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忘れたいものと忘れたくないもの(4)

彼がギルドを出たことを確認すると、ロイは一度彼の記憶を糸車に設置するため管理室へ行った。

さすがにこれを持ったまま次の女性の記憶をきれいに抜き取るのは厳しい。

彼女の記憶の糸を扱っている最中に彼の糸に何かあっては困るし、そこに気を取られて彼女の記憶の糸を誤って損傷してしまうことも避けたい。

彼女の記憶を抜き出す際に、少しでも気がそれる可能性のあるものは排除しておきたかったのだ。

管理室に入ると、変わらず糸車の音が響いていた。

彼の記憶の糸の引き具合を確認しながら、それに合う強さで引く糸車に彼のボビンをセットする。

そして彼の記憶がきちんと糸車と引き合ってバランスの取れた状態になっていることを確認した。

ここまでくれば、生涯、糸車を使って彼の記憶を適切に管理するだけである。

管理室で無事にボビンの設置を終えたロイは、今度は先ほどまで使用していた個室に入っていった。

そして彼の使っていた台をきれいにし、今度は彼女に出すためのお茶のセットを準備する。

椅子も彼の寝ていた台の横からテーブルに向かい合うように戻して、再び控室に向かった。



「お待たせいたしました」


ロイが彼女たちの待つ部屋のドアを開けると、部屋の中はしんみりとしていたが静かだった。

彼女の目が赤くなっているので、ロイがいない間、泣いていたのだということはすぐに分かった。

彼が立ち去り、もう彼の中に彼女はいない。

それによほどのことがない限りあうことも許されないのだ。

そして今度は彼女が同じように記憶を失う。

彼女からすればとても複雑な思いに違いない。

ロイが来るまでの間、おそらくしっかりと泣いて、両親になだめられて落ち着いたところなのだろう。

ロイは静かに大きく息を吐いてから話しかけた。


「こちらはいつでも始められますが、少し落ち着いてからになさいますか?」


泣いて興奮した状態が復活してしまうような精神状態だったらさすがにやりにくい。

ロイはそう考えて提案したが、彼女は顔を上げてはっきりとした口調で言った。


「いいえ。もう大丈夫です。よろしくお願いいたします」

「ではご案内いたします。ご家族はこちらで待機していてください」


ロイはそう告げて彼女だけを連れて、再び個室に入っていった。



そして二人目となる彼女にロイは確認を始めた。

まずは椅子に座るよう促す。

彼女は促されるまま椅子に座ると、じっとロイの方を見上げた。

ロイは契約書を片手に向かい側の椅子に座る。

すると、彼女は意を決したように言った。


「あの、今更なのですが、やめることはできるのでしょうか?」

「やめる……ですか?」

「はい」


ロイは驚きもせず確認する。


「理由を聞いても?」


実は契約書にサインをしても土壇場で辞めたいという人は少なくない。

理由はそれぞれで、記憶を失うのが怖いとか、親に無理やりサインさせられたとか、色々なのだ。

だからロイはこうして採集確認の場を設けている。

ロイが理由を聞くと、彼女は声を落として話し始めた。


「彼はもうすぐ別の方と結婚します。でも私にはその予定はありません。それに、例え彼が忘れてしまっても、私はずっと覚えておきたいのです。どんなに辛くても、愛したことを、この気持ちを一時も失くしたくないです。例えこの先、私が別の方と結ばれても、私の中には常に彼がいる、そこに大きな意味があると思うのです」


これだけ意思も理由もはっきりしているのは珍しい。

そこまで思っているのなら親に強制されたのかとも思ったが、サインをする時躊躇う様子もなかった。

ロイは不思議に思いながらも尋ねる。


「ではなぜ、あなたは彼といらしたのですか?」

「それは……、彼には幸せになってもらいたかったから。記憶が残っていると彼が忘れないと進めない、でも魔法を受ける勇気はないって言ったから。だから一緒に忘れようって決めてきたのです」


話を聞くと、彼女は彼のためにこの書類にサインをしたのだという。

思い出すのはつらいというから一緒に忘れようと言い、一緒にサインをすれば怖くないだろうと躊躇うことなくサインをした。

サインをしてしまった以上、契約を反故にはできないだろうと彼女自身も分かってはいたが、それでも彼のためにこの行動は必要だったと言う。


「記憶を預けてしまえば、きっと死ぬ直前か、死ぬまで思い出すことがないのでしょう?彼との思い出は、すべてが苦しいものではないんです。むしろ楽しいことの方が多かった。だからせめて、私は私のために、この記憶を手放したくない……それが例え、彼に対する裏切りと言われても構わないのです。だって、彼は私のことを忘れているのですから」

「では、あなたの記憶はどういたしましょうか……」


彼女の希望を聞こうとロイは続きを促した。


「忘却魔法の契約を破棄するか、一度預けてここを離れたらすぐに返してほしいのです。私は彼との思い出を糧に、この先の苦難を乗り越えていきたいのです。もし記憶を失くさずにいられるのなら、契約違反の、その罰を受けるつもりです」


術者の中にはこのような確認をしない者もいるのだが、本来の意思に反して忘却魔法を使われたらどうするつもりだったのだろうと、ロイは少し心配になっていたが、どうやら彼女は彼を見送ったことで思いとどまったわけではく、それなりの覚悟を持ってこの場に挑んだようだ。


「あなたの考えはわかりました。ですが、私の口からは預かってもいない記憶を預かったと伝えることはできません。ご一緒にいらしている方と一度お話されてはどうですか?」


幸い、彼の方は記憶を預かってからすぐにギルドを出てここにはいない。

家族だけでも彼女の記憶が残っていることに関して味方してくれるのなら、彼女にとって少しは救いになるだろうと思ってのことだ。

しかし彼女は首を横に振った。


「それはできません。両親も私が忘れることを望んでここに連れてきたのです。だから……」


さらに話を掘り下げていくと、両親も彼のことをなかったことにした方が、彼女が幸せになれると信じているらしいということが分かった。

彼の両親と意気投合していたようだし、彼らの気持ちも解からなくはない。

最終確認で、本当は記憶を消したくない、両親の協力は得られないという彼女の主張を受けてロイは大きく息を吐くのだった。

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