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忘れたいものと忘れたくないもの(2)

サインされた契約書を確認したロイは立ち上がってから言った。


「ありがとうございます。確かに受け取りました。では、お一人ずつご案内いたします。まず、お二人のどちらから行いますか?」

「私からお願いいたします」


立ち上がったのは男性の方だった。

女性の方が何も言わないところを見ると、すでに順番も話し合いで決められていたということがうかがえる。


「わかりました。ではご案内いたします」


ドアの前で立ち止まったロイはそこに残された人たちに言った。


「付き添いの方を含め他の方はこの部屋で待機してください。終わりましたら呼びにまいります。その際は彼の付き添いの方のみご案内し、そのままこの部屋に戻ることなくギルドを出ていただくことになります。この先、呼ばれた方以外は部屋から出ないようにお願いします。記憶を抜かれた人はしばらく不安定な状態となります。もし相手のご家族に会ってしまうようなことがあると、記憶が混濁してしまう可能性があるのです。ご了承ください。私がいない間はこちらに人をつけますので、何かご用がある場合はその者に言ってください」


そう言ってロイはドアを開けた。

すでに最初に対応した受付担当がドアの前に待機していて、ロイと彼が部屋を出た後、入れ替わるように中に入って行く。


「隣の個室に移動します。こちらです。何かお伝えしたいことはありますか?」


彼が部屋を出て振り返ったため、ロイは声をかけた。


「いいえ……大丈夫です」


彼は一度目を閉じた。

彼女の姿を最後にしっかりと目に焼き付けたかったのかもしれない。

これから彼女の記憶は全てなくなるのだが、そうしないと決意が固まらず動くことができなかったのだろう。

ドアに背を向けた彼の表情はロイにしか見えていないが、彼は今にも泣き出しそうな顔でロイの後に続いたのだった。



まず一人目の彼にロイは最終確認を始めた。


「これから彼女についての記憶を抜きます。そうしますと、次に彼女を見た時、初めてあった人と認識されます。ただ、本能的に彼女に惹かれるものがあるかもしれませんし、記憶を抜いてもそれが抑制されるわけではありません」


一度強く惹かれたものだ。

また出会うことがあれば、記憶がなくても同じような思いを抱くことは考えられるし、間違いなくある。

それは本能なので、当然理性を上回ることはあるだろう。


「おそらく大丈夫です。このまますぐ、別の道を歩むので、もう彼女と会うことはないでしょうし、彼女との別れはすでに済ませてあります」


泣きそうな表情はそのままだが、彼女のことを忘れて新しい道を行くという。

それは間違いなく彼の意思表示だった。


「わかりました。あと、ここで記憶を抜いたという記憶はどうしますか?」

「一緒に抜いてください。少しでも思い出して苦しくはなりたくありません」


これは記憶がないという違和感を覚えた時に、記憶管理ギルドを利用したことを思い出せばここにたどり着けるようにしておくかどうかである。

ここを出る時の記憶が多少残ってしまうが、ぼんやりとしているうちに家に戻ってもらえればほとんど問題はない。

どこかへ行ったのは夢だったと誤認されるのだ。


「この記憶は、生涯お預かりすると伺っておりますが、全てそのようにしてよろしいですか?何十年後に思い出せるようにという契約にもできますが……」

「はい。思い出さない方が幸せになれると思いますので、それでいいです」

「では、先ほどサインをいただいた契約のまま進めさせていただきます」


期間に関しても彼は変更しないという。

彼は頑なにも、彼女のことは思い出さないようにしたいと願っているようだ。



ロイが記憶を抜くための準備を始めると、彼は恐る恐る口を開いた。


「あ、あの……」

「何でしょう?」

「私が出るとき、彼女とすれ違うようなことはありますか?」


彼女に出会ったら思い出すかもしれないという話しに不安を覚えたらしく、彼はロイに尋ねた。


「いいえ。先ほどもお話しした通りです。彼女には別室で待機していただいていますし、特にご案内の時には出てこないようにとお願いしますからご心配いりません。最後にもう一度、一目でも彼女の姿を見ておきますか?」


未練があるのかないのかよくわからないが、これは彼にとって彼女との今生の別れになるのだ。

それに彼女の記憶はまだ抜いていないので会っても問題ない。

ロイはそう伝えたのだが彼は首を横に振った。


「いいえ、決心が鈍ってしまうのでそれは……。わかりました。もう大丈夫です。よろしくお願いいたします」



彼の覚悟が決まったと判断したロイは彼にお茶を出し、お茶に関する説明をした。


「では、こちらのお茶をお飲みください。リラックスしていただいた方がきれいに早く記憶を抜き出すことができますので」

「そうなのですね」

「このお茶に魔法はかけていません。少し眠くなってぼんやりとするだけです。未練のある記憶を抜く時、その意識を手放したくないと本能で感じてしまうと、うまく記憶を抜き出せなかったり、強い魔力で無理やり記憶を引きはがすことになり、負担が大きくなってしまうので、その予防のために提供しているものです。無理にお飲みいただく必要はありませんが……」


最初はお茶に手をつけることを戸惑っていた彼だったが、飲まないと負担が大きくなると聞いて意を決したらしい。


「いいえ、大丈夫です。飲みます」

「では、お飲みになったらすぐそちらに移動して、横になってください」

「はい」


彼はお茶を一気に飲み干すと、ロイの指示通り移動した簡易ベッドのような台の上に横になった。


「ではそのまま目を閉じて楽にしていてください」


そして彼は目を閉じ、そのまま意識を手放した。



彼が眠るように意識を手放したのを確認すると、ロイは早速糸を引き出し始めた。

そしてあらかじめ用意していたボビンに、内容を確認しながら記憶の糸を丁寧に巻きつけていく。

そうして彼女に関する記憶を全て抜き取ったロイは、彼の記憶の糸の切り口をきれいに結んで彼の中に戻し、切った糸の端をボビンに止めた。

近くに本人がいるため、糸が引き合っているが、ロイが抑えているため、記憶が戻ることはない。

糸がしっかりと体内に戻ったことを確認したロイは、眠ったままの彼を部屋に残し鍵をかけると控室に向かった。

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