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夕食は、ハナコのリクエストになるべく応えられるよう、昔ながらの定食屋といった雰囲気の店を探した。そこでは味噌汁のダシに煮干しを使っていて、ハナコはその香りを懐かしいと喜んだ。カオルはまんざらでもない顔をして、向かい合って一緒に食べていた。
その店を出ると、カオルが「ちょっと、つきあって」と言って酒屋を探しだした。ハナコは相変わらず半歩さがってカオルに続き、そして酒屋は思いのほか簡単に見つかった。店内に入ってワインを物色し、カオルが三千円弱の赤と白を一本ずつ購入してホテルの部屋に持ち込んだ。
その目的は決まりきっていた。二人は替わる替わるシャワーを浴びて浴衣に着替え、ベッドに足を投げ出して座り、サイドボードに二本のワインを据えて湯呑みで呑んだ。赤は渋みがやや強く、白は甘かった。互いで注ぎあうわけでもなく、手酌で呑んだ。会話らしい会話はなく、ただ呑み続けた。
そして二本とも残すところあと僅かというところで、ハナコが急に立ち上がり、口許を押さえながらユニットバスのトイレに駆け込んだ。
「ちょっと、大丈夫なの?」
ハナコはドアを閉める余裕もなく、こみあげてくるままにワインを吐いた。カオルが近づいて来て、背中をさすってくれる。温かい手が、自分の背の上を昇降する。
「う、うう」
吐き気には波があった。押し寄せてくる度にハナコはトイレに突っ伏し、そして波とは関係なくこみあげるままに涙を流した。自分がなぜ泣いているのか分からずに、それでも涙はぼろぼろとこぼれて止まらなかった。
カオルは、それをどう思っていたのだろうか。彼女は不変のペースでハナコの背中をさすり続けていた。
* * *
三日目、そして決行の日。
カオルはベッドから身を起こし、サイドボードにデジタル表示されている時間を見た。
午前二時四十二分。
隣のベッドでは酔いつぶれたハナコが倒れるように眠っている。
カオルは闇の中で、眠るハナコの影のような姿を見つめた。
前髪をかきあげ、そして静かにベッドから抜け出す。
部屋の隅には、昼間の内に買い集められた物がまとめて置かれている。その中から、バスタオルを全て取り出し、一緒に買った裁ち鋏も出して、右手に持った。
カオルはバスタオルを縦二本に切り分け、そしてそれぞれの両端の中央に二十センチ程度の切り込みを入れ、左右に二本足ができたような形にして、その二本足と二本足を結びつける形で、バスタオルをロープ代わりになるように長くした。作るのはバスタオル三本分のものと、一本分のものの二種類。ゆっくりと固く結んでいったが、時間はせいぜい二十分しかかからなかった。
カオルは、それをキャリーカートに詰め込み、そして他のアイテムもなるべく取り出しやすいように詰めていった。
そうした荷造りを終え、また時間を見る。午前三時十四分。
朝六時にはチェックアウトしなければならないものの、しかし身支度を整えるにはまだ早い。あと二時間は何かしらで暇を潰す必要がある。
もう一度、ベッドに潜り、横になろうか。
そう思い、けれど、そうする気にはなれない。
カオルは部屋の片隅に座りこみ、そこからハナコを見つめた。今日、この人は私のサポートによって死ぬ。そう思うと、今、何の異常もなく当たり前のように眠っているハナコの姿が不思議なものに見えてきた。規則正しい寝息には、健やかな生命力があった。
それが、どうやって死ぬというのだろう。私は彼女の、どのような最期を見ることになるのか。
カオルは様々な姿を想像した。ぶらさがる両足、ぴくぴくと痙攣し、そしてだらりと下がった両腕。喉から洩れる、カエルの潰れたような声。表情はどうしても想像できない。顔は包帯と手拭いで覆い隠されている。穴という穴から中身が飛び出し漏れるのを防ぐためだとハナコには言ったが、それは理由のうちのひとつにすぎない。自分がその顔を見たくないというのが最大の理由だ。
カオルは眠れないまま、朝を待った。
エアコンを稼動させ、タバコを続けざまに吸い、ペットボトルに残っていたお茶を湯呑みに注いで飲み、窓の向こう側が白けてくるのを待った。何かをする度にささやかな物音がたち、その音でハナコが目覚めてしまうことはなかった。