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「ちょっと、バスタオルの色が七種類もあるのよ。何色がいい?」

 開店時間を少し過ぎた頃に入った百円ショップで、カオルが一歩さがった所にいるハナコに声をかけた。ハナコは背後からそろりと覗き、並んだ色を見た。白、黄、ピンク、淡い青、濃い青、明るい緑、くすんだ緑。ハナコにはどれを使っても構わないと思える。どうせ一回きりしか使わないのだし、使った瞬間に自分は死んでしまって無関係の世界へ旅立つ。

 けれど、カオルにはそうした消極性は通用しないらしい。ハナコは少し迷って、くすんだ緑を選んだ。カオルは陳列されたタオルの中に遠慮なく手を突っ込んで、下の方から四枚ほど抜き取ってカゴに入れた。

 手拭いや折り畳み式の椅子もすぐに見つかった。椅子は踏み台にするには造りが弱そうに思えた。これで大丈夫なのかハナコは不安だったが、椅子に頑張ってもらうより他にない。

 そしてカオルが会計に向かおうとして、入口付近に並べられたキャリーカートに目をつけた。

「ねえ、これに道具を入れていこうか。これで千円ですって」

「はあ……」

「嫌なの?」

 煮え切らないハナコの声に、カオルが少しむっとする。ハナコは慌てて言葉をついだ。

「いえ、ただ、あまり持ち合わせがないから……すみません」

「いいわよ、これくらい私が手向けに買うから」

「手向け……」

 カオルの言葉に、背中を冷たい手でぞろりと撫であげられたような気持ちになる。けれど当のカオルはさっさと会話を終わらせて、キャリーカートをひとつ抱えあげてレジに乗せていた。

「さて、あとは薬局ね」

 店を出て、カオルは迷いのない足取りで薬局へと歩きだした。

 そして買い出しはカオルが言った通り、手際よく午前中に終わってしまった。ハナコは常にカオルの半歩後ろを歩いて彼女につき従った。全てはカオルが中心であり、司令塔だった。

 そうした二人のありようをカオルはどう思っていたのか。

 カオルはふと視線を巡らせて、公衆電話を見つけた。

 そしてハナコに「ちょっと、このベンチに座って待っててね」と言い残し、電話をかけに行く。公衆電話といえば、あの募集人のところだ。ハナコにもそれは何となく分かったが、声が切れ切れに聞こえる位置で、おとなしく待っていることにした。聞こえてくる会話の断片は、会話の内容のヒントになるほどには聞こえてこない。

 カオルは百円を投入して、手帳の最終ページにメモした募集人の電話番号をダイヤルした。コール音が十回近く続き、ようやく彼が「はい」と通話を繋いだ。

「今、電話して大丈夫でしたか? 一昨日の他殺志願ですけど」

「ああ、はい。平気ですよ、ただ寝起きなのでお待たせしてしまってすみません」

「いえ、こちらこそ」

「で、何かあったんですか」

 募集人から改めて訊ねられ、カオルは少し黙った。何となくすっきりしない気持ちが続いていて、それを彼に聞いてもらいたかったような気がする。かといって、どう切り出せばいいのか、とっさに浮かばずに言葉を探した。

「もしもし?」

「あ、はい。すみません。……あの、今さらなんですけど、あの人は本当に自殺志願者なんでしょうか」

「――と、言いますと?」

「何だか、全てにおいて受け身というか。本当に死なせられる気があるのかしら、と」

「まあ、積極的な自殺志願者っていうのも、どうかと思いますけどねえ……でも受け身すぎても困りますね」

 募集人の語調が、なだめるようなものになる。カオルはそこに勢いをつけて「そうなんです」と頷いた。

「いい加減、疑わしくなってくるんですよ。私が連れ回してるだけじゃないか、とか。うんざりしてきたっていうか」

 憮然とした声で訴える。募集人の声はいたって鷹揚だった。

「まあ、あなたのお気持ちも分かりますけども。とりあえず、これもまたひとつの道楽だと思い直して楽しんでは頂けませんか」

「道楽?」

 他殺を道楽と言ってしまう募集人の度胸にカオルは一瞬唖然としてしまう。募集人は平然と「そう、道楽です」と言って言葉を繋いだ。

「人生これ道楽、ですよ。世の中、ありとあらゆる全てが道楽になりうるんです。でなきゃ私が面白くありませんのでね。――消極的な彼女には、さぞお困りでしょうが、そこを何とか、お互い真剣にいきましょう。彼女がどうであれ、あなたはあなたで貪欲に楽しむんです」

 募集人は自信に満ちていると感じさせる穏やかさと力強さでカオルを黙らせた。カオルは、適当に頷きながら通話を切ってハナコの元へ戻り、計画を予定通り進めるしかなくなった。そうしてハナコと再び向き合った時、はじめてカオルは人を死なせることを恐ろしいことだと思った。後戻りする決断力を持たないまま、進み続けるままに。頭の中では募集人の「道楽」という言葉がぐるぐると廻っていた。

「お待たせ。さて、次はどこかでお昼を食べて、チェックインの時間まで適当にすごしましょうか」

「あ、……はい」

 ハナコの目から見て、カオルは常に迷いなく歩く。何もかもを分かっているかのような態度で歩く。カオルの心の内はどうであれ、ハナコにはそう見えていた。そして出会った時からずっと、ある一定の水準より高いテンションを保ち続けているように感じられる。そこには彼女の底力、逞しさがある。

 ハナコは、カオルのことを、中学校や高校に通っていた頃、クラスに必ず一人はいた仕切り屋タイプの人だと思った。しかし自分の死を仕切られるのはいかがなものか。それとも、これこそ殺されるということなのか。カオルを前にすると、ハナコがそれまで思い悩んでいた「死」という選択肢がかすみそうになる。確かに自殺を考えていたはずなのに、別のことを考えそうになる。そしてカオルに引きずられて歩く。

 ハナコはカオルをまた怒らせるかもしれないと思いながら、呟かずにいられなかった。

「……人を殺すって、何てエネルギッシュな行為なんだろう」

 斜め前を歩いていたカオルが振り返り、一拍の沈黙を置く。ハナコは怒号を覚悟して歯を食いしばる。が、予想に反して、カオルの喋り方は穏やかだった。

「あなたもね、もっと積極的になってごらんなさい。自分の欲求を満たすために、ね」

「欲求?」

 ハナコが訊き返すと、カオルは何を今さらと言わんばかりの顔で「そうよ」と言った。

「あなたは、死にたいんでしょう?」

 カオルからすれば今改めてハナコから死にたいのか死にたくないのか聞かせて欲しかったのかもしれないが、ハナコは返す言葉もなく立ちすくんだ。

 そうだ、自分は死ぬことを考えて募集人に電話をかけたのだ。魔がさしたように、それでも現実に電話をかけ、この出会いを受けたのだ。

 カオルの言葉は、募集人からの受け売りに近かった。けれどそれを知らないハナコは、突風に吹きつけられるような気持ちにさせられた。

 自分は今、死ぬためにここにいる。カオルはそれをサポートしてくれている。

 

「さて、と。食べた後で構わないけど、今のうちに書いておいて欲しいものがあるの」

 ファーストフードの店に入り、セットメニューを注文して席に落ち着いたところで、カオルが買い出しした物の中から白無地のレターセットを取り出した。

「遺書よ。書けるわね?」

「はあ、……あの、私、字も文章も下手なんですけど……」

「そんなことは、どうでもいいわ。大事なのは、あなたが書いた遺書だってことなの。ありがちな文章でいいの。何も、マラソンランナーの円谷幸吉が遺したような名文でなくてもいい。あなたの自殺を証明するのに欠かせないアイテムなのよ」

「……はい」

 ハナコは神妙な顔をして頷き、そしてレターセットを取って開封した。

「食べた後でいいわよ? 冷めたらまずいでしょ」

「いえ、どうせ長い文章なんて思いつきませんから……あの、ペンありますか」

「あ、……はい。献血でもらったボールペンだけど」

 カオルが黒のボールペンを差し出す。ハナコは「ありがとうございます」と言ってそれを受け取り、すぐに便せんに向かった。カオルはハナコがぐずぐずと迷うのではないかと思っていたが、思いのほかペンはさらさらと動き、数行書いたところで終わった。

 一枚の便せんには、こう書かれていた。

『信じていた人に裏切られました。

 私に残っているのは、

 悲しさと悔しさと借金だけです。

 もう生きていけません。

 お父さん、お母さん、最後に会いたかったです。

 ごめんなさい』

 それは素直な印象の手紙だった。ハナコは封筒を取り出して大きく「遺書」と書き、右下には自分の本名を署名して、書いた遺書を三つ折りにして封筒に入れた。

 時間にして、二分程度のうちにハナコはその仕事を片付けた。カオルはその素早い仕事ぶりを、黙って見守っていた。そして封筒に封がなされてハナコから手渡された時、「いい遺書ね」と呟いた。


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