忘却魔法と忘却の魔術師
この世界には忘却魔法という特殊な魔術を使える魔術師が存在している。
それは攻撃魔法や回復魔法よりも高度な魔術で、かけられた者の一部の記憶、またはすべての記憶を切り取って失わせることができるというものだ。
忘却魔法で記憶を抜き出すと、抜き出された部分が糸のようになって見え、記憶が本来一本の糸でつながったものであると表現されたことから、抜き出された記憶は、記憶の糸と呼ばれている。
つまり引き抜かれた糸そのものが、その人の記憶ということである。
忘却魔法を使うと、抜き出された記憶が糸状に出てくる。
そうして引き出された記憶の糸に術者が触れると、糸に紡がれた記憶の中身を見ることも可能だ。
だから相手の記憶を引き出し、依頼されている部分の記憶を切りとることができる。
ちなみに記憶の糸を切ってその部分を取り出した瞬間、その記憶を当人から奪い取ることができる。
その力を利用して、術者は引き出された糸から必要な部分を切り取ることで、当人の希望する部分の記憶を消すのだ。
切り出された記憶そのものが当人のもとに帰ろうとするため、常に管理が必要だ。
しかし、抜き出した記憶は当人の魂とつながっているため、一時的に抜き出した記憶はすぐに魂の中に戻ろうとする。
肉体が消えても魂は消えることがないため、抜き出された記憶は管理していないと常に魂に還っていこうとするのだ。
魂は肉体が消えても残ると言われている。
魂と記憶はつながっていて、魂と切れることはないらしい。
だから魔法で糸のように抜かれた記憶は、そのまま放置すると導かれるかのように魂に戻ろうとする。
そもそも記憶は当人との結びつきが強いのは当然のことだ。
だからこの魔法を使って記憶を一時的に奪うことができても、その記憶はすぐに持ち主の元に戻ってしまうのだ。
相手の記憶が戻らないようにするためには、術者が常に記憶の糸を確認し手元から離れないようにする必要があり、その管理のために一定の魔力を消費し続けなければならない。
そのような管理方法では術を使えば使うほど、数が多ければ多いほど、使用した魔術師の魔力の消耗が激しくなってしまう。
一時であればそれほどでもないが、複数の人間の糸を管理したり、長期間にわたり記憶を当人に戻したくないという場合は、記憶の糸を専門に扱うギルドに預けて、ギルドの管理人に忘れさせた記憶の管理を任せることができる。
その記憶を扱うギルドこそ、記憶管理ギルドである。
記憶の糸は、あくまで糸なので抜き出してまとめておくには、何かに巻きつけたりしないと管理が難しい。
糸だけを束ねても問題ないが、束ねられた部分の還ろうとする力が強くなって失敗しやすくなる上、絡まってしまうと当人に記憶が戻った際に欠損することがある。
糸を欠損してしまうと記憶の糸が戻った際、その部分の記憶だけ戻らなかったり曖昧になったりする。
そのため、記憶の糸は切らずに細く長く引き出して、絡まらないようにボビンに巻きつけて、ギルドで作られた糸車を使って管理するのが一般的である。
記憶の糸の倉庫のような役割をするため、糸車のある部屋への入室は限られたものしかできない。
仮に部屋から記憶の糸が盗まれたり、糸車を破壊されたり、糸を切られるようなことがあっては一大事である。
ちなみにこの糸車、きちんと管理できれば魔力はさほど消費しなくてすむが、間違って使用するとボビンが糸車から外れたり、糸が切れたり、緩んで絡まったりしてしまうため、糸車を管理するための技術が必要である。
無理に引っ張ると切れてしまうのだが、切れてしまった場合、本人の元に戻った分だけ抜かれた人の記憶は戻る。
ちなみに魂から記憶を消せるのは転生を司る神だけと言われているが、この世界において、それを確認する術はない。
相手の記憶を抜き出し、引き出された記憶の糸を見たり切ったりするなど、扱うことのできる術者を忘却の魔術師と呼ぶ。
一般的には記憶を抜き出したい相手、もしくはその近しい人と契約を行い、忘却魔法を使う。
契約の中に記憶の糸の管理が含まれる場合は、管理人に記憶の糸を巻いたボビンを預ける代行業務までを行う職業である。
自分でボビンの管理を行ったり、自ら記憶管理ギルドを運営している有能な魔術師もいる。
記憶の細かい部分だけを抜き出せる術者ほど、記憶を細い糸として抜き出し、繊細に記憶を切り取ることができ、忘れさせられている当人に違和感を与えない。
また、記憶の糸を最初に巻きつけたボビンから、違うボビンへの巻き直しをしたりすることもできるため、記憶管理ギルドの変更を希望したりするのも忘却の魔術師の仕事である。
記憶管理ギルドには必ず管理人を置かなければならないと国で決められていて、その管理人のことを別のギルドと区別して忘却魔法の管理人と呼ぶ。
忘却魔法で抜き出されボビンに巻きつけられた記憶を預かり、管理する、それが忘却魔法の管理人の仕事だ。
忘却魔法で引き出された記憶の糸は、その思いや強さによって戻ろうとする力が異なるため、定期的に糸を巻き直して記憶が戻らないように管理する職業で、忘却魔法を使う魔術師から記憶の糸をすでに巻きつけたボビンを預かり、相手の記憶が戻らないよう管理を依頼されることが多い。
ちなみに公に認められている記憶管理ギルドには、契約内容や記憶の内容を確認し、問題があると判断した場合は、預からない義務、国に通報する義務を課せられている。
なお本来、管理業務の中に、忘却魔法で糸を抜き出す作業は含まれないが、有事に対応できるよう、忘却魔法を扱える人が責任者であることが多く、ギルドの管理人となる魔術師は通常の魔術師より能力が高いと言われている。
だから忘却魔法の管理人という肩書きを持つ者は畏怖され尊敬されるのだ。
ちなみに、記憶の糸を巻きつけるボビンは記憶管理ギルドによって形状が異なっている。
それは管理人が糸車に設置しやすいものであったり、ギルドの大きさの都合で扱えないボビンがあったりするためで、結果、預かる側が一番扱いやすいボビンをギルドで販売することが増えたのである。
そのため術者は愛用しているギルドのボビンをストックして持ち歩いていることが多い。
ボビンは記憶管理ギルドで販売されているのだ。
記憶管理ギルドは記憶の管理を依頼する者や、ボビンの購入に訪れる者でにぎわっている。
商売が繁盛するという意味では喜ばしいことだが、忘却魔法などというものが、こんなに安易に使われていいものかと考えると複雑である。
だからせめて、仕事として記憶の糸の管理だけはしっかりと行わなければならないと、このギルドの管理人であるロイは考えているのだ。