最期の会話と失われた言葉(1)
ロイクールが管理室で記憶の糸を調整しながら昔の事を思い出していた頃、受付を一人の貴族が訪ねて来ていた。
見た目は明らかに貴族であるにもかかわらず、入ってくる時から何やら気まずそうにしている。
受付から見れば不審者だけれど、業務に支障がないので彼らはしばらく様子を見ながら淡々と仕事をこなしていた。
するとその貴族が、受付の混雑の落ち着いたところで声をかけてきた。
「あの、予約をしていないのですが、急ぎ依頼をしたいのです。難しいでしょうか……」
声をかけられた受付担当は、わざわざ自分たちにお伺いを立ててくる貴族を珍しく思いながらも、彼の表情に困惑した。
「えっと……」
受付が何から話せばいいかと少し悩んだ様子を見せると、彼は飛び込み客は迷惑なのだと判断したらしく、正規の方法でお願いをしたいと申し出た。
「難しいようでしたら、なるべく早い日時で予約をさせていただきたいと思っているのですが……」
受付担当の一人が困って隣を見ると、もう一人が言った。
「確認してきます。お近くの椅子におかけになってお待ち下さい」
「わかりました」
そう返事をすると、男性は大人しく近くの椅子に腰を下ろした。
落ち着かないのか彼はきょろきょろとギルドを見回している。
彼と少し距離ができたところで、受付二人は彼の扱いを決めた。
「とりあえずロイさんにお客様の事を伝えましょう。まだ用件は聞いていないから、話を聞いて難しければ断るかもしれないと私から彼に伝えます。その間にロイさんをお願いします」
「わかりました」
そうして一人はロイのいる管理室へ、もう一人は受付に来た貴族の客人のところへと行き、対応を始めるのだった。
管理室で長いこと過去に思いを馳せていたロイクールは、管理室のドアを叩く音に引き戻された。
「ロイさーん。軽装なお貴族様っぽい方が、急遽依頼したいってきてまーす。何かいつもと違う貴族の方でーす。用件は分からないんですけど、お急ぎみたいなんです。ちなみに挙動が不審なんで刺激しないようにしてますけど、取り次いでいいですかー?」
挙動が不審な貴族、そう言う割には随分と落ち着いた声掛けだ。
だからギルド内でその貴族が暴れているわけではないということだろうが、見ただけではその挙動の原因がつかめないのと、それを平民が貴族に聞く訳にはいかないといったところだろう。
ロイクールはそんなことを思いながら、そこ声に答えた。
「わかりました。それでその方はどちらに……」
「よくわかんないんで、受付で待ってもらってて、とりあえず先輩が、用件によって今日対応できるか分からないって説明してくれるって言ってましたけど、お貴族様の方は……、落ち着きはないですけど、とりあえずロイさん呼ぶって言ったからか静かに待ってくれてます。穏やかな感じだし、私たちへの対応は良い方です」
穏やかで対応がいいから、躍起になって追い出そうという態度も取れないらしい。
確かに普段来るロイに絡んでくる貴族なら、もっと外も騒がしいはずだ。
確かに大人しく待ってくれている貴族なら、予約がなくても無碍に追い出すことはできない。
「そういうことでしたらすぐに伺います。私が行って相手を確認しますから、そのままの対応を続けてください」
「お願いしまーす。先に戻りますねー」
いつもと違う貴族というので、王宮騎士の服装をしていない貴族なのだろう。
平民では対応が困難だから声がかかったのなら出ていくしかない。
呼びに来た受付担当が戻って行く足音を聞きながらロイは受付に向かう準備を整えると、管理室を出て施錠を確認した。
それからいつもの記憶管理ギルド管理者のロイの顔に戻ると、歩いて受付に向かうのだった。
「せ、んぱい……」
受付にいたのは王宮魔術師として自分が働いていた時、最初にいろいろと教えてくれた先輩だった。
王宮務めの時に色々あった事もあり、特に所属していた王宮魔術師団の人間がここに顔を見せることは今までなかった。
でもその一人が今ここにいる。
思わずつぶやいたその言葉は周囲に聞こえていなかったようだが、彼の顔を見るなり動きを止めたロイを見た受付の皆が彼を一斉に見た。
それから顔を見合わせると、一人が勇気を振り絞って、目の前のお貴族様に聞こえるのを覚悟の上で、確認のために声をかけた。
「ロイさん、お知り合いですか?もしかして追い払った方がいいやつですか?」
一人以外は全員が彼から目を離さない。
見られている彼の方は、申し訳なさそうにしながらロイの方を見ている。
その様子に、今まで来た貴族がここで横柄な態度を取ることが多かったこともあり、いつもと態度の違うこれも同類とみなされかけていると悟ったロイは慌ててそれを否定した。
「いえ、大丈夫です。久しくお会いしていなかったので、顔を見て驚いただけで、彼は知人です。今日はこの後、予約入っていませんでしたね」
「はい。ありません」
ロイが知人だと言ったことで、殺気立った受付の空気が元に戻る。
そして睨まれることのなくなったお貴族様も周囲の空気が落ち着いたことに安堵していた。
「私のお客様ですから、応接室にお通しします。お茶などは不要です。もし困ったことがあったら応接室をノックしてください。後はお願いします」
「わかりました!」
ロイが大丈夫というのだから問題ないのだろう。
そう判断した受付一同が持ち場に戻って行く。
「先輩、すみませんでした。ちょっと私を訪ねてくる貴族……といいますか、特に騎士団長とか皇太子殿下にちょっと敵意を持っておりまして、貴族と聞くと彼らはどうも殺気立ってしまうのです」
騎士団長と皇太子殿下と聞いて彼は表情を歪めた。
魔術師団一同が遠慮し、心配しながらも顔を出さずにいる中、彼らはまだここに押し掛けてきてはロイクールの邪魔をしているのだと理解したからだ。
「それはきっと、彼らの態度に問題があってのことだろう。平民というだけで立場が弱くなってしまうんだから仕方がない。でも今のあなたには、こうして立場を顧みず守ろうと味方してくれる人が近くにたくさんできたんだな。安心したよ。私たちでは肝心な時に力になれなかったからな」
ため息交じりに彼がそう話し始めると、ロイはその話を断った。
「積もる話もあると思いますが、とりあえずここではなんですから、応接室へ移動して、そこで話しましょう。近くを通ったから顔を店に来たという訳ではないのですよね」
「申し訳ない」
雑談をしに来た訳ではない。
ギルドに足を運んでまで訪ねて、こうして顔を合わせる事も許されない。
ここに来ていることに対して罪悪感がある。
それでも、どうしても頼みたいことがあったから、力を借りるしか思い浮かばなかったから、こうして勇気を振り絞ってここに来たのだ。
「ではこちらへ」
「ああ」
先輩はそう返事をしてから、ちらっと受付の方に目をやった。
彼らが仕事を続けながらもこちらを気にしている事を察して、とりあえず軽く礼をしてからロイクールの後ろをついていく。
受付側はそんなお貴族様の行動に驚きながらも、とりあえず初動は間違っていなかったと受付の皆は安堵して、ロイと客人が応接室に入って行くのを黙って見送ったのだった。