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命あげます、命もらいます

 病院とも違う。

 ここには独特の匂いがある。

 スタッフに案内されて、日の光が差し込む明るい部屋へと足を踏み入れる。

「母さん」

 車いすに座る母に声をかける。

 ああ、心臓が口から飛び出しそうだ。

 私の後ろにはスタッフがメモを片手に控えている。

 お願い、お母さん。

 すっかり髪が白くなった母。それでも、毎日鏡を見て髪の毛を整えている。

 今日はきっちりと後ろで髪を結んでいる。だから、大丈夫。

 大丈夫なはずだ。

 後れ毛も残さず髪を束ねた母が振り返る。

「はい?」

 心臓がより激しく波を打つ。

 母の目が私の顔を見る。

 私だよ。名前を呼んで。

「何かしら?」

 ああ、胸の奥がギューッと締め付けられる。

 娘の私にはそんな丁寧な言葉は使わない。

 母は、「何だった?」とか「どうしたの?」とかちょっと方言が混じったイントネーションで娘の私には話しかける。

 手に汗がにじみ出る。恐怖でどうにかなりそうだ。後ろのスタッフの目が怖い。

「何って、用事がないと来ちゃだめなの?」

 お願い、私の名前を呼んで。お母さん、お願い!

「いえいえ、そんなことはないですよ?ちょっと待ってくださいね。今お茶をお出ししますから」

 ああ、ダメだ。

 相変わらず母の言葉は他人行儀だ。

 他人行儀な……丁寧な言葉。

 お茶をお出しするなんて……。

「あら?ここは、どこだったかしら?私の家じゃなくて……」

 ああ、駄目だ。

 今日はちゃんとボタンも掛け違えてないし、髪の毛もきれいに整えてるから……。比較的大丈夫な状態だと思ったのに。

 娘の私のことは分かるくらいには……大丈夫だと思ったのに……。

「あなたのお家だったかしら?」

 母さん、私は、あなたの娘の則子です。

 ここは、母さんが入所している特別老人ホームです。

 私の後ろに立っていたスタッフがペンを動かしている。

 やだ、駄目。違う、まだ、そうじゃないっ!

 ペンを止めると、スタッフの女性がすっと腰を落として車いすの母と目線を合わせて話しかけた。

「佐山さん、娘さんがいらしてくれましたよ、よかったですね」

 手が震える。

 何でよ、何で、どうして……。

「娘?則子が?」

 母の視線はが、私を通り過ぎドアの入り口へと移る。視線の高さは、ずいぶん下の方に向いている。

 母さん……今日の母さんは、何歳の則子の母さんなの?

「どこに?則子、勝手に出歩いちゃダメじゃないのっ!危ないんだからっ!」

 母さんが車いすから立ち上がろうとして体が傾ぐ。

「危ないっ!」

 とっさに伸ばした手は母には届かず、スタッフが傾いだ母の体を支えてくれた。

「さぁ、佐山さん、リクリエーションルームへ行きましょうか」

「リクリエーションルーム?そうね。そうだったわ……」

 認知症の母の意識が現代に帰ってきた。

「あら、あなたは見ない顔ね?新しいスタッフさん?」

 現代に帰ってきたのに、母の中に現代の則子はいない。

 スタッフが、複雑な顔をする私に軽く会釈をして車いすを押していく。

 ダメだ。ショックを受けてただ突っ立っているだけでは。

「やだな、母さん。則子だよ。娘の顔くらいちゃんと覚えてよ。ほら、目元なんか20年前の母さんにそっくりでしょ?大体、一昨日はちゃんと私のこと分かってたじゃない。昨日ちょっと合わなかっただけで忘れちゃった?」

 車いすの横を歩きながら母に話しかける。

 スタッフにも聞こえるように。

 そう。一昨日は私のことを則子と呼んでくれた。

「則子?あなたも則子というの?私の娘も則子っていうんですよ。もう、最近反抗期がひどくて、顔を見てもプイッとすぐに部屋に引っ込んじゃうの」

 その則子だよ。

 反抗期、ごめんね。長かったよね。

 中学高校と。そのあともどう接していいのか分からず口をほとんど聞かなかったのが3年くらい続いたけれど……。

 いつも私のことを心配してくれてた。

 話はしてないのに、受験勉強していた私の部屋にいつも温かい夜食を運んでくれた。

 それは、くそばばぁと八つ当たりした日も同じで……。

「今年は受験で、ストレスも大きくて則子も大変なのよね。私には夜食を作ってあげるくらいしかできなくて……ふふ。でも、どんなに反抗期で口をきかなくても、夜食はちゃんと残さず食べて、朝には食器が洗って置いてあるのよ。それが、娘にありがとうと言ってもらっているみたいで……」

 母さん……。

 あれは、くそばばぁと言ってごめんなさい。生意気な口をきいてごめんなさい。心配かけてごめんなさい。素直になれなくてごめんなさい。

 ずっと、ごめんなさいの気持ちだったんだよ。……でも母さんには、あれは「ありがとう」って言葉に映ってたんだね。知らなかった。

「まぁ、素敵な娘さんですね。反抗期の時は、私は母親に感謝する気持ちなんて全く持てなかったですよ」

 スタッフが母の言葉に返事をして、ちらりと私を見た。

 私はそれに苦笑いを返す。

 リクリエーションルームにつくと、すぐにスタッフは別のスタッフを呼んだ。

「佐山さんをお願いします。則子さん、こちらへどうぞ」

 ぎゅっと胸の奥が締め付けられる。

 やだ。

 話をしたくなんかない。

 現実を……現実に向き合いたくなんかないよ。

 それでも、施設側と、利用者の3か月に1回の話し合いの場をキャンセルすることはできない。

 スタッフに促されて、机と椅子、小さな本棚だけの小部屋に通される。

「どうぞ、おかけください」

 奥の椅子に腰かけると、向かいにスタッフの鈴木さんが座った。

 手に持っていたメモをした紙を置き、どこからか取り出したファイルに挟みこんだ。

 施設内での、母の様子や、今後の対応などこまごまとした報告を受けたが、まるっきり頭の中に入ってこなかった。

 母の認知症は進んでいる、ただその事実だけが心臓に重くのしかかる。

「どうしますか?」

 スタッフの鈴木さんが、1枚の紙を取り出してテーブルに置いた。

「申請を出しますか?」

 寿命譲渡申請書――。

 用紙の一番上にはそう書かれている。

 寿命差出人の欄には母の名前。

 母の右上がりの字だ。間違いない直筆。

 譲渡寿命期間は最大の5年。

 寿命受取人には私の名前が書かれている。

■2

 何の神様のいたずらなのか、ある時突然、人々は余命が分かるようになった。

 正確にいえば、残りの寿命が10年を切るとアラームが点灯するのだ。

 そして、さらなる神のいたずらは寿命を自由に受け渡すことができるようになったことだ。

 ある者は死から逃れるために人から寿命を奪い、またある者はお金を得るために寿命を売った。

 秩序のない寿命のやり取りで世界は混乱した。そこでルールが出来上がった。

 譲渡できる最大値は5年まで。一人に5年渡すこともできるが、1年ずつ5人に分けてもいい。1日ずつ多くの人に渡すこともできるが、合計5年を超えて寿命を渡すことはできない。

 年上から年下に渡すことはできるが、年下から年上の者に渡すことはできない。子供の寿命を親がもらうことはできないのだ。

 渡す側、受け取り側、双方の合意が必要。合意には第三者による立会が必要であり証拠を残さなければならない。無理強いを防ぐためだ。

 百歳以上の者が寿命を受け取ることはできない――など、例外も含めいろいろな決まりができた。

 

「お母様が条件としたのは、以下の場合ですが……すでに条件を満たしていますので、いつでも申請が可能です」

 申請は役所に。役所から専門家に回され、電話がかかってきて日程を決め、カウンセリングののち、寿命の受け渡しが実行される。確か、そう説明されたはずだ。

 母さんが示した条件。


 認知症が進み、子供の顔が分からなくなってしまった時


 記憶が呼び起こされる。

 あれはまだ、母が認知症になる前だ。

 母と二人でテレビを見ていた時のことだ。父の7回忌を終えた日だった。

「そろそろ母さんね、則子に寿命を渡そうかと思ってるのよ」

「は?何を言ってるの?」

 テレビではちょうど、寿命譲渡制度が始まって3年がたったという特集をしていた。

「いらないよ。ほら、テレビでもインタビュー受けてる人が言ってるじゃん。親に長生きしてもらいたいからあげると言われても断るって」

 母が首を傾げた。

「でもねぇ、このまま長生きしても……」

 父を亡くしてからの母の口癖を久々に聞いた。1年くらいは寂しさからかよく言っていたセリフだ。

「あのね、簡単に受け渡しはしないの。いざという時のために取っておかなくちゃ」

「いざ?」

「例えば、私が子供を産んで、その子供の命が成人前に尽きると知ったときとか」

「孫のためにとっておけと?だったら、早く孫の顔を見せてよ?孫の顔を見たら、思い残すこともないだろうし」

「思い残すこともないんじゃなくて、孫がかわいくて死ぬに死ねなくなるの間違いでしょ?」

 ふふふと笑いあって、それもそうだとその場は終わった。

 だけれど、それから少しして母は弁護士を呼んで譲渡書類を書いたのだ。

「母さん、私、母さんの寿命はいらないから」

「うんうん、分かってる。だから、譲渡条件をね付けるから。例えば、末期がんでただ痛みに耐えるだけの日々に突入したら……」

 ああ。

 父親の姿を思い出す。

 そうだ。

 父はとても苦しんで苦しんで、苦悶に満ちた顔をして亡くなった。

 どれだけ痛み止めの薬を使っただろう。それでも訪れる痛みに……。父はなんと言っていただろうか。

 母は、どんな気持ちで父を見ていただろうか。

「あ、それから、もし植物状態になったら。脳死ってやつ?延命治療を受けるよりも、寿命を則子にあげるわ」

 それは確かに。脳臓器提供カードみたいに、脳死時の寿命提供カードを携帯する人も徐々にではあるけれど増えてきている。

 年下から年上に寿命を渡すことは禁止されているが、脳死時のみ親や姉兄への寿命提供は認められている。

 天涯孤独の者は、寿命バンクへ寄付することも可能だ。長く生きられない子供たちに提供されている。

「えーっと、あとはどんな時に譲渡することが多いですか?」

 母の質問に弁護士がにこやかに答えた。

「そうですね、事業に失敗したり何かして、死を考えるような場合、……自殺した場合とか」

 あれ?

