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「はい」
募集人はすぐさま携帯電話を取り出して通話を繋げた。相手は言葉に詰まっているらしく、最初の一言がどもってしまって出てこない。この気弱そうな人間こそ自殺志願者であってくれと募集人は思う。
「あ、あの。……あの、駅前の電柱に貼ってあった紙を見て、電話させて頂いたのですけど」
「ええ、ありがとうございます。――あなたはどちらを志願なさいますか?」
流暢に、手慣れたような声で相手を促す。覚悟を決めかねるような呼吸音が二度ほど聞こえてきて、それから戸惑いを隠せない口調で相手が答えた。
「ええと、自殺、志願です」
「はい、どうも。じゃあ、明日の午後一時に渋谷駅のハチ公の壁画前までおいで頂けますでしょうか」
「ハチ公、壁画前……はい」
「ありがとうございます。その時、目印に白いバラの花を一輪持っていて頂けますでしょうか」
「あ、……はい。あの」
「何でしょう?」
「はい、ええと……待ち合わせて、何があるんでしょうか」
語尾が不明瞭な喋り方に、募集人は僅かに苛立ちを覚えた。こういうタイプの人間は苦手なんだよな、と思う。何かにつけてぐずぐずと戸惑って、いったん泥濘にはまると、ぐずぐずと戸惑う性分のために、とんでもないことを仕出かすタイプだ。おおかた、今自殺志願しているのも、そんなタイプゆえに自分の首を絞めてのことだろう。
「ええ、あなたは他殺志願者の方と待ち合わせすることになります。今回の他殺志願者さんは、ちょうどあなたと同年代くらいの女性の方ですから安心ですよ。相手の方は少し明るめの色をしたロングヘアで、手には赤いバラの花を一輪持っていて頂きます。たぶんすぐに見つけられると思いますよ」
「……はあ。あの、でも」
「何でしょう?」
「私は、そこでその人と待ち合わせをして、どうすればいいんでしょうか」
何て鈍いんだ。募集人はアパートのエレベーターに乗り込んで八階のボタンを押しながら、どっと疲れが押し寄せてくるような気持ちに襲われた。
「それはもちろん、彼女にはあなたの自殺の協力をして頂くことになります」
「え、……そんな」
「ちょっと失礼ですが、あなたは自殺志願者ですよね?」
「あ、……はい」
「御理由は何でしょうか」
「はい、……あの、交際相手にお金を貸していたんですけれど、そのせいで借金に追われて、首がまわらなくなってしまって、彼とは連絡がとれなくなって、それで、もう駄目だと」
「助けてくれそうな人もなく」
「……はい」
沈んだ声が、泣き出しそうに震える。電話口で泣かれるのはうっとうしい。募集人は八階に着いたエレベーターから降り、自室へ続く廊下を歩きだしながら、さくさくと話を進めることにした。
「そう、誰も助けてくれなかったがためにここまで追いつめられたあなたの人生は、その最後に協力者を得るわけです。いいですか、最後くらい思い通りにいきたいでしょう? そして孤独なはずのあなたは、協力者の支えを受けながら死ぬことができるんです」
「……はあ……」
「では、よろしいですね? あと、あなたの髪型をお教え頂けますか?」
「……ショートカットです」
「染めたりしていますか?」
「いいえ。お金がなくて……」
金がないだなんて、そんなことはどうでもいい。不明瞭なくせに余計な言葉を添えようとする相手に、募集人は更に苛立ってきた。彼女が申し出てきてくれたお蔭でこの計画がスタートするのだと頭では分かっていても、生理的に受け付けないものはしょうがない。もう、さっさと話を終えて、この通話を切りたくなっている。
「分かりました。では、さきほど申し上げたように渋谷で相手の方と待ち合わせをなさって下さい」
「……あ……はい」
「では。御武運をお祈りいたします」
言うだけ言って、募集人は通話を切った。そしてバッグから部屋の鍵を取り出し、ドアを開けて、自分の部屋の匂いを嗅ぎながら玄関をくぐった。現在、午後九時少し前。これからシャワーを浴びて、ビールを呑みながら一息つこう。そうしているうちに、昼間の電話が悪戯でなければ、他殺志願者からの二度目の電話がかかって来るだろう。
午後十時を少しすぎた頃、募集人の携帯が着信を告げて、静かな室内に電子音を響き渡らせた。
「はい、もしもし」
募集人は公衆電話からであることを確かめて通話を繋いだ。はたして、相手は昼間の女性からだった。
「昼間にお話しました他殺志願者ですけど、自殺を志願なさる方は出ました?」
しゃきしゃきとした喋り方は、耳に清々しかった。募集人は、ほっと表情を緩めながら「ええ」と頷いた。
「出ましたよ、あなたと同年代らしい女性の方で、髪型はカラーリングしていないショートカットだそうです。それでですね、明日の午後一時に渋谷駅のハチ公の壁画前で待ち合わせをして頂けますか」
「その彼女とですか? 髪型以外の目印はありますか」
「ええ、彼女には白いバラの花を一輪持っていて頂くことになっています」
「白いバラの花」
他殺志願者が呆れたような声を出した。そうだよな、普通は呆れるんだよ、こんなベタな小道具はと内心で相槌をうちながら、募集人は構わず言葉を続けた。
「そしてあなたには、赤いバラの花を一輪持って頂きたいのですが。よろしいですか?」
「赤い、バラの花」
「ええ、赤いバラの花、一輪」
念を押すと、彼女が言葉に詰まった。あんな場所でそんな物を持つのは恥ずかしいと思っているらしい様子が、電波越しにはっきり伝わってきて、募集人は笑いを堪えた。
「もっと他に、服装とかバッグの色とか、そういう目印はないんでしょうか」
「すみませんね、これが一番手っ取り早いんですよ」
「そりゃ、目立つでしょうけど……」
「相手の方に御会いできたら、花はすぐさま捨てて下さって構いませんから」
「……はあ。分かりましたけども」
不満たらたらながらも、何とか了解は取れた。これで一応話は終わりだった。募集人は「じゃあ、何かありました際は、この電話番号まで御連絡下さい。そちらの御武運をお祈りいたします」と終了を切り出した。
「ええ、分かりました」
彼女の語尾に、微かに嘲笑うような響きが混ざる。よほど赤いバラ一輪という小道具が気に入らないのだろう。しかし諦めてもらうより他にない。
「じゃあ、失礼します」
「はい、失礼します」
そして通話は切られた。要点だけに絞りこんだ、あっさりした会話だった。募集人はこの二人の出会いと成功を祈りつつ、二本目のビールの栓を開けた。
用済みになったチラシは、明日、仕事帰りにでも剥がしてくればいい。




