他国に売られた婚約者(12)
「ロイクールさん……」
謁見の間から退出した直後、ロイクールに声をかけたのはイザークだった。
魔術師長に話を聞いたイザークは急いでこちらに向かったものの、もうすでにその扉は閉ざされており、それによって一歩遅かったことを悟ったが、ロイクールが中にいるのが間違いないのなら、これ以上すれ違わないようにすべきだと、とりあえず出てくるのを待っていたのだ。
「その様子ですと、話を聞いたようですね」
「ええ……はい……」
どのような伝え方をされたのかは分からないけれど、冴えない表情をしているところを見れば、気遣いのあるような伝えられ方がされなかった事は充分察せられた。
けれどここでその話を切り出すわけにはいかない。
とりあえずゆっくり話をするためにはここを離れる必要がある。
「色々言いたいことはあるでしょうけれど、まずは移動しましょう。私も先ほど聞いたばかりで驚いているのですが、姉も家で待機しています。本当はこちらで先に説明をしたかったのですが……」
そうロイクールを家に誘うと、ロイクールも素直にうなずいた。
しかし、どうしても先に言いたかったのだろう。
ロイクールはイザークに心情を吐露した。
「その隙を彼らは与えなかった、あわよくば私の言質を先に押さえておきたかったと言ったところでしょう。私はともかく、ミレニア様が気がかりです。お伺いしてもよろしいでしょうか?」
面と向かって言おうが、ここで吐きだして、まだ扉の向こうにいるであろう王族たち聞こえようが構わない。
そんな様子でロイクールは一言吐き捨てると、少し落ち着いたのかそれ以上の悪態をつくことなく素直に家を訪ねたいと口にする。
イザークはそんな様子に安心して、ロイクールを誘導する。
「もちろんです。すでに馬車を待たせています。こちらへ」
駆けつけた時に乗った馬車は待たせてある。
イザークはロイクールにもその馬車に乗るように言うと、歩き始めるのだった。
「ミレニアと王宮の雇用契約は継続している。解除を申し出るのが先であれば無効にできたかもしれないが、命を受けてしまった今の状況を変えることはできぬな」
イザークに連れられて家に到着すれば、ミレニアだけではなく、当主もその席についていた。
そのため、皇太子と王女殿下の謁見の場であったことを改めてミレニアとイザーク、そして当主に聞いてもらったロイクールだったが、当主からあまり良い答えを聞くことはできなかった。
「そうですか」
彼らとの契約内容は利用方法によってこのようなことにも使えるのだと聞いて、王族たちに嫌悪感を募らせたロイクールは、ふとイザークの方を見た。
先ほど聞いたばかりとはいえ、貴族として立ち回る事のできるイザークがただ黙ってここにいる理由が分からなかったからだ。
「あの、イザーク様はどうしてこの話を受け入れられたのでしょう。これだけご立腹でありながら動きもしないなんて」
家に戻ってからのイザークはロイクール以上に怒りに満ち溢れた様子だった。
王宮でロイクールを迎えた際の落ち着いた様子が嘘のようだ。
それができるあたりさすが高位貴族といったところなのかもしれない。
しかし、その立ち回りができるのなら、一矢報いるくらいの事はできたのではないかとロイクールは考えて尋ねたのだが、イザークは首を横に振ってその事情を簡潔に説明した。
「申し訳ありません。私も造反することができないのです。残念なことに私も姉と同じ契約をしています。いずれ当主となるためそれまでという期限付きではありますが、基本条件は同じなのです」
「そうですか……」
ミレニアがこの件を拒否できないのとあまり変わらない内容でイザークは王宮と魔法契約を結んでしまっていた。
辛うじてイザークの持つ逃げ道は、当主の地位を引き継ぐ際に契約が切れるようになっているというものだが、当主は彼の父親が現役であるため引き継いでいない。
それに例え今からその手続きをしようとしても、申請先が王宮である以上、彼らに妨害されて間に合わないタイミングでしか許可が出ないだろう。
そんなことも補足される。
「だがロイクールはそのような魔法契約を行っていないようだな。それならば王宮になど縛られる必要はないだろう」
今の彼を縛る契約はなさそうだ。
当主が自分の持つ特殊能力を使い確認した上でそう言うと、ロイクールは入職時の事を思い起こしながらうなずいた。
「確かに契約を結んだ覚えはありません。イザーク様との契約が、初めての魔法契約ですが、あの時にはすでに王宮魔術師として働いていましたし」
「賢明だったな」
入職時、そんな契約をしないと働けないなどということは知らなかった。
それどころか魔法契約の存在もよく理解していなかった。
けれど師匠には、どんな契約であろうとも納得できないものには同意しないこと、そこに書かれている内容で起こり得る不利益についてあらゆる可能性を考えること、どんなものでも契約をしたらそれに縛られることになるのだから、覚悟の上で契約書を交わすことだけは厳しく言われてきた。
ロイクールに伝えられることはなかったけれど、もし本当はそのような契約が必要だったのなら、例外として扱うよう根回しをしてくれたのは師匠しかいない。
現にロイクールはそんな契約をすることなく、仕事を与えられて給与を得ている。
「師匠がそう、うまく取り計らってくれたのだと思います。あの時の私は何も知らなかったのですから」
「そうか」
「もしかしてイザーク様も雇用契約は魔法契約によって結ばれているのですか?」
通常の契約なら何とかなるのではないかとそんな可能性を思って尋ねたが、三人とも首を横に振るか俯くだけだった。
「ああ。王宮に忠誠を誓う、反旗を翻さないという名目で、そういう契約を結ばされるからな。期限などはあるが、それも短いものではない」
当主がイザークの代わりにロイクールの問いに答えると、彼はそのまま自分の考えを伝える。
「もう一度言う。ロイクール、王宮にいるのが辛かったら職を辞するといい。これまでの功績があるから引き留められるだろうが、そもそも契約を結んでいなかったと言えばすぐにでも辞めることができるだろう」
契約はなくとも情に訴えて引き留めら得ることはあると思う。
そう当主がロイクールに伝えると、ロイクールはまっすぐにそれを受け止めた。
「あの、ロイクールさん、あなたは彼らと魔法契約を交わしていないのでしょう?だったらあなただけでも自由になっていいと思います。あなたにはその権利がある。それにこのような扱いを平然と行うあの王宮に通うのはつらいでしょうし……」
自分はまだ抜けられないけれど、そんな言葉を契約上呑み込んでイザークは精一杯ロイクールの退職を後押しする。
これも国の損害とみなされたら、そこに抵触したら何が起こるか分からないのだから言葉を選ぶしかないし、知られてはならないことだ。
それでも、貴族の掟にも契約にも縛られていないロイクールだけでも、これ以上の被害を受けないようなところに退避してほしい。
そう促すことが自分たち家族がロイクールにできる数少ないことの一つだ。
「お二人とも、ご助言ありがとうございます。前向きに検討します」
ここでロイクールが先に固めた決意は、王宮魔術師という職を辞するということなのだった。