「自殺って、その時死ぬのに寿命は残っているんですか?」

「ああ、寿命というのはあくまでも神様が決めた生きられる時間です。それに逆らって命を絶つのが自殺。命を絶たれるのが他殺ですね。両方ともまだ寿命が残ったまま亡くなりますから、寿命を誰かに渡すことができます」

「ああ、そういうことなのねぇ。自殺すると地獄に落ちるとか、人を殺すと地獄に落ちるとか、神様に逆らっているなら当然よねぇ」

 と、母さんが納得したように手を打った。

 そうなのかな?

「でも、子供にたくさん寿命を渡したくて自殺するとかないの?それでも地獄?」

 弁護士が首を横に振った。

「自殺してたくさん寿命を渡すことができても、指定した相手に渡せるのは5年までです。それを超えた分は寿命バンクに行きます」

「あら、そういう場合でも5年が上限なのねぇ」

「そうですよ。保険金殺人じゃないですけど、寿命狙いの自殺に見せかけた他殺が増えても問題ですからね。今のところ5年を超えて譲渡が認められているのは一つだけですね」

 遺書制作と似たところがあり、寿命受け渡しに関わる業務の多くは弁護士が担っている。そのため、弁護士はこの筋の専門家と言ってもいい。

 知らないことをいろいろと知っている。

「もう少し身近な例でいえば、浮気をしたら寿命を渡すとか、借金をしたら寿命を渡すとか、夫婦間で取り決めがなされている場合もありますね」

「浮気や借金で?」

 そんな軽い条件で寿命のやり取りをすることにびっくりして声を上げる。

「まぁ、ある程度の抑止力にはなっているようですが……。裁判での凡例では90日までが妥当と出ていますけれどね」

「たったの3か月?」

 今度は母が声を上げた。

「浮気されたほうは、どれだけ寿命の縮む思いをするか!借金を返済するために身を粉にして働いてどれだけ寿命を縮めるか!分かってないっ!人生台無しにされるんだから、5年でも少ないくらいよっ!」

 人生台無し……。確かにそう考えたら、人生をやり直すと考えると5年では少ないのかもしれない?え?そうなの?

 弁護士の顔を見ると、無表情。

「ほかには、認知症になった時にというのもありますよ」

 弁護士が話を続ける。

「寿命譲渡に関しては判断能力がない人から受け取ることはできなくなりますから。精神疾患、認知症など判断能力がなくなる前に書類を準備する人も少しずつ増えてきていますね」

 母が小さく頷いた。

「そうね、認知症になって人様に迷惑をかけて生きていくのはいやね」

 弁護士が続ける。

「では、どれくらいまで症状が進んだらと条件を付けますか?徘徊が始ったとき、オムツが必要になったときなど、人によって条件とするところは様々です」

 下の世話を人にしてもらわなければならないことが耐えられない人もいるっていうことかな。

 徘徊は探し回る家族に迷惑をかけたくないということだろうか?

「そうねぇ……オムツなんてのは、認知症じゃなくても必要になる場合もあるだろうし」

 実際に父がそうだった。末期がん。最期はベッドから立ち上がることもできず……。

 母が私の顔を見る。

「則子はどう思う?」

「えー、どうって……自分で考えてよ!」

「じゃあ、則子のことを忘れたら……。則子の顔を見ても則子だって分からなくなったらってことにしようかな。則子も嫌でしょう?私に知らないおばちゃんだと思われたら」

 そうだ。

 あの時、私は頷いた。

「うん、確かに、悲しくて母さんと一緒にいたくないかも……」

 あの時は、確かに……。母が私のことすら分からなくなってしまったら、もう、何をもってして親子をやっていられるのか分からなかった。


■3

 3か月ごとの症状チェックで、3か月前に……母は私を則子と呼ぶことはなかった。

「どうしますか?お母様の寿命を受け取る申請を出しますか?」

 と、3か月前に言われた。

「あ、あの、たまたま今日は症状が強く出ただけで、まだ母は私のこと分かる日のほうが多いですから」

 あれから3か月。

 徐々に、母の口から私を則子と呼ぶことは減っていった。

「どうしますか?お母様の寿命を受け取る申請を出しますか?」

 3か月前と同じ言葉がスタッフの口から出る。

 やだ。

 私のことを他人としか見ない母さんと一緒にいると寂しくなって悲しくなるけれど……でも……。

「い、いえ……その、まだ私のことを分かる日も、ありますから……」

「そうですか。では」

 書類がしまわれるのを見てホッと息を吐きだす。

 スタッフと一緒に部屋を出る。

「次のチェックは3か月後となりますが、もしその前に気が変わることがありましたらいつでもおっしゃってください。こちらの判断としては、寿命受け渡し条件はクリアしているということで、いつでも書類を用意することはできますので」

「はい。あ……ま……す」

 ありがとうございますという言葉をはっきりと口にできずに、小さな声でつぶやき頭を下げる。

 スタッフが立ち去るのを見送りながら、もう一度小さく息を吐きだす。

 胸の奥がチクチクと痛い。

「ああ、うらやましい。認知症になったら寿命譲渡してくれるなんて、本当にうらやましい」

 隣の部屋から出てきた少し年上の女性のつぶやきが耳に入る。

 うらやましい?

「私のどこがうらやましいんですか?」

 普段なら見ず知らずの人の声が届いたからといって、つっかかるような真似をしたりはしない。

 だけれど、あまりにも心ない言葉に思わず声が出た。

「だって、5年も早く死んでくれるんでしょう?」

 ああ、ああ、あああっ!

 蓋をしていた気持ちにぐさりと矢が刺さる。

「親が早く死ぬのを望む子供なんていないでしょう?」

 私の言葉に、目の前の女性の目が釣り上がった。

「きれいごとね。このまま認知症が進めばどうなるか……。私の母は私のことを泥棒呼ばわり。部屋に入れば常に排せつ物の匂いで鼻をつまみたくなる。スタッフからの報告はいつも誰に手を上げた、誰に暴言を吐いた、そのたびに私は、スタッフにもお相手のご家族にも頭を下げ、申し訳ありません、申し訳ありませんと……」

 暴力、暴言……ひどい認知症患者もいると聞いたことはある。

 確かに、もし……もし、母がそうなってしまったら……。

「これがあと何年続くのか、寿命が1日でも縮まるのならば……、寿命譲渡申請書を用意してもらっていたあなたがうらやましいと思っていけないの?ねぇ?」

 胸が詰まる。

 胸が詰まって、何かを吐き出さないと苦しくて。

 目の前の女性も追い詰められている。きっと、吐き出したくて、吐き出したくて……。

 死んでほしいと思うのはいけないことなんてきれいごとだって。その立場になれば、壊れていく親を見るのは辛い。いつまで続くか分からない戦争のような日々は辛い。いっそ死んでくれと……そう思ってしまうほどの苦労がこの女性にはあるのだろう。

 だけれど、私には私の辛さがある……。

「じゃぁ、あなたに私の気持ちは分かる?母の残りの寿命は10年あるかもしれないけれど、あと3年しかないかもしれない……。あと3年しかなかったら、5年の寿命譲渡を行ったら……その日から3日と母は生きていられない……」

 ずっとずっと母から寿命をもらうことを恐怖していた気持ち。

「私が寿命を受け取ること、イコール、母を殺すようなものだわ……ねぇ、死んでくれたらいいのにと思うことと、実際に殺してしまうことは全然違うのよ?」

 そう。

 母が死ぬかもしれない。

 いつか死ぬけれど、死ぬ日を速めてしまうのが自分だなんて……私が生きるために母の命を削るなんて……。

「きれいごと、きれいごとかもしれない。死んでほしいと思うほど辛い思いをしているあなたは大変だと思うけれど……でも、母の命を……幕引きを、自分の手にゆだねられた人間の気持ちが分かる?殺せるの?死んでほしいと思っているなら殺せばいいじゃない。でも、殺せないでしょう?施設に入れずに一緒に山にでも登ればいいじゃないっ。すぐに事故にあうんじゃない?寿命を受け取る申請書類が、母を殺す申請書かもしれないんだ。申請書を出しますかと尋ねられるたびに……母を殺しますかと言われているようで。それを、うらやましいなんて……うらやましいなんて……」

 感情的になった私と女性の言い争いを聞きつけて慌ててスタッフがやってきた。

「あら、則子だめじゃない。お友達を泣かせちゃ。ちゃんと謝りなさい」

 スタッフに押された車いすに母がのっていた。

 目の前の女性は泣いている。

 そして、私の目からも涙がこぼれた。

「ごめんんさい、しなさい則子。ほら、泣かないの。仲直りして」

 母の言葉に、泣きながら女性に頭を下げた。

「ごめんなさ……い」

「いえ、あの、お互い、頑張りましょう……」

 小さくそういって女性は帰っていった。

「ちゃんと謝れたね。偉いね則子。今日は則子の好きなおでんを作ってあげようか?」

 今日の母さんの中の則子はいくつなんだろう。

 私の顔を見て、私だと分からないことが増えた。

 だけれど、母の中に私はいつもいる。

 ねぇ、母さん……。

 私たちはずっと親子だよ。母さんが私のことを則子だと呼んでくれなくなっても。

 私は母さんを母さんだと呼び続けるし、母さんの皺だらけの手を握り締めるし。

「あら?どうしたの、あなた?どこか具合が悪いの?大丈夫?」

 しゃがみこんで車いすに座る母さんの膝の上に頭を置いた。

 また、則子だと分かってもらえなくなってしまったけれど……。

「頭が痛いの?気分が悪いの?」

 母さんが頭をそっと撫でてくれる。

 母さんは他人だと思っているかもしれないけれど、私は母さんに頭をなでてもらっていると分かっているから。

 母さんの昔から変わらない優しい手で、なでてもらっていると思っているから。

 死なないで。長生きして。

 死んでしまったら、母さんの中にいる私も死ぬんだから。

 だから、母さんの寿命は……もらわないよ。ああでも、何でもらってくれなかったのって怒られるかもしれないから、1日だけもらおうかな。

 そうすれば、私が死ぬ前の最後の日に、また母さんと生きていることになるでしょう?


■4


「私が殺しました。3歳になる娘の寿命があと数年しかないと知り……主人と主人の母に寿命を分けてほしいと頼んだんです。主人は寿命を分けてもどうせ早死にするんだ。だったら、あきらめてもう一人子供を作ればいいじゃないかと言いました。主人の母もそれに同意しました。それから……、早死にするような子供しか産めない私と別れて別の人と再婚したほうがいいんじゃないかとも……。それまで孫をかわいがってくれていたのに、手のひらを返したように顔も見に来ないようになり……。今まで娘のために使ったお金を返せと言われ殺意がわきました」

 裁判員と裁判官が集まり評議が始った。

「死刑が妥当だろう」

 裁判員の一人、中年の男が口を開いた。

「そうねぇ、私も死刑にするべきだと思います」

 上品でおっとりとしたしゃべり方とは不釣り合いな言葉が、老婆から飛び出す。

 それを聞いた、頭の硬そうな元大手企業で部長を務めた初老の男が反対意見を述べた。

「これだから、物事を知らない人間は。殺されたのは姑一人だろう。一人殺しただけで死刑判決などありえない」

 初老の男の意見に若い娘が首を傾げる。

「でも、旦那も殺そうとしたんだよね?死んだのは一人だけど、殺そうとしたのは二人でしょ?」

「そうですよっ!計画的であり残忍な殺し方をしたし、反省の色も見えない。だから、死刑でいいんですわ」

 老婆は優しそうな顔をしているのに、口から出る言葉は辛辣だ。

 若い娘が口を開く。

「だよねー。人数で量刑が決まるならさぁ、私ら集まって話し合う必要なんてないじゃん。それこそPCに情報打ち込むだけで終わりじゃん」

 その言葉に、今まで黙っていた30代の主婦が口を開いた。

「私は……死刑は重すぎると思います。私にも、被疑者と同じくらいの子供がいます。もし、子供が同じようにあと数年で死ぬと言われたら……」

 ぎゅっとハンカチを握りしめて小さな声での主張。

「だからって、誰かの命をくれと、当たり前のように寿命をもらえると思うのはおかしいだろう?」

 中年の男が主張する。

「でも、父親なんですよ?祖母なんですよ?少しでも子供が長生きできるならば、自分の命に代えてもって……」

 主婦の主張に、パーカーのフードを目元まで下ろしている男が口を開く。

「ははは。俺の親は俺に早く死んでくれっていうけどね」

 男がニートであることは、顔を合わせる間で皆知っていた。

 そのため、一同この言葉には何も返さない。

「私、被疑者が姑と旦那を憎む気持ちわかります……。寿命をくれないだけじゃなく、離婚すればいい、もういらない、どうせ早く死ぬとか……ひどすぎます」

 主婦が感極まって涙を浮かべる。

 上品な老婆が小さくため息を吐いた。

「あなたは、分からないのね……」

 残念そうに首を横に振った。

「分からないって、姑の気持ちをですか?そんなの分かるわけないですっ!」

 初老の男が手を顎に当てて考えるそぶりを見せる。

「確かに分からない点はあるな。姑は、孫娘の寿命が短いと聞いてとても悲しんでいたらしい。泣きはらした目で孫のためのおもちゃを買う姿も目撃されていたそうだし。とても、被疑者が言うような言葉を発していたとは思えないんだ。被疑者の嘘なんじゃないのか?」

 初老の男が自分の意見に満足したように目を軽く閉じてから、皆の顔を見渡す。

「そうだ。嘘をついているんだ。さっき君は言っただろう?姑にそんなことを言われれば殺したくなる気持ちも分かると。そうして同情を誘って、刑を軽くしてもらうためについた嘘だ」

 ニートの男が口を開く。

「嘘をついて刑を軽くしてもらおうっていうことは、反省の色なし。じゃ、死刑でいいじゃん?話し合い、これで終わりでいい?」

「待ってください」

 主婦が口を開く。

「姑が周囲に嘘をついて、被疑者には辛く当たっていたという可能性だってありませんか?実際、孫娘の寿命が分かっても、孫娘に寿命を殺されるまでの半年間で譲渡はしてないんですよ?本当に孫娘のことを思っていたなら、すぐにでも寿命を渡したんじゃないんですか?」

 若い娘が不愉快極まりないという表情を浮かべる。

「あー、いるいる。人に同情してもらいたくて不幸自慢する子。うざいんだよねぇ。私かわいそうでしょう?って毎日のようにSNSに書いてたりさぁ。で、そういう子に限って、結構図太い神経してたりするんだよね。平気でほかの子傷つけたりさぁ」

 老婆が口を開いた。

「どちらも本心だったのかもしれませんよ……。かわいがっていた孫娘が死んでしまうというショック。あまりに大きなショックで、自分を慰めるためにほかに子供を作ればいいと口にし、自分に暗示をかけていったのかも」

 老婆が眼鏡をはずし、こめかみを抑えた。

「人はね……あまりにも辛い出来事に遭遇すると、心を守ろうととんでもないことをしてしまうこともあるのよ……」

 ニートがニタニタと笑う。

「とんでもないことって、殺人とか。被疑者みたいに?」

 ダンっと、中年の男が机を叩いた。

「何がおかしい!」

 しんと一瞬静まるも、裁判官が二人の行動をたしなめる。

 話し合いを再開して主婦が中年の男と初老の男に尋ねた。

「あの……お子さんいらっしゃるんですよね?父親の立場としてはどうなんですか?被害者の言葉をどう思いますか?」

 初老の男が先に答えた。

「何もおかしなことは言っていないだろう。まだ若いんだ。次の子供を産めばいい。寿命を分けても成人まで生きられない子供のことはあきらめるしかないだろう?そもそも、昔は寿命を分けるということなんてできなかったんだから。分けないからって責めるほうが間違ってる」

 初老の男に、中年の男が首を横に振った。

 老婆が笑う。

「きっと、あなたも私の主人と同じでしたのね。外で働いて稼ぐのが男の仕事。仕事一筋の大黒柱……」

 その言葉には、家庭を顧みないという皮肉が込められていたのだが、初老の男は気が付きもしない。

「ああ、そうだ。稼ぎのない男などゴミくずのようなものだからな。家族のために毎日遅くまで働いたもんだ。今の若者は、残業すればブラックだブラックだと……」

 話が若者への愚痴に意向仕掛けたところで、中年の男が話を戻す。

「僕は、子供のためなら自分の命を削っても構わない」

 男の言葉に、主婦が頷き、若い娘が下唇を突き出すように口を開く。

「うん、まぁ、そうだよねぇ。そういう旦那が理想だよね。でも被疑者の旦那はそうじゃなかったってことだよね。うーん、だからって、殺そうとまでするかなぁ?さっさとたんまり慰謝料もらって別れて、寿命バンクに登録でもすればいいのに」

 老婆が笑う。

「寿命バンクって、自殺した人や殺された人の寿命が貯められて、長く生きられない子供たちに分け与える組織でしょう?順番待ちがすごいと聞いたことがあるわ」

 若い娘があーと、頭を書く。

「そうなんだ。順番待ちとかあるんだ。んー、あと寿命をもらう方法って」

 そこで、主婦が突然立ち上がった。

「あ」

 老婆と中年の男が主婦の顔を見て目を細める。

「どうしましたか?」

 裁判官の言葉に、主婦が落ち着かない様子で小さく首を振った。

「ト、トイレに……行きたくなって」

「では、少し休憩を入れましょう。15分後に再開します」

 裁判員の言葉でにほっと息を吐いて主婦が椅子に座った。

「トイレでしょう?」

 老婆の言葉に、主婦がのろのろと立ち上がる。

「あの……分かっていませんでした。そうだったんですね……」

 主婦の抽象的ないいように、老婆が頷く。その後ろで中年男性も頷いた。


■5

「ところで、君、いい若い者が、仕事もせず親に養ってもらってるんだろう?」

 初老の男がパーカーのニートの男に話かけるが、ニートの男は返事も返さない。

「私が君の親なら、一に二もなく家を追い出すけれどね。こんな愚図が自分の子だなんて恥以外の何物でもない」

 初老の男に老婆がはなしかけた。

「そして、奥様にお前の育て方が悪かったんだというのでしょうね?」

 初老の男が怒りのこもった目で老婆を睨みつける。

「言って何が悪い?俺が育てたわけじゃないんだ。育てたのは母親だろう?だったら、育て方悪かったのは母親のせいじゃないか」

「あー、やだやだ。こういうおやじがいたら、そりゃ子供もゆがむわ」

 若い娘の嘆きが中年男性の耳に届く。

「もしかして、被告人の旦那とかもこのタイプだったのかなぁ……だったら、ちょっと被告人に同情しちゃうな……」


「死刑が妥当でしょう」

 中年男性の言葉に、老婆と主婦が賛成する。

「あれ?殺したくなる気持ちも分かる、死刑は重すぎるって言っていたよね?」

 若い娘の言葉に主婦が慌てて返事を返す。

「殺したいと思うことと、実際に殺すことじゃ、全然違うと思い直して……やっぱり、その、ひどい行為だと……」

 主婦が慌てたように言葉を重ねる。視線は定まらず落ち着かない。

「そ、それに、刺された箇所も1か所ではない。衝動的ではなく、計画的に犯行に及んでいるし、それに……えっと……何か所もめった刺しにしてる」

 同じ内容を繰り返していることに主婦は気が付かない。まだ、何か死刑の理由を言おうとしているところで、中年の男が口を開いた。

「そうですね。それに、強盗殺人ではありませんが……これは明らかに寿命を狙っていると思われますし。寿命狙いの殺人は罪が重かったはずです」

 初老の男がふむと頷く。

「そういわれればそうだな。憎くて殺したというところに注目しすぎていた。殺された場合は家族や寿命バンクに寿命が渡されるんだった。この事件、殺された被害者の寿命は……」

 初老の男が書類に目を向ける。

「孫娘に5年わたっています。残りは寿命バンクに」

 裁判官の説明にニートが笑う。

「憎かった憎かったってのを強調するのはさ、寿命奪うためってのから目を反らすためかー。なんか推理小説みたいじゃん。だけど、すぐばれるようなやり方へたくそだねー」

「そっか。寿命目的の殺人ってなると罪が重くなるんだよね。学校で習ったわ。じゃ、もう死刑じゃん?私も死刑でいいと思う」

 若い娘の言葉に、老婆が胸をなでおろす。

 中年の男もほっと息を吐きだした。

 主婦はまた両手をぎゅっと握り締めている。

「だっけどバカだよなぁ。子供のために人殺しまでして、その挙句、子供と会えなくなって死刑なんて。本末転倒っての?」

「考えなしで、感情のままに動くバカな女だったってことだ」

 初老の男とニートが馬鹿にしたような顔をした。



 数日後下された判決は死刑。


■6


 カウンセラーと理学療法士が病室に現れる。

「さぁ、リハビリを始めようか?」

 声をかけられた女子高生が理学療法士を睨みつける。

「リハビリなんてしてどうなるの?」

「リハビリをして必要な筋肉をつけて、動き方を知ると――」

 女子高生が枕を理学療法士に投げつける。

「うるさいっ、リハビリなんてしないっ!リハビリなんてして何になるのっ!リハビリすれば、私の足は動くようになるの?」

 どれだけ強い口調で言われようが、理学療法士もカウンセラーの女性も顔色一つ変えることはなく、常に笑顔だ。

「もう、動かないんでしょっ。私、歩けなくなったんだよ?一生歩けない……。死んだほうがまし、死にたい……」

 よく見る光景だ。

 事故などで突然何かを奪われ障害を負った人間は絶望して死を望むようなことを口にする。

 よくあること。

 だから、カウンセラーが動じることもない。

 カウンセラーが理学療法士の顔を見て小さく合図を送る。

「じゃぁ、今日はリハビリはやめておきましょう。少し、病院をお散歩しましょうね。ずっと病室にいたら退屈でしょう?」

 女子高生が顔を反らして返事をしない。

「そうね、売店にも寄りましょうか。お金を持っていくといいわよ」

 カウンセラーの言葉に女子高生は手をベッドサイドのテーブルに伸ばした。

 けれど、動かなくなった足のせいでうまくバランスが取れずに体が傾ぐ。

「ああっ、駄目だ。動け、なんで、動かないのっ、もう、やだ。やだよ、死にたい。死にたい……」

 女子高生の由紀は、高校でチア部に入っていた。部活の練習中脊髄を損傷して半身不随になる。

 人一倍自由に体を動かしていた由紀には、体が動かないことがどれほどの苦痛なのか。

 由紀が少し落ち着くのを待って、カウンセラーと理学療法士が車いすに乗せた。

「じゃぁ、出発」

 カウンセラーが連れて行ったのは小児病棟の奥。

 車いすに乗った小学生がリクリエーションルームでおもちゃで遊んでいる場所だった。

「何よ、あんな小さな子だって頑張っているんだから、私にも頑張れってそう言いたいの?」

 由紀が憎しみのこもった目でカウンセラーを睨みつける。

「いいえ」

 カウンセラーは小さく首を横に振り、車いすをテーブルに近づけた。

「何か本を読む?」

 外科のリクリエーションルームの半分は子供たちが遊べる場所。半分は大人がくつろげる場所になっている。新聞や雑誌が置かれていた。

 由紀の目は、入院する前毎週読んでいた漫画雑誌に目が留め、すぐに視線を移した。

 こんな時に漫画なんて、読めるはずない。

 私は絶望しているのだ。そう、死んでしまいたいほどに。

 視線を落とすと、二度と動かない両足が目に入る。父親が持ってきた藤色のジャージのズボン。

 一人では履けないズボン。着替えも、風呂もトイレさえ、一人ではいけなくなってしまった体。

 いったいどうやってこれから生きていけばいいのか想像もつかない。

 ここでは看護師さんがすべて手を貸してくれる。家に帰ったら?

 由紀には母親がいなかった。父親に入浴を手伝ってもらうなど想像もできない。

 もう、生きていたくない。死にたい。

 死ねばこの胸の苦しさもきっと楽になる。

 私の人生は終わった。だから命もいらない。だから死ぬ。

 由紀の心は闇しかなく、どうすればいいのか、どうしたらいいのか分からず……そして、顔も覚えていない母がもしいたら何と言うだろうと想像してさらに心を傷つけた。

「ねぇ、お姉ちゃん、これ、僕のおすすめの本。これ読んだら元気が出るよ?」

 車いすにのった小学校2年生くらいの男の子が由紀に1冊の本を差し出した。

 飛行機の本だ。病院の所蔵している本でないことはすぐに分かった。男の子が由紀の隣に上手に車いすを寄せると、本のページをめくる。

「これは、A380だよ。長さが73メートルもある大きな飛行機なんだ。こっちのB737-700が33メートルしかないから、倍以上あるんだよ」

 由紀にとってどれも同じにしか見えない飛行機の写真を指さしては楽しそうに話をする男の子。

 なぜ、同じように車いすに乗っているのにこの子は楽しそうなんだろう。

 ふつふつと意地悪したい気持ちが湧いてきた。

「ねぇ、もしかして君はパイロットになりたいの?」

「え?なんでわかったの?そうなんだ。僕、パイロットになりたいんだ。ほら、見て。コックピット、かっこいいよねー」

 男の子の足を見て由紀にはこの子も一生歩けないんだろうと思っていた。

 だから、男の子を傷つけたくて、親切なふりをして、言葉を口にする。

「知らないの?だったら教えてあげる。パイロットになるのはすごくむつかしいんだよ。いっぱい勉強しなくちゃいけないの」

 男の子が由紀の顔を見る。

「知ってるよ。だからいっぱい勉強するんだ」

「それから、歩けないとパイロットにはなれないんだよ」

 傷つけるつもりでその言葉を口にしたものの、由紀はすぐに後悔した。

 見ず知らずの子供に意地悪した自分が恥ずかしくなった。これじゃぁ……顔も知らない母と同じじゃないかと。

 やっぱり自分には母の血が……誰かを傷つけてしまう母の血がしっかりと流れているのだと、恐怖を覚える。

 絶望する男の子の顔を想像して、謝らなくちゃと、どうすればこれ以上この子を傷つけずに済むかと言葉を探す。

「うん、それも知ってる」

 ところが、少年は悲しい顔一つ見せずに笑った。

「だからね、僕はまず、飛行機を作る会社に入って、車いすでも操縦できる飛行機を開発するんだ。それから、その飛行機のパイロットになるんだ。両方ともいっぱい勉強しないといけないから、僕ね、早く学校に行きたい」

「車いすでも操縦できる飛行機?そんな、需要のないものの開発にお金なんて……」

 と、由紀が少年の夢を否定するような現実的な言葉を口にする。

 今まで黙って二人の言葉を聞いていたカウンセラーが、腰を落として男の子に視線を合わせた。

「一つの技術は多方面で活用されるから。車いすで操縦できる飛行機の技術が車いすで運転できる電車や船やバスや自動車……もしかすると、何十年かたてば自動車が空を飛ぶようになるかもしれない。その時、車いすに座った人も当たり前のように乗れるようになっているといいわね」

「うん、僕頑張るんよ。いっぱい勉強して、絶対に車いすで操縦できる飛行機を作るんだ。お姉ちゃんは何になりたいの?」

 子供の笑顔に、由紀は何も答えず、車いすのタイヤの横の銀色を握る。

 車いすは後ろに進み、ゆがんでガツンと隣の机にぶち当たった。

 何よ、なんで、この車いす、思った方向に進まないのよっ!

 由紀は、逃げ出したいのに逃げ出すことも自由にできないことに苛立ちを募らせる。

「あのね、お姉ちゃんはまだ考えているところなのよ。だから、決まったら教えに来るね。じゃぁ」

 カウンセラーが男の子に手を振り、由紀の車いすを押す。廊下に出ると由紀が低い声を出した。

「私は……何にもならない……。夢なんて、夢なんて持てない」

 首をひねり、由紀が後ろを向く。上半身だけでは、完全に後ろに顔を向けることはできなかった。

 カウンセラーの顔を睨みつけたいのに。ただ斜めにむいた顔で端っこにカウンセラーの姿が見えるだけ。

 ほら、何もできない。

 逃げ出すことも、人の顔を見ることも……何も自由になんて……。

「あの子に合わせて、新しい夢を探しましょうとでも説得するつもりだった?……無理だから。私、リハビリなんてしないし、死にたいというか、死ぬから」

■7

 由紀が前を向くと、カウンセラーが再び車いすを押す。そのままエレベーターに乗り、屋上へと出た。

「さっきの子ね、もう長くないんだよ」

 由紀が息を飲む。

「な、なによ、それ……。もしかして、生きたくても生きられない子がいるのに、死にたいなんて贅沢だって説教するつもり?陳腐ね。陳腐っ。馬鹿みたい。馬鹿みたい。私とあの子は別でしょ。私は死にたいんだからっ!」

 ゆっくりと車いすが押され、屋上の一番隅まで進んで止まった。

 由紀の目の前には屋上に張り巡らされた高さ2mほどのフェンス。

 フェンスの向こう側には青空が広がっている。

 視線を下に移せば病院の駐車場。それから家並みが見える。7階建ての病棟の屋上はこのあたりでは一番高い建物だった。

「死にたいんでしょう?あなたにはまだ寿命がたくさん残っている。自殺すれば、残っている寿命は誰か指定すれば指定した人に5年。それ以外は寿命バンクに渡る」

 背中からカウンセラーの声が由紀に届く。

「あの子や他の寿命を待っている子たち……死にたい、死んでやるとぐちぐち言って努力もしない人間は、いっそさっさと自殺してしまえばいい。1日でも寿命が長く残っている間に死ねば、夢や希望に満ち溢れているのに生きられない子友達が助かるのだから……そうでしょう?」

 低い声。

「でも、足が不自由では自殺一つするのも大変なことじゃない?」

 いつの間にかカウンセラーが車いすの横に立っていた。高いフェンスを見上げる。

「このフェンスをよじ登って飛び降りるのも一人じゃ無理よね?」

 カウンセラーが車いすの由紀を見下ろす。ちょうど太陽の光が後ろからさして、カウンセラーの顔は逆光になっていて表情が見えない。

「あ……」

 由紀がかすれた声を出す。口が急に乾いて、うまく声を出すことができなかた。

 悲鳴すら、あげられそうにない。

「手伝おうか?」

 カウンセラーの手が由紀の手の甲に触れた。

 温かいと、由紀は思った。緊張して冷たくなっているのでもなく、カウンセラーの手はホカホカと温かい。それが、由紀には異様に感じた。

 カウンセラーがフェンスに視線を向ける。

「こちら側は下がコンクリートだから、落ちれば苦しまずに即死かな」

 由紀が不安な顔を見せると、カウンセラーがほほ笑んだ。

「死にたいんだよね?」

「だ、だからって、その……自殺を助けるのも犯罪になるんでしょ?」

 カウンセラーが、由紀の後ろに回り車いすを押す。

 そして、数メートル進んだ場所で止まった。

「あった。ここ。噂通り。ほら、見て……と言っても、顔を近づけて見るのはむつかしかったわね」

 由紀の足元、フェンスの根元をカウンセラーが指で示した。

「どうも、ここだけ腐って今にもフェンスが倒れそうだって言っていたの。ここで、自殺しようとするあなたと、止めようとする私がもみ合いになり、うっかりあなたは壊れたフェンスとともに落下するのよ。まったく私は犯罪にはならないでしょう?」

 由紀の背中に冷たいものが走る。

「そんなことして、あなたに何の得があると言うの……?」

 車いすはしっかり後ろで押さえられていて逃げ出すこともできない。由紀は、震える声でカウンセラーに尋ねた。

「得?まずは、危険なフェンスが実際に人が落下したことで修理されるでしょう。そうすれば生きたい人が事故で死ななくて得でしょ。それからあなたの寿命で誰かの寿命が延びるんだから、得でしょ?それから、死にたいあなたは死ねるんだから得」

 カウンセラーが指を一つずつ折り曲げながらあれが得だ、これが得だと数え上げている。

「あ、あなたは何が得なのかって、答えてよ……もしかして……人を、人を殺すと快楽でも覚えるとでも……」

 カウンセラーが口をつぐむ。

 そして、再び由紀の目から見て逆光になる場所に立った。

「私、昔人を殺した。楽しいはずがない……」

 え?

 由紀の震えは一瞬止まった。カウンセラーの口から発せられた言葉の意味を脳が理解するまでに時間を要したのだ。

 人を殺したと、確かに聞こえた。

「ほーら、屋上ですよ。ここまで階段で上がってこられましたね!」

 女性の理学療法士が、初老の男性と屋上に現れた。男性は杖を手にしている。四つ足のついた変わった杖だ。

「じゃぁ、続きはまた明日にしましょうか」

 カウンセラーが何事もなかったかのように明るい声で由紀の車いすとを押してフェンスを離れた。

 助かった……。

 ホッと恐怖から解放され、由紀の体から力が抜けた。

■8

 病室に戻るとカウンセラーが優しそうな笑顔を由紀に見せる。

「じゃぁまた明日ね」

 明日……。

 由紀の頭に屋上から見下ろした景色が思い浮かぶ。そして、そこに血まみれで横たわる自分の姿。

 途端に震えが訪れた。

「あら、大丈夫?寒いのかな?もう一枚布団を用意しましょうか?」

 いつの間にか看護師が検診に来ていた。看護師の言葉に由紀は何も答えない。

 だけれど、それを看護師は気にするようなことはない。突然歩けなくなるという現実を受け入れられなくて怒鳴り散らし暴れる患者。

 絶望してぼんやりと何も見えずに何も聞こえない状態の患者。

 たくさんの患者を看てきたのだ。現実を受け入れるには時間がかかる。人によってその時間は様々だ。ただ、この子の場合は、一番弱音を吐いて頼りたい母親がいない。まだ高校生だというのに、一人で現実に立ち向かっていかなくてはいけないのだ。

「あ、あの……」

 小さな声が由紀から発せられ、看護師が手を止めた。

 由紀の方から話しかけられるなんて初めてのことだ。

「何?」

「カウンセラーの人……あの人、昔、人を殺したって……」

 そうか。彼女がカウンセリングについているんだった。

彼女からは、担当患者から尋ねられたら話をしてもいいとは言われているけれど……。

「また、その話をしたのね。……個人情報を私が話をするわけにはいかないから、本人に聞くといいわよ」

 否定も肯定もせずに看護師はそれだけ言って去っていく。

「また、その話をした?あの人、みんなに同じことを言っているっていうこと?ここで同じように何人か殺してるの?……それとも、ただの嘘?もし、何人も殺しているなら、事故に見せかけたって無理がある……」

 だけれど、病院全体の組織ぐるみだとしたら?

 看護師さんは顔色一つ変える様子はなかった。

 寿命の受け渡しを裏で取引して金儲けしている病院が摘発されたといつかニュースで言っていなかっただろうか。

 寝たきりの老人、末期で苦痛に苦しむ人、それから医療費を払うあてもない人に、暴力団関係者。旨い事そそのかし、政治家や芸能人やお金持ちたちに寿命を渡していると。何人かの政治家の名前が挙がったため大きく報道された。

「何が悪い!役にも立たない人間、それどころか人の迷惑になるような人間よりも、私のように立派な人間が長く生きるべきなのだ――」

 と、パンドラの箱を開けるようなことを、辞職前の政治家の立場で言ってしまった。

 命の選別。

 長生きするべき人間と、早く死んでもかまわない人間。

 そんなこと、誰が決めるのか……。

 ぞくりと背中が寒くなる。

 死にたい死にたいとわめき散らしている私。

 将来に大きな夢を描いて生き生きとしている男の子。


 次の日、由紀は初めてリハビリに臨んだ。


■9

 真理子の大学生活も残り1年という時、それは起こった。

 ただのいつものようにサークルのメンバーが集まった飲み会のはずだった。

 4年生の先輩が封筒を取り出して飲み会に参加している10人程度のメンバーに見せた。

「これ、来た」

「なんだよ、それ」

 A4サイズの封筒。

「なんか、裁判員の候補になったとかいう連絡」

 先輩が、封筒から中身を取り出して隣の席の人間に渡す。

 真理子はちょっとこの先輩のことが苦手だったけれど、一応言うべきことは言っておこうと口を開く。

「先輩、裁判員とか、事件の内容はもちろん、選ばれたこともいろいろ、守秘義務があって、言っちゃダメなんじゃないんですか?」

「え?候補名簿に載ったことくらいはいいんじゃないか?」

 ああ、確かにそうなのかな。そもそも、いろいろごちゃごちゃ封書の中に書いてあるけど、文字が多くて分かりにくいもん。

 直接説明を聞かないと分からないこともたくさんあるよね。

「あははは、でもさぁ、これから先、選ばれたら言わないだろ?でも、選ばれなかったら、選ばれなかったって言いそうじゃん。だったら、何も言わなかったら選ばれたってバレバレになるんじゃね?」

「それ、それ、それな!」

 先輩が慌てて封筒をカバンの中にしまい込んだ。

「え、選ばれても選ばれなかったって言うからな、だから、えっと、別に、情報漏洩させてない、うん、俺は無実だ!無実!な?」

 ぎゃはははと、飲み期の席は笑い声に包まれる。

「でもぉ、先輩、本当に選ばれたらどうするんですか?確か断ることもできるんですよね?」

 よっぽどの事情があって認められない限り辞退はむつかしいと聞いた気がすると、真理子は思った。

「ことわらねぇよ!お前らは断るのか?」

 先輩が、ビールでごくりと喉を鳴らしながらサークルメンバーに顔を向ける。

「大体、俺は日々思ってたんだよね。判決って、甘くねぇ?」

 先輩の言葉に、手羽先の骨をガラ入れに放り込んみながらメンバーの一人が頷いた。

 カランと、骨は金属製のガラ入れを鳴らす。

「分かる。人殺しなんて生きてたってしゃぁないじゃんよって思う。税金で牢屋で衣食住保証されて生活するんだと思うと、腹立たね?」

 隣の後輩女子が小さく机を叩いた。

「特に腹立つの、レイプ犯っ!なんであんなに罪が軽いのかって思いますっ!何が、更生のチャンスをよっ!再犯率めっちゃ高いですよね!」

「なー、いろいろ腹立つだろ?だから、俺は裁判員に選ばれたら、辞退しねぇよ。ちゃんと世間一般の感覚で、軽くない刑を考える」


 それから2年が経ち、真理子は偶然先輩と街で会った。

「先輩?」

 苦手だった先輩。そのまま気が付かなかったふりもできがけれど、思わず声を真理子はかけた。

 明らかに、あの自信満々だった先輩と顔つきが違う。

「ああ、久しぶりだな」

「先輩、あの、仕事が大変なんですか?」

 とても疲れていて、ストレスをためているように思える。

 季節は冬だ。街中で立ち話をするには少々寒いと、2人で近くのカフェに入った。

「ちょっと、考えてしまって、最近寝不足なんだ」

「何を考えているんですか?」

 真理子の質問に先輩は口元を少しゆがませただけで、答えない。

「まぁ、守秘義務ってやつだから、詳しくは話せない」

 守秘義務。仕事の悩みかな?

 これ以上詮索するわけにもいかないと、真理子は質問をやめた。

 けれども、先輩の方は、偶然街中で会っただけの昔のサークル仲間だからこそ……家族や会社の人間や友達に言えないことも言える……言っても大丈夫な気持ちになっていた。

 聞いてほしい。誰かに、聞いてほしいと……ずっと思っていた。

 それなのに守秘義務だと出口をふさがれ、ただ出口のない迷路の中で苦しんでいたのだ。

「昔、裁判員の話とかしたの、覚えてるか?」

 真理子は頷いた。

 よく覚えている。

「その……な、死刑を決めたのは自分だったとする。みんなで決めた死刑じゃなくて、自分が率先して死刑にしたとする」

 例え話の形をとっているが、これは先輩自身のことだとすぐに真理子は思った。

 あれから選ばれたか選ばれないかなどサークルメンバーが話題にすることはなかった。

 そもそも、当時4年生だった先輩が大学に顔を出すことは少なかったのでメンバーはすっかり忘れてしまったんだと思う。

 真理子が覚えているのには理由がある。

「死刑ってのはさ、刑だけど、結局犯人を殺すってことだろう?」

 命を奪うということを殺すと呼ぶのなら、そういうことになるだろう。

「この人殺そうぜ、殺されて当然なんだから……って、死刑を主張するのって、殺そうと言っていることじゃないかと考えたらさ……。ちょっと複雑な気持ちになった」

「で、でも、犯人は本当に殺されても仕方がない罪を犯したのだから、その、気に病むことはないんじゃないですか?」

 先輩が首を横に振った。

「皆が皆、死刑が妥当だと思うような犯罪なら確かにそうかもしれないけれど、死刑にするほどでもないんじゃないかと、そう思う人もいた場合……」

 先輩がうつむいて、組んだ手の上に額を置いた。

「本当に、死刑である必要があったのかと……もし、死刑が重すぎたのだとすると、死刑にしろと主張していた俺……は、殺せ殺せと犯人に対してただ、正義を振りかざしていただけで……」

「先輩?」

「ああ、ごめん。もうバレバレだよな。ここだけの話にしてくれよ。俺の話だ。今も考えだすと眠れない……。確かに、あの時はそれが正しいと思っていたんだ。だけど、社会に出て、社会人1年生としていろいろ理不尽な扱いを受けるようになって……。その、犯人にも同情するべき点があったと思うようになって……。学生だった俺にはそれが分からなくて。同情すべき点について主張していた人もいたけれど、心の底から理解することもできなくて。同情するべき点があれば犯罪は許されるのか!とただ憤りが増すばかりで……その、ああ、ごめん」

 先輩は、真理子が震えだしたのを見て謝った。

 聞きたくない話をしてしまったと思ったからだ。

「本当に死刑でよかったのか?……」

 真理子がつぶやいた。

 私が裁判員だったあの事件の被告人は、本当に死刑でよかったのか?

 みんなで決めた死刑。

 みんなでと思えば、私のせいで死刑になったという気持ちからは救われる。

 でも、あの時死刑に反対していた人はいなかったか。

 初老の男性は、1人殺しただけで死刑はないと言っていたのではないだろうか?

 主婦は、あんなにひどいことを言われれば自分でも殺したくなると同情を寄せていたのではないだろうか。

 裁判員は6人だ。私がもし、あの時死刑に反対していれば3対3だった。

 もし、裁判員として最後に死刑を導き出したとしても、話し合いの過程などいろいろ加味して最終的に判断を下すのは裁判官だ。

 3対3で意見が分かれていたら、結果が違っていた可能性はないのだろうか?

 あれ?

 私は、あの時、なんで死刑だと思ったんだろう?事件の背景にあるものまで考えただろうか?

 真理子の目の前には、悩みでやつれている先輩の顔。

 あんなに自信満々だった先輩がこれほどになるまで自分の出した結果に悩んでいる。

 死刑というのは特別だ。無期懲役、終身刑とは重さが違う。

 人が人を殺す判断をするのだから……。

「先輩……あの、私……無関心で、間接的に人を殺したかも……」

 真理子の顔は血の気が引いて白くなっていた。

 あの時なんで、私はもっと考えなかったんだろう。人の生死にかかわることだったのに……。

「え?」

「私も……裁判員に選ばれたことがあって……」

 被告人には死刑の判決が下った。

 控訴もせず、そのまま刑を受け入れ、そして、早々に執行されたと聞く。

 昔のように、何年も死刑が執行されないことは減った。

 なぜなら、死刑囚の寿命は遺族や遺族の家族に渡されるからだ。

 執行まで10年もかけてしまえば、その分渡せる寿命が10年減ってしまう。

 もちろん遺族が犯人の寿命などいらないとなれば、5年ごとにばらけてオークションにかけられる。売上金が遺族への賠償金となるのだ。お金も寿命も必要ないという遺族は、寿命バンクに犯人の寿命を寄付する。

 

 真理子と先輩はカウンセリングを受けることとなった。

 二人が上手く自分の心と向き合えるようになるまで7年ほどかかった。

 その7年で、二人の間には絆が生まれていた。

「……先輩、人が人の命を決める、そのことの重さを感じているのはどれくらいいるんでしょうね」

「そうだな。5年の寿命のやり取り……たった5年だと思うか、とても大きな5年だと考えるか……」

「お前が無駄に5年生きるよりも、自分なら有意義に5年使えるなんて……無駄な人生有意義な人生って、誰が決めるんでしょう」

「決めるのは本人だけだよなぁ……」

「そうですよね、先輩……」

「あーっと、それなんだけど、そろそろ先輩って呼び方やめてくれないかな。その……真理子が有意義な人生を送れるように、俺、頑張るから、その……」

 先輩が、ポケットから空っぽの指輪ケースを取り出した。

 そこに入っていたのは紙きれ1枚。

『一緒に婚約指輪を選びに行きませんか?』

 

 夫婦になった二人は思うことがあった。

「俺より先に死ぬなみたいな歌あったよなぁ……」

「せっかく寿命の受け渡しできるなら、5年なんて制限かけるよりも、一緒に死にたい人と足して二で割れるといいのにね」

 命の話をすると、裁判員で下した判断が正しかったのかといまだに苦しい気持ちがよみがえることもある。

 だけれど、二人は二人で生きていくことにした。誰よりも命の重さをかみしめながら。


「調子はどうだ?今日はリハビリをしたと聞いたよ」

 由紀の元に父親が見舞いに来た。

 娘が大変な時に、仕事を休んで毎日ついていてやれない苦しさはある。

 母親がいない娘には頼れるのは自分しかいないのだから。

 いや、違う。

 娘には自分しかいないのではない。逆だ。自分には娘しかいない。

 娘がすべてなのだ。だからこそ、今、娘が苦しんでいるときについていてやれないのが辛い。

 残業はすべて断り、なるべく早い時間に病院に顔を出すのがやっとだ。完全看護ですから大丈夫ですよと看護師さんは言うが、看護の心配ではない。

 父親は返事のない娘の顔を見る。

 調子いいはずなんかないでしょっ。もう歩けないんだよっ!と、娘の目が父を睨んだ。

「そうだ、修理から戻ってきたよ。データは無事だったみたいだよ」

 返事がないのも、睨まれているのも気にせず父は娘に明るく話しかける。

 手提げかばんの中から、箱に包まれたスマホを娘……由紀に渡した。

 由紀は奪うように箱を受け取ると、蓋を開け、白いスマホを取り出してすぐに電源を入れる。

 よかった。こうして好きなものがあるだけで、まだ由紀は大丈夫なんだと思えて父はほっと小さく息を吐きだした。

「充電器は?」

「あ、そうか。すっかり忘れていた」

 由紀が父を睨む。

「持ってきてよ」

「明日でいいか?」

「もう充電20%しかないんだけど?」

 何を言っているんだと馬鹿にしたような目を父に向ける由紀。

 たった1日スマホが使えないくらいなんだと、以前なら由紀に言ったであろう。スマホ依存症の子たちが勉学にも支障が出ているという話も聞いている。それだけに、由紀にはスマホを使いすぎないように何度も注意をしてきたのだ。

 だが、今はそのスマホが由紀の心を慰めてくれるならと、父は由紀に笑いかけた。

「まだ売店やってたよな。ちょっと売ってないか見てくるよ。家に取りに行くのはさすがに今からじゃ無理だから……売店になかったらごめん」

 父親が病室を出ていったのを確認すると、由紀はメッセージや無料通話ができるアプリを開こうとアイコンに触れる。

 が、開く前に手を止める。

 メッセージのやり取りをしていたのは中学の友達や、高校の友達。

 それから、グループでやり取りしているのはチア部の子たちだ。

 もう、二度と自分が戻ることはできない部活……。部活の子たちのやり取りを見るのが辛い。

 と、思っていたときに、ちょうどメッセージの通知画面が流れた。

 通知画面には、添付画像でなければそのままメッセージが表示される。アプリを開かなくても、メッセージを読むことができてしまうのだ。

 ピロロン。

 独特の通知音とともに流れたメッセージ。

『由紀って歩けなくなったってマジ?』

『あーそれ、マジらしいよ』

 もう、学校のみんなに知られてる。

 まずは、そのことに恐怖を覚えた。

 歩けないなんて、知られたくなかった。

 もちろん高校に復学すれば皆には分かってしまうことだけど……。父が言っていた。

 もしかしたら転校しなければならないかもしれないよと。

 由紀は、その話に少し安堵したのだ。復学まで時間がかかれば留年することになる。友達の後輩になってまで高校になんて通えない。

 歩けない自分を知られたくない。見られたくない。同情なんてされたくない。そう思ったから、転校したくないなんて思わなかった。

『ざまぁ』

 次に表示されたメッセージに、由紀の心臓が凍る。

『ちょ、ざまぁはないでしょ』

『だって、由紀ってちょっと天狗だったじゃん』

『あー、確かに』

『でも、歩けなくなってざまぁはないっしょ』

『だねー、もう人生積んじゃったのに』

『それな』

 人生、積んだ……。

 それ、な……。

『ちょっと、由紀も見るんだよ、言い過ぎ』

『おっと、これ由紀入りグループだっけ?裏だと思ってた』

 裏?

 なに、それ……。

『発言削除、削除っと。既読んなってないから大丈夫、証拠隠滅』

『ってか、もうこのグループから由紀外せばよくね?』

『あー、チア部グループだし、もうチア部戻ってこないんだよね』

『外しちゃえ外しちゃえ』

 そこで、メッセージは途絶えた。

「由紀、あった、あった。売ってたぞ」

 病室に戻ってきた父親が見たのは、修理から戻ってきたばかりのスマホを思い切り壁に投げつける由紀の姿だった。

「由紀?」

「ああああああーーーーっ」

 由紀が叫び声をあげた。

「由紀、おい、どうした」

 父親が慌てて駆けつける。

 今日はリハビリにも参加したと聞いた。やっと少し落ち着いてきたと思ったのに。

「あああっ、もう嫌だっ、なんで、なんでっ!なんで私なの?」

 由紀が叫び続ける。

「もうやだ、もうやだよーっ!死にたい……ってか、死ぬっ。もう死んでやるっ!」

「由紀、落ち着きなさい」

 父親が由紀の腕を手に取る。

「うるさい、うるさい、だまれ!私の人生なんてどうせ積んでる。生きていたって仕方ないんだもん」

「そんなことない、由紀っ」

 叫び声に気が付いた看護師さんが部屋に入ってきた。

「大丈夫ですか?」

 どう見ても、大丈夫だと思えないほど由紀は叫び続けていた。

「私が、話をしましょう」

 看護師さんの後ろから、カウンセラーが姿を現した。

「あの、でもいいんですか?」

 カウンセラーは、私服姿でカバンも持っている。

 勤務時間が終わっているのはすぐに分かった。

「大丈夫です。しばらく席を外していてもらえる?他の人にも、大丈夫だと伝えてください。何かあればナースコールで呼ぶので」

 カウンセラーの言葉に看護師が出て行く。

 病室に残されたのは、由紀と父親とカウンセラーの3人になった。

「由紀っ」

 父親の声は由紀に届いているのか分からない。

「死にたい、死にたい、生きていたくない、死んでやる、死ぬんだ。死ねば……私が死ねば……」

 由紀が父親の顔を見た。

「もう、私の面倒見なくて済むんだから、楽になるでしょっ、歩けなくなった娘の面倒なんて、見たくないでしょっ」

「ばっ、ばかやろーっ」

 今まで一度として手を上げたことのない父親の手が降りあがる。

「お、お父さんっ」

 その手は由紀に振り下ろされる前にカウンセラーによって止められた。

「何?私が死にたいと言っているのを聞いて、来てくれたの?本当に自殺するの手伝ってくれるんだ」

 由紀がカウンセラーの顔を見る。

「じゃぁ、今すぐ、今すぐ私を殺してよっ!」

「由紀、何を言っているっ!そりゃ歩けなくなったかもしれない。だけどお前は生きている、生きているじゃないかっ!」

 父親が由紀の両肩をつかんで強く揺さぶった。

「そうですよ。親にもらった大切な命を粗末にするなんて」

 カウンセラーが、床に落ちていたスマホを拾い上げた。

「ああ、画面にひびが……でも、電源は入るみたいね」

 と、由紀の激情などまるきり無視したように落ち着いた口調でスマホを差し出した。

 修理から帰って来たばかりのスマホの画面は粉々だ。

「いらないっ!そんなもの、いらないっ!もう、私は死ぬんだから、だから、いらないっ!」

 由紀の手が、カウンセラーの手からスマホを弾き飛ばした。

 カウンセラーは再び床に落ちたスマホを拾うと、サイドテーブルに置いた。

「もう一度言うわよ、親に”もらった”大切な命を粗末にしては駄目」

 由紀がカウンセラーを睨みつける。

「何よ、強調しなくたって分かるわよ、生んでくれたって意味じゃないんでしょ?私に、5年寿命をくれたってこと?別に私が欲しいって言ったわけじゃないし」

 その言葉に、カウンセラーの平手打ちが由紀を襲った。

「いい加減にしなさいっ」

 ほほをぶたれた由紀は一瞬唖然としてカウンセラーを見たが、すぐに怒りに満ちた目をカウンセラーに向ける。

「何よっ、いい加減にしてほしいのは私の方だわっ!」

 由紀は、両手のこぶしを握り締めてガンガンとベッドを殴りつける。

「嫌い、嫌いっ、パパも、このポンコツな体も、それから私を産んだ人もっ、大っ嫌いっ!」

「産んだ人?ママのことをそう呼ぶなと言っているだろう!」

 父親が由紀の手首をつかんだ。

「何よ、知らないとでも思ってるの?パパは、幸せな家庭を演じたいの?残念だけど、無理でしょ、無理……私、知ってるんだから」

 由紀が、父親の目を睨み返す。

「知ってる?何を?」

 父親の手の力が緩んだところで、由紀は父親の手を振り払った。

「聞いたの。噂。……嘘だと思ったから、調べた。ネットで。……そうしたら、私を産んだ人の写真……リビングに飾ってある写真と同じ顔が出てきた」

 父親の顔が青ざめた。

「た、他人だろう、それは、ただの……似た人が世の中には……」

「でも、パパの背中には傷跡があるよね?それ、ネットに書いてあったことと一致するんだけど」

 父親がふぅっと小さなため息をついて、ベッドサイドの椅子に腰を下ろした。額に手を押し当てて苦悩の表情を浮かべている。

 それを見て、由紀は悲しそうな顔になった。

「やっぱり、本当だったんだ……。もしかしたら、ただの偶然がいくつも重なっただけだと思ってたけど……やっぱり、私を産んだ人は……人殺しだったんだ」

 由紀の目から涙が落ちる。

「おばあちゃんの寿命を奪うために、私におばあちゃんの寿命を5年渡すために殺したんでしょ……」

 父親は何も答えない。

 いや、何をどう言えばいいのか分からなかったのだ。

「それは、違うわよ」

 カウンセラーが由紀の言葉を否定した。

「何が違うっていうのっ!ネットに書いてあったんだからっ!私を産んだ人は、おばあちゃんを殺して、パパを殺そうとして……寿命強盗殺人と、殺人未遂の罪で死刑になったって」

 カウンセラーが首を横に振った。

「それは違う……」

「だから、何が違うっていうのよっ!」

 カウンセラーの真理子が、父親に言葉をかけた。

「それは、真実ではないんでしょう?」

 父親が顔を上げる。

「本当のことを、由紀ちゃんに話してあげてください」

 父親が怪訝な顔でカウンセラーを見る。

「あなたは、何もかも知っているような顔をしているが、なぜ……?」

 真理子がゆっくりと首を縦に振る。

「何もかもは知りません。ですが、何もかも知りたいと、いろいろと調べて、考えました」

 カウンセラーの真理子は、乱れたベッドの上を整えた。

 由紀が座っていられるように角度を調整し、辛くないようにクッションを当て、足には冷えすぎないように布団をかける。

「私が由紀ちゃんのママを殺しました」

 ベッドを整え終わると、真理子は由紀の顔をまっすぐ見た。

「え?」

「あの事件で量刑を死刑だと言って、あなたのママを死に追いやったのは私。――あの事件の裁判員だった私たち」

 真理子の言葉に、父親がはっと息を飲む。

 そして、父親は真理子にしっかりと頭を下げた。

「死刑にしてくれてありがとう」

 ――と。


「あの話は本当なの?」

 病室に駆け込むなり、白髪交じりの髪の女性がベッドサイドで力なく座り込む女性に話かけた。

「お義母さん……」

 嫁のやつれた顔が、あの話が真実なのだとベッドで横たわる幼女の祖母は理解した。

「まさか、そんな……」

 祖母は、何も知らずすやすやと眠っている幼女の顔を見る。

 震えだした手で、そっと幼女の額に手を伸ばすと、幼女……3歳になる由紀はうんと小さい声を出して寝がえりを打った。

「由紀ちゃんが……由紀ちゃんが……」

 寿命が分かるようになったといえ、誰もが他人の寿命を覗き見ることはできない。

 医者だけは患者の寿命を見ることが許されていた。

 そして、小さな子供の寿命が残り2年ない場合は親に告知する。

 2年……告知された親の反応はそれぞれだ。

 必死に誰かから寿命をもらい、子供を少しでも長く生かそうとする親が大半だ。だが、そればかりでもない。

 もし寿命が延びたとしても、何かしら生きにくい症状がある子供もいるのだ。泣く泣く子供の寿命を受け入れる親もいる。

 そして、残された時間を少しでも多く子どもと過ごそうと、学校にもいかせずに世界旅行に出た人もいれば、今まで通り何も知らなかったように日常生活を続ける者もいる。

 中には、どうせ死んでしまう子供なんていらないと、育児を放棄する者もいる。そのため、寿命の告知してよいのは、2年ない場合とだけの決まっている。

 親には事前にもし2年を切ったら告知してほしいかどうかの事前調査もある。

 実際に告知するかどうかは、親の様子を見て医者や看護師やカウンセラーが会議を行い決定する。問題が起きそうな場合は、告知は寿命が1か月きった時点に行うこともある。

 母親は、由紀が入院したときにはただの肺炎だから、数日できっとよくなると……そう思っていた。

 寿命告知の説明も、まさか成人前に自分の子供の告知を聞くなんて思っていなかったから、告知してくださいと軽い気持ちで回答した。

 母親に、寿命が告げられたのは、肺炎の症状が落ち着き、明日にも退院できるという時だった。

「こんなにかわいい由紀ちゃんが……あと2年も生きられないなんて……かわいそうに、かわいそうに」

 祖母は由紀の顔を覗き込んでぼたぼたと涙ベッドに落とした。

「母さん……来てたのか」

 病室に父親が現れた。

「ほら、お前も、何か食べないと持たないぞ」

 売店の袋を妻に差し出すが、母親は小さく首を横に振るだけだ。

「寿命を……譲渡する手続きをしなくちゃ……」

 ぼそりと母親がつぶやく。

「そうよ、私の寿命も由紀ちゃんにあげるわ!」

 祖母の言葉に、母親が泣き続けた赤い目を向けた。

「でも、お義母さんは病気で……」

「そう。もう私の寿命も5年も残ってないけれど、だけど、少しは由紀ちゃんは生きられるでしょう?私の残りの命は由紀ちゃんに全部あげる」

 祖母の言葉に、母親の止まっていた涙が再びほほを伝う。

「全部……私の命も、いくらだって由紀にあげるのにっ……由紀……由紀……」

「気をしっかり持つのよ。私の残った寿命、少ないけれどそれで由紀ちゃんは少しだけ長く生きられるようになるから。そうすれば、その間に由紀ちゃんが誰かに寿命を分けてもらえるかもしれない」

 父親が祖母の肩に手を置く。

「母さん……由紀のために、ありがとう。だけど、母さんの寿命をもらったら……」

「いいの。いいの。使って。私は、あと3年生きるか明日にでも死ぬかの違いだから……ちょっと早く主人の元に行くだけのことよ」

 ポンポンと肩を叩かれつつも、父親は祖母にいらないと言うことができずにいた。

「ほら、息子も立派に育ったし。こうして、孫の顔を見せてもらった。かわいい由紀ちゃんと過ごすのは、本当に幸せな時間だったんだよ?」

 祖母の涙はいつの間にか止まっていた。

 すでに自分のすべきことを決め、覚悟を持ったからだろうか。

 残りの全ての寿命を由紀に上げるということは、自殺するようなものだ。死ぬのである。……その覚悟を、祖母はすぐに固めた。

 祖母は、カバンから小さな花柄のハンカチを取り出すと、母親のほほにあてた。

「由紀ちゃんが目を覚ますと心配させちゃうわよ」

「お義母さん……お義母さん、すいません、すいません……」

「いいのよ。大丈夫。由紀ちゃんがばぁばのこと覚えていてくれると嬉しいけど、3歳じゃぁちょっとむつかしいかなぁ……それだけが心残り。動画でも取っておいてもらおうかしら?」

 ふふふと笑う祖母に、父親はうつむいたまま靴先を睨みつけていた。

「母さんと僕と妻と、上限いっぱいまで寿命を渡しても……由紀は成人できない……」

 その言葉に、母親がはっとなる。

「だから、由紀に寿命は渡さなくていいって?」

 まさか、夫の口からそんな言葉を聞くなんて思ってもみないことで、一気に涙が止まった。

「いや、違う、違う。そうじゃない。もう少しいろいろと調べて考えてみよう……。5年以上寿命を渡す方法がないか。もしあれば、俺は由紀に全部寿命をあげたってかまわない」

「あなた……」

 祖母が息子の背中をトントンと叩いた。

「私も、ジジババ友達に誰か由紀に寿命をくれないか聞いてみるよ……」

 次の日。

 由紀は無事に退院した。

「お家帰れるの?やった!」

 由紀は笑顔だ。

 そして、家に帰れば、来年から幼稚園に行くんだと、楽しそうに幼稚園ゴッコを始める。

「まだ無理しちゃだめだし、ちゃんとお薬飲まなきゃだめよ?」

 由紀の前では涙をこらえて母親はいつも通りを心がける。

 だけど、ちょっとした由紀のしぐさに涙がこみ上げてくる。

「由紀、抱っこさせて」

「なーにー、ママ。由紀は、もう赤ちゃんじゃないよ」

「ふふふ。いつも由紀が抱っこって言うのに」

 由紀をぎゅっと抱きしめる。

「肺炎でちょっと体重落ちちゃったね。由紀、軽くなった」

 そう。由紀は軽い。

 まだ3歳だもの。

 2年たったって5歳よ?

 まだまだ、小さな小さな由紀が……なんで死ななくちゃいけないの?

「んとね、でもいつかママより大きくなるよ。そうしたら由紀がママを抱っこしてあげるね」

 由紀の何気ない言葉に、こらえていた涙が落ちる。

 大きくなったら……。

 由紀が……大きくