他国に売られた婚約者(6)
父子が深刻な話をしていると、部屋にノックの音が響いた。
イザークがドアを開けると、中に漂う重い空気を感じて一歩引いた使用人が、怯えながら頭を下げた。
「あの、ミレニア様がお戻りになられまして、お話があるとのことなのですが……」
仕事中のはずのミレニアが家に戻ってきて話があると申し出ているという。
おそらく先ほどまでここで話をしていた内容を耳にしてのことだろう。
こちらから連絡したわけではないので、ミレニアの一存か、あちらから確認してくればいいと出されたかだろう。
ミレニアの将来に関わる問題なのだから、帰ってきたのなら断る理由はない。
「ああ、すぐに来るよう言ってくれ」
「かしこまりました」
使用人は頭を下げると、当主の言葉をそのままミレニアに伝えたのだった。
「姉さん、仕事中だったんじゃ……」
ミレニアが当主の部屋を尋ねると、父親だけではなく、弟までがその部屋にいた。
何とも言えない重々しい空気、先ほど様子伺いに出した使用人のおどおどした様子、それらの情報から、ミレニアはここで自分が来るまで何が話されていたのかを察した。
中に入ってドアを閉めるとドアの方を向いたまま一度大きく息を吐いてから、二人に向き合う。
「その様子だと、すでにここにも通達が出されたというのは本当のことのようね」
覚悟を決めてそう言葉にしたものの、ミレニアの声は少し震えていた。
「ああ、ミレニアも聞いたのだな」
当主がミレニアと向かい合いながら、困惑の音色を隠さず答えると、ミレニアは一度首を盾に振ってそれを肯定してから言った。
「実家にはすでに連絡を入れてあるって、わざわざ仕事中に王女の部屋に皇太子が来て、他の侍女たちに聞こえるように、その場で盛大に手紙を見せながら話を広めてくれたわ。向こうは、何がなんでも、私をあちらに送るつもりのようね。あの皇太子、入職時の契約書もご丁寧に持ってきていたわ」
契約書に関して、ミレニアは現物を見せられ、半ば強制もいとわないと脅されていた。
そして家に届いたという手紙にも、ミレニアは魔法契約を結んでいるのだとご丁寧に記されていた。
とりあえずミレニアが口頭で聞いた話と、家に届いた手紙の内容をすり合わせて確認する。
家には体裁上、婚姻については当主許可が必要だから連絡してきたということだろう。
しかしミレニアにその内容を伝える際、周囲には多くの目があったという。
王女の部屋というプライベートな場所だけれど、常に侍女や騎士が配置されている。
当然、皇太子とミレニアのやり取りは彼らに聞かれていると思っていい。
そうなると、この話が噂となって広まるのは時間の問題だ。
ミレニアの婚約や婚姻がいつになるかは分からないけれど、この状況でロイクールと夜会になどというわけにはいかない。
「なかなかやっかいだな」
話をすり合わせていけばいくほど、抜け道を外から包囲されてしまっていることが良くわかる。
王女はともかく、皇太子の頭の切れはよい。
情報を先に持ったのだから、手を回していないわけがないのだ。
「あの、皇太子殿下は、姉さんの婚約者がロイクールさんだと知っているのでしょうか」
ロイクールの実力は、騎士団や魔術師にはよく知られているし、イザークがロイクールの弟子のような存在である事も有名だ。
そしてそんなイザークがドレンに言われるがまま見せた魔法で神と呼ばれ、一部の魔術師からあがめられている事もあり、イザークに尊敬の念を抱いている者は、ロイクールにも畏敬の念を持っているのだ。
それならば彼らがロイクールの嫌がる事をするはずがない。
それが抑止力にはならないかとイザークがひねり出すと、ミレニアは首を傾げた。
「どうかしら?私は相手が平民だけど魔術師だとは伝えたわ。でも、それ以上のことは何も聞かれなかったの。それに知らない可能性は低いと私は思っているわ。知らないのなら、普通の平民相手なら命令すれば済むと考えるはすよ。極端な事を言えば穏便に済ませる必要もない」
自分たちの方が上の立場にいる、そして力でも負けないというのなら、相手の命を奪うくらいはするはずだ。
婚約者が邪魔になったのなら、相手を消すことで、婚約破棄を成立、婚約を無効化させばいい。
でも彼らがそれをしないのはできないから。
つまりミレニアの相手がロイクールだとしっかり認識しているから。
だからこそ、最初のターゲットがミレニアになったと推測できた。
「では、ロイクールさんに力を借りることはできませんか」
「それは難しいだろう」
「そうでしょうか」
向こうが権力をふるってくるのなら、こちらは魔法という暴力で対抗するしかない。
良いことではないけれど、ミレニアの運命がかかっているのだから、このくらいのことはしてもいいのではないか。
イザークが物騒な事を言い出したため当主はそれを強く否定した。
「力でねじ伏せるのなら簡単だ。国ごと滅ぼすのも彼なら容易いかもしれない。だが、政治的なやり取りに彼は不向きだ。表に出したところでうまく立ち回ることはできないだろう」
確かにロイクールは平民育ちで、魔術師に拾われてからも最低限のマナーしか学んできていなかった。
街や旅先での仲介などはできるけれど、それは腹を割って話をしようという。
酒を入れての話となる事が多いけれど、化かし合いの会話とは違うものだった。
だから知らない貴族を見たらとりあえず下手に出ておく。
平民としては無難な手法だけれど、それは貴族同士のやり取りとしては悪手になる。
他にももろもろマナーや知識に抜けがあったので、それを補うべく当家が家庭教師を雇い彼につけたのだ。
当然その中には貴族としてのやり取りも含まれていた。
だからロイクールにそれができないとは言わない。
けれど実践経験が浅すぎる上、状況も相手も悪い。
こちらの分が悪すぎる。
だからロイクールを仲介とするのは止めた方がいいと当主はそれを認めないのだった。