「えっ、わたくしのことを知らない?」
「お疲れ様です、リョウマ様」
「お疲れ様、ヨシノさん。じゃあ帰ろうか」
教室まで迎えに来たヨシノさんにそう応えると、俺は席を立ち教室を出た。
今日は入学式なので、まだお昼を少し過ぎたくらいの時間だ。
ヨシノさんとは学校に入ったところで別れた。
講堂での入学式と教室でのレクリエーションが本日のカリキュラムだ。
入学初日はどこもこんなものだろう。
みんなメイドや執事を連れてきているのかと思っていたが、そうでもなく、やはりこちらの方が少数派のようだ。
「ヨシノさんはどこにいたの?」
「従者待機室です」
「そんなところがあるのか。じゃあ他のメイドさんとかもいたの?」
「ええ」
「話とかした?」
「いえ」
「マジかよ」
絶対退屈だろそこ。今日なんて半日で済んだけど、これから丸一日、俺たちの授業が終わるまでそこで待機してると思うとゾッとする。俺だったら絶対に務まらないと思う。
まぁ本を読むくらいはいいのかもしれないが。
そんなことを話しながら廊下を歩いていると、こちらを見ながらヒソヒソと話をしている生徒たちがチラホラ見える。
最初は、メイドを連れていることを珍しく思っているのかと思ったがそうではないようだ。
なるほど。俺のことか。
鳳家の息子という存在が珍しいようだ。
そういう扱いがイヤで、実家を離れ、家から離れた学校に来たのだが、うちの親が選んだ学校なのだ、こうなることは仕方のないことかもしれない。
結局、ここでも珍しいモノ扱いされるのか。
また一つ、ため息をついてしまう。
「あら、どうされましたの? 随分とお疲れの様子ですわね」
その声の方を見ると、目の前に、やたらと豪奢な服を着た少女が、廊下を塞ぐように立っていた。
出たよ制服着てない奴。
胸元には校章が付いている。色は黄色なので同級生だ。彼女の斜め後ろには、ヨシノさんのようなメイドが立っている。
どこかいいとこのお嬢さんなのだろう。
「半日で疲れてしまわれるなんて、鳳家の御子息は、あまり体が丈夫ではないのかしら、ホーホッホ」
こんなマンガ見たいな高笑いをする女性を初めて見た。この時代になっても、現存することに、呆れるどころか、少し嬉しさすら覚える。
「俺のこと知ってるみたいだけど、えーと、どちら様?」
「えっ、わたくしのことを知らない? なんということ。これは今年始まって以来の屈辱ですわ」
急に不機嫌になる。有名人なのだろうか。
「燐堂家のご令嬢、燐堂サツキ様です。燐堂家の所有するリンドーグループは、鳳グループと並ぶ、国内有数の大企業でございます」
ヨシノさんがこっそり耳打ちをしてくれる。
「せっかく、名家に生まれた者同士、挨拶をと思っておりましたのに。まさかわたくしのことをご存知ではないとは。か・な・り・ショックですわ」
「ごめん。せっかく挨拶してくれたのに」
「これでも、雑誌やテレビなどで紹介されたこともございますのに。鳳グループにとって、リンドーグループはその程度にしか思われていないということですわね」
参ったな。面倒なのに絡まれてしまった。こういう時にどう対応すべきなのかわからない。
助けを求めるように、ヨシノさんの方を見る。
「よいではありませんか。鳳家にとって、燐堂家はその程度の存在だとはっきりおっしゃれば」
「そんなわけにはいかないだろ」
聞く人を間違えた。
「あっリョウマ君。お疲れ」
困っているところに、通り掛かった春日さんに声を掛けられた。
「あれ何やってるの?」
「いや、燐堂さんと挨拶をしていたんだよ」
「そうなんだ。燐堂さん、初めまして春日晴子です。よろしく」
「なっ、何なんですの、この子は馴れ馴れしい。わたくしが鳳君と話をしているところに。しかも、今、リョウマ君って名前で呼びましたの?」
突然の乱入者に驚いたのか、それとも春日さんのフランクさに押されたのか、燐堂さんはかなり動揺している。
「? リョウマ君とは、朝会って、仲良くなったんだよ。ね?」
「あっ、あぁ、うん」
「今朝? それで名前呼び? 信じられませんわ。鳳家の御子息ですのよ?」
「そうみたいだね。あっ、ごめん。私急いでるんだ。お父さんもお母さんも工場の仕事で忙しいから、今日は私が家事をやんないといけないんだ。それじゃあまた明日ね。リョウマ君、燐堂さん」
そう言うと、廊下を駆け抜けていった。
「春日さん! 廊下は走ったら危ないよ!」
俺の声が聞こえたのか、春日さんはこちらを振り返るとエヘヘッと苦笑いを浮かべ、早歩きで消えていった。
「いったいなんでしたのあの方は。工場? 工場を経営なされている家庭の方なの?」
「そ、そうらしいね」
「なんか、ドッと疲れましたわ。アヤメ、わたくしたちも帰るわよ。では、ごきげんよう、リョ・ウ・マ・サ・マ」
「あっ、うん、燐堂さん、また明日」
そう言って、俺は手を振った。
「さぁ、なんか俺たちも疲れたね。帰ろっかヨシノさん。お腹空いたよ」
「はい、遅くなりましたが、帰って昼食にしましょう」
気が付くと、廊下はかなりの人だかりになっていたが、それらをかき分け、俺たちも帰路に着いた。