他国に売られた婚約者(19)
「ごめんなさい。ロイクールにはかえって辛い思いをさせてしまったわ。でも、あなたと過ごした時間は、私にとってかけがえのない、幸せなものだった。そうね、私の記憶を見てもらえれば、今の言葉に嘘偽りがないこともきっとわかってくれると信じているわ」
ミレニアの決意を聞いて思わずうつむいたロイクールに、ミレニアはただ謝罪をすることしかできない。
しかしその言葉の端々から感じる決意が本物であることをロイクールは感じていた。
だから、自分も覚悟を決めなければならない。
そもそもこうなってしまったのはミレニアのせいではない。
ミレニアは被害者なのだ。
そう、戦争で国に無理矢理矢面に立たされ苦しい思いをさせられ、師匠を頼った彼らと同じ。
ミレニアはその救いを師匠ではなく、一番信頼できると自分に求めてくれたのだ。
だったらその期待に答えるしかない。
そう決めたロイクールは、もう一つ強い覚悟を持ってミレニアに言葉を掛けた。
「では、もうこれで最後になるのですね」
「最後?」
ミレニアが不思議そうに聞き返すので、ロイクールはその意味を説明する。
「抜いた記憶の糸に含まれる記憶は、後から得た記憶によって強く引っ張られることがあります。そのせいで一部の記憶が戻ってしまうこともあるでしょう。ですから、ミレニア様、あなたの記憶を預かった後、記憶をお返しすることになるその日まで、私はあなたと会うことは叶いません。それに物理的にも遠く離れてしまう以上、きっとこれが生涯の別れとなります」
ミレニアはこの説明で、ロイクールがこれでと口にした意味をそれなりに解釈した。
記憶を失くした以上、自分がロイクールに会いたいと願うことはない。
そして、立場が上になる自分が申し出ない以上、下の者が上の者に面会を申し出ても叶うことはほぼない。
申し出があっても心当たりがないと一蹴してしまうからだ。
そしてロイクールは強行しない限り国を出ることは認められていないし、嫁いでからミレニアがこの国に足を踏み入れることも難しいだろう。
万が一にも道ですれ違うことはあるかもしれないので、絶対に会えないとは言わないが、それでも今のように会話を交わすことはないはずだ。
何よりミレニアの中にロイクールの記憶はないのだから、まずロイクールに自分が気付くことは不可能だ。
今ならパレードの群衆に紛れていても見つけられる自信があるけれど、記憶を失くした状態で惹かれるものがあるかどうかは分からない。
でも、もしかしたらとそんな淡い乙女心のようなものが少し、ミレニアの中には残っていた。
「そうね。もし記憶が戻らなくても、再び出会ったらあなたに惹かれてしまうかもしれない。そしたら同じことになってしまうのよね。それに、私は他国の皇太子妃、あなたは平民だもの。王宮魔術師という地位もない以上、普通に面会が許されるというのも考えにくいことだわ」
「そう……ですね」
確かに立場の問題も大きいけれど、厳密にはそうではない。
本当にこれで、ここで、この場で、ロイクールがミレニアの意識のない間に、ミレニアからすべての記憶を預かったその時点で、ミレニアの中にあったロイクールという存在が消えてしまう。
そしてロイクールはミレニアが意識を取り戻す前に彼女の前から姿を消すことになるので、魔法を使用するその前である、今が最後なのだ。
ロイクールは旅立つミレニアを見送り言葉を掛ける事も許されない。
でもミレニアの解釈が間違っているわけではないし、ここでの会話も含めてここに残されていく記憶なのだ。
だからそれを否定することなくロイクールはただ受け止めた。
「ありがとう。あなたには感謝してもしきれないし、申し訳ない気持ちしかないわ。どうか、私の記憶をお願いね。それと、あなただけは、私の分もどうか幸せになってちょうだい」
自分が与えられなかった分も、そして受け取れなかった分も幸せになってほしいとミレニアがそうロイクールに願うと、ロイクールはミレニアを直視できず目線を下げた。
「私の幸せは、あなたと家族になることだった……」
ミレニアにぶつけても仕方のない言葉なことは分かっている。
けれどロイクールはつぶやかずにはいられなかった。
ミレニアは、一番言い出しにくいお願いを終えたから、こんな状況でも貴族らしく笑みを浮かべて堂々とロイクールを見て言った。
「大丈夫よ。きっと私よりあなたにふさわしい女性を見つけられるわ。……だめね。このままではいつまでも名残惜しくて決心が鈍ってしまうわ。イザークを呼んでくれないかしら?」
「わかりました」
ミレニアに言われ、人払いで外に出されていた使用人にロイクールが声をかけると、ほどなく、呼ばれると分かっていたのか、イザークはすぐに部屋へとやってきた。
走ってきたのか息は上がっているけれど、ここに来ることを考えてすぐに出られる服装で待機していたようだ。
そして再度人払いが行われ、今度はイザークがいる事もあり、ドアはキッチリと閉められた。
「姉さん……。本当にやるんだね」
開口一番、イザークにその覚悟を問われたが、ミレニアは余裕を見せた。
「ええ。でも、イザークが先に経験談を話してくれなかったら決心できなかったと思うわ」
「それは……」
イザークがロイクールの方を見ると、彼は無反応なので、ミレニアからすでに自分があの時の話をした事を聞いたのだと察した。
そんなイザークに構うことなくミレニアが自分の意見を主張する。
「だって、前に話を聞いた時、記憶を抜かれる時に、不安も痛みもなかったって言っていたじゃない。そして私は目を覚めたら全て忘れているのよね……。不安なのは今記憶があるからなのよね……」
別にミレニアに記憶を預けてほしいから伝えたのではない。
あの時、自分が記憶を抜いて、仮にも自分の中にあるものを強制的に引き抜かれたことで苦痛を伴わなかったのかと心配されたから何もなかったと答えたのだ。
実際、外傷もないし、記憶の欠損も感じられない。
無理矢理引き出したり切ったりするとそういう事もあるようだけれど、自分はそんなことを感じたりはしなかった。
術者の技術によっても違うということだから、ロイクールが優秀な術者だからだろうと、あの時は自分ごとだったからそう太鼓判を押したのだ。
まさかそれがこのような形で持ち出されるとは思わなかった。
でもそれはすべて事実だ。
だからミレニアの言葉をイザークは肯定する。
「そうだよ」
「じゃあ、お願いするわ」
イザークの後押しを得たからか、気丈にもミレニアはそう言って笑う。
「ロイクールさん……」
ロイクールを気遣ってか姉を心配してか、不安そうにイザークがそう言うと、ロイクールは大きく息を吐いてから、しっかり二人を見てうなずいた。
「わかりました。お預かりします」
ミレニアにこのような決意をさせるまで追い込んだ事は許し難い。
自分は縛られずにすんでいるけれど、きっと王宮魔術師のほとんどが、同じような契約を結ばされ、このような事を強制される可能性に怯えているということだ。
意識しなければ、利用されなければ恐怖はないだろうが、目の前のミレニアの事を思うと、ロイクールにとってずっと過ごした故郷ではあるけれど、多くの者を奪って行くこの国を、この先素直に愛することができそうにないと感じるのだった。