいと考えた時、思い付いた方法がある。まずそれが可能か、可能ならば引き受けてもらえるか、それを知りたい」
「わかりました」
そうなると話を聞かなければ判断できない。
まずは何をしてほしいのか、それを教えてもらう必要がある。
ロイクールが話の続きを促そうとしたところで、先輩が真剣な顔で言った。
「ただ、これから話すことは他言無用で願いたい」
ロイからすれば当たり前のことなのに、それを真剣な顔で言う先輩に、よほどのことなのだろうと思って誠意ある対応をする。
「もちろん、依頼者個人の情報を他者に話すようなことはしません。それがたとえ王族の誰かであっても」
例え国のトップが命令しても守れる限り依頼者を守るとロイクールが言うと、先輩は大きくため息をついた。
「徹底しているんだな」
「表面上はですが」
ロイからすれば王族は敵のような存在なので、そんな彼らより依頼者を大切にするのは当然だし、自分には彼らの権力にあらがえるだけの力はあると思っている。
だから王族に情報を渡すようなことはしない。
ロイは情報を渡す必要があるかどうかも、渡す相手も自分で決めることにしているだけだ。
ロイがそんな軽口で返答すると、彼は一度大きく息をつくと、再び真剣な表情に戻る。
「だがそれだけではないんだ。今から依頼することは、本来の忘却魔法の使い方ではないし、悪用しやすいものでもある。いずれ誰かが思いつくだろうけど、そうなるまでは、そのような使われ方を世の中に広めたくはない。それを踏まえて話を聞いてもらいたいんだ」
先輩の話す内容が世に広まるとどうなるかは聞かなければ分からない。
けれど自分が話さなければ広まらず、それ以前に誰かが思いつく可能性のある方法というのなら、今後のためにも聞いておいた方がいいだろう。
ロイクールは先輩の条件に同意し、話を聞くことにしたのだった。