他国に売られた婚約者(3)
ミレニアの言葉を受けて皇太子はすぐさま言った。
「それは考えられるねぇ。でも、あの国が裏切りを働くのなんて今に始まったことじゃないからさ、もしそうだとしたら、それこそ妹が行っても、君が行っても変わらないってことになるんだよね」
皇太子は王女と違って頭の回転がいい。
だから的確に打ち落とそうとミレニアを狙撃してくるのだ。
印象としては早く王女の方を嫁に出したいはずだろうに、なぜか彼らは王女にはまだ利用価値があるとどこかで信じたい気持ちがあるようだ。
だからこうして王女ではなく、臣下を差し出すと迷わず決断できるのだ。
「ミレニア、君は平民と婚約しているのだったか」
ミレニアが次の言葉を言う前に、ふと彼が思い出したようにそう口にする。
自分には優秀な婚約者がいるのだ。
だからその申し出は受けられない。
その意思を明確にするため、ミレニアは迷うことなくそれを肯定する。
「はい。平民ではございますが、優秀な魔術師にございます」
「特に不満はないと」
「はい、ございません」
ミレニアが自分から婚約を解消する気はないと強調すると、彼はため息をついた。
「そうか。それは残念だな」
「どういう意味でしょうか?」
諦めてくれたのかとミレニアが確認を取ろうとすると、皇太子は笑いながら言った。
「簡単な話だよ。君には婚約を解消して、他国に嫁いでもらう」
「言っていることがわかりかねます」
彼らはこういう人間だ。
王宮勤めを長くして彼らに関わっていればわかる。
国民のためと言いながら、自分たちの事を優先的に考える達の悪い人間だと。
だから表面的な言葉に騙されることなく気を抜くことをしなかったのだ。
だがこちらの都合のいい言質は取れなかった。
「だって前にやってきた皇太子がね。君を気に入ったから、婚姻の相手が君になってもこの国との友好関係を維持すると言ってきたんだよ。だったら君に行ってもらうべきだろう?それにこれもある」
彼はミレニアが手ごわい相手だと分かってた。
もし素直に聞いてくれたら出すつもりはないものだったようだが、切り札として持ってきておいて正解だと言わんばかりに、一枚の紙を手に持つとそれをひらひらとさせた。
「それは、入職時の魔法契約書……」
「君は、この仕事に就く際、国のために働くと、サインもしているね」
「それはそうですが」
確かに契約書にはそのような文言があった。
国の中枢機関、王族の下で働くのは名誉なことだし、皆が同じものにサインをしている。
当然それは国を信用してのことだった。
まさかそれをこのように私欲のために利用されるとは思わなかった。
しかしサインをしているのも事実で、契約をしてしまった以上、合意の上でなければ破棄はできない。
「君の嫁入りは国のためになるだろう?違うか?」
確かに自分が行けば戦争が起こらない。
それが国のためになると言われたらその通りだ。
けれどその役目は自分でなくてもいいし、本来は目の前の王女が負うべきものだった。
ミレニアはその身代わりにされるにすぎない。
本人が行きたくないから押しつけてきているのだから、これは王女の我儘であって、国のためではない。
「そうですね。国のためではなく、王女殿下個人の私情のためでしょう?それを国のためと良く言えたものだと思いますが」
立場を気にしている場合ではない。
どちらにしても自分は犠牲にされるのだ。
それならば言いたいことは言っておいた方がいいと判断したミレニアが反論すると、皇太子は笑みを浮かべて表情を崩す事もせず、さも当たり前のように応じた。
「君より立場が上の妹を残した方が国のためになるんだから、当然の判断だろう?」
両者がそんなにらみ合いを続けているのを、人ごとのように見ていた王女は、優雅にお茶を飲みながら小首を傾げて言った。
「滅多にない素敵な話じゃない。ねぇミレニア、そもそもあなただって、平民の魔術師に嫁ぐより、他国の皇太子に嫁ぐ方が貴族として素晴らしいことだと思うわよね?」
「それは……」
婚約者がいなければ、自分がロイクールに出会っていなければ、確かにすばらしい話だったかもしれない。
他国から王女と婚約するために来た王子がその侍女に惚れるなど、まるで恋愛物語のようだし、そのヒロインがミレニアなのだ。
他の人からすれば羨ましく思われる話だろう
けれど自分には、心に決めた人がいるのだ。
その人と生涯歩もうと決めた相手がいるのだ。
その中で現れた第三者など邪魔でしかない。
王女もそれは分かっているはずだ。
けれど自分の都合しか考えない彼女は人の気持ちを平気で踏みにじる発言を続ける。
「皇太子殿下があなたを気に入ったと言っているのよ?名誉なことじゃない」
自分の無能を棚に上げて良くいけしゃあしゃあとそのようなことが言えると、怒りに任せて怒鳴りたい気持ちを抑えながら、ミレニアは王女を無視して皇太子に話を振る。
皇太子も自分の都合のいいように話を持っていこうとするタイプではあるが、王女と違って会話は成立するのだ。
それならば、ミレニアが向こうへ行くデメリットを訴えてどうにか回避するしかない。
「あの、それでは国同士のつながりにはならないのではないですか?今回の婚姻はあくまで国通しのつながりを深めるための政略結婚です。私を差し出して国同士の友好関係にヒビが入るようなことになってはなりません。安易なお考えは国を滅ぼします」
そんなミレニアの訴えを王女が真っ向から否定する。
「でも、相手が望んで手紙にしたためてきたのでしょう?何が問題だというの?私はまだお兄様のそばにいられるわ!お兄様だってその方が嬉しいでしょう?」
「確かにそうだね」
兄は妹の言葉に対し、別の使い道を模索できるとは口にせずそう言うと、彼女は決まったわけでもないのにそうなると決まったかのように喜んだ。
「じゃあお兄様、その方向で話を進めてちょうだい。お願いね」
「さて、どうしたものかな」
別に彼にとって妹はさほど可愛いものではない。
実の妹であっても、彼女のわがままは相手にするのが疲れるのだ。
それでも妹は王家の血を引く正当な後継者の一人。
そして政略結婚には大いに使える駒だ。
わがままで手はかかるが、その分価値はそれなりにある。
もしかしたら駒としてもっと良い条件のところに送り込むことができるかもしれない。
少なくとも一貴族の娘より価値は高いと考えていいだろう。
「あなたも平民より、身分の高い他国の皇太子に嫁いだほうが幸せになれると思うわ。相手から望まれていくのだもの。しかも国のために嫁ぐなんて、とても名誉なこと!それは幸せなことでしょう?違うかしら?」
自分のことは棚に上げて貴族の女の幸せを説くうっとうしい王女に、ミレニアは冷たく言い放った。
「名誉と幸せは別です。私の幸せは婚約者と共にあることです」
「だから残念っていったじゃないか。これは命令だからね。逆らうなら、この契約に反したとみなす。君に選択する権利は生憎ないんだよ」
「……」
皇太子が契約書を再度ひらひらと見せながら、ミレニアに言う。
正直にいえば、本当にこの皇太子がそうみなしたら魔法契約の罰が発動するかは分からない。
それもハッタリかもしれないが、ここで逆らう訳にはいかない。
そんなことをすれば自分だけではなく家にも迷惑をかけることになってしまうのだ。
ミレニアが他にできることはないかと考えて黙りこむと、皇太子は恩着せがましく告げた。
「まあ、急な話だし、動揺するのも無理はない。それに、そうだな。とりあえず君には休暇を出そう。ご実家に戻ってゆっくりするといい。もちろんご実家にはすでに連絡を入れてあるよ。それに他国に渡れば、家族に会うのも簡単ではなくなるのだ。色々整理をする時間もあったほうがいいだろう。それでいいかな?」
ミレニアは王女の侍女だ。
皇太子がミレニアに休暇を与えると勝手に言ったため、彼は妹にそれを確認する。
自分に都合のいいように話を進めようとしてくれていると思っている王女は、当然、皇太子に逆らうことはしない。
「ミレニア、今日ももういいわ。家にも連絡が入っているでしょうから、このまま下がりなさい」
「失礼いたします」
確かに今聞いた話だ。
これを急に聞いた将来に関わる話だから混乱していると片付けてくれるのならその方がいい。
ここは引くしかない。
ミレニアは覆りそうにない事実を目の前に、唇をかむのだった。