他国に売られた婚約者(8)
イザークが実家から急いで王宮に戻っている頃、ロイクールはいつも通り王宮から発行する魔法契約書の作成作業を行っていた。
そこに使いの者がやってきて、魔術師長が急ぎ部屋に来るように言っていると伝え、去っていった。
伝えた本人は同席が許されていないので伝えるのみで、ロイクールに同行する事はできないと付け加えると、そのまま去っていった。
ロイクールが周囲を見ると、彼らはロイクールを見て早く行った方が良さそうだと、仕事を置いてでも向かうべきだろうとそれとなく後押しする。
ロイクールは申し訳ないと思いながらも、彼らの言葉に甘えて仕事を預け、魔術師長の部屋へと向かうことにしたのだった。
「お呼びでしょうか。急ぎの用と伺いましたが」
ロイクールが魔術師長の部屋に入ると、魔術師長は大きく息をついた。
「相変わらず固いな。まあいい。今日は雑談の余裕もないのだ」
いつもの魔術師長なら、ここから雑談に入るところだが、彼にもその余裕はなく、いつもと違って表情は固いままだ。
ロイクールは、そこから急ぎというのが名ばかりではないと察して尋ねた。
「何でしょうか」
「これから謁見に行ってもらう。皇太子殿下と王女殿下がお前をお呼びなのだよ」
魔術師長が重々しく口にした内容にロイクールは眉をひそめた。
冗談にしては、たちが悪い。
けれど、本当だとすると理由が不明だ。
「何かの間違いでは?」
とりあえずロイクールが無難に尋ね返すと、魔術師長は首を横に振った。
「いや、間違ってはいない。直接お話になると言い出したことは驚きだが、おそらくお二人はそなたを見たいのだろう」
「そうですか……」
どうやら自分は興味本位で呼ばれたらしい。
確かに彼の大魔術師の弟子であり、次期魔術師長と目されるイザークの師匠。
大魔術師の意志を継ぎ、記憶管理ギルドの監査まで任される存在。
平民だからと後回しにされたのだろうが、彼らが興味を持たないわけがない。
暇な時に見ておこうくらいのものだから先触れもなく今すぐ来いということなのだろう。
ロイクールがそう解釈して納得しているところに、魔術師長は不穏な情報を投げ込む。
「それと、言いにくいのだが……」
「何でしょう」
「私の口から内容の詳細は言えないが、非常に悪い話だ。覚悟をして臨んでもらわなければならん。できれば怒りをあらわにせぬよう気をつけてほしいところだ」
「わかりました。心に留めておきます」
平民だからという理不尽な理由で見下げられることには慣れている。
しかしその度に本気で怒りをあらわにしていては、いくつ家や街があっても足りない。
この場所においては、魔術師という肩書だけでそのように言われたりもした。
ロイクールは穏やかな言葉を選びながらも、今更だと内心呆れながら、魔術師長の言う場所へと赴くのだった。
ミレニアは一応高位貴族のご令嬢だ。
だからこうして当主のところにお伺いと許可を求めて書類が届いていた。
けれどロイクールは平民で、しかも家族はいない。
一応ミレニアの両親が保証人というか親代わりとなる。
とりあえず職場に戻ったイザークは、いつも魔法契約書を皆で作っている部屋に飛び込むと、そこにいる面々に尋ねた。
「あの、ロイクールさんを見ませんでしたか?」
イザークがそう口にすると、皆が一斉に顔を見合わせた。
魔術師長の次はイザークが探している。
さすがにただ事ではないと察したのだ。
「ロイクールさんなら、さっき急な呼び出しを受けてましたよ」
「どこから?」
「魔術師長が部屋に来るよう言ってるって、ここに使いがきたんで、そちらに向かったと思います。今ならまだ雑談しているかも……」
一人がイザークに説明していると、別のメンバーが首を傾げて思い思いのことを小声で口にする。
「でもあの感じだと、魔術師長の用事ではないと思うから、王族関係じゃないか?もしかしたらイザーク様の師匠ってことになってるから、いよいよ魔術師全体の底上げ訓練の話かもしれないって思ったんだけど」
「それなら使者がピリピリした感じもうなずけるな」
「だろ?」
イザークは説明と雑談の双方を同時に聞き取り、現状を把握する。
同時に猶予がないことも悟った。
「ありがとうございます」
どうか間に合ってほしい。
彼が他人から話を聞く前に会わせてほしい。
そんな願いを持ちながら、イザークは仕事部屋から情報をくれた同僚たちへの挨拶もそこそこに飛び出していった。
「魔術師長、こちらにロイクールさんが呼ばれたと伺いました。もう話はされたのですか?」
魔術師長の部屋に飛び込んだイザークは、部屋を見回してロイクールがいないことを確認してそう口にすると、魔術師長は座ったまま首を横に振った。
「いいや。私は要請を受けて、ロイクールに謁見するよう申し伝えただけだ。彼は今頃、皇太子殿下や王女殿下と謁見しているはずだ」
事情は知っているものの、呼ばれてはいないため、同席できずここにいるのだと、魔術師長はイザークを見上げて答えた。
騎士団長と共に失脚したも同然の自分は、この席にありながらも、イザークが座る頃までに居心地をよくするため、水面下で動くくらいしかできない。
昔のように王族相手に行使する力はないのだ。
イザークもそれは理解している。
だから彼の言葉にうなずいたけれど、せめて自分が呼ばれた時にいればと苦い表情を浮かべる。
「……出遅れましたか。しかも最悪の状況ですね。あなたからは何か話されましたか?」
よりにもよって、気位の高い諸悪の根源がロイクールに話をするらしい。
もういっそ、話を聞いたロイクールが彼らごとこの建物をふっ飛ばしてくれないだろうか。
魔法契約に反することができない自分には無理だけど、ロイクールにならできるのではないか。
ついそんなことまで考えてしまう。
「私に用件を伝えることは許されていない。ただ、良い話ではないとは伝えたがな」
魔術師長のため息とその言葉に、イザークは我に返った。
よく考えたら、魔術師長も似たような契約下に置かれているのかもしれない。
話すなと命を受けたのなら逆らえないだろう。
それならここにいる意味はない。
「わかりました。失礼いたしました」
こうなったら謁見が終わるのを待つしかない。
イザークはとりあえず騒がせたからと仕事部屋に顔を出すと、ロイクールの分の仕事にそれとなく手を付け、気を紛らわせるのだった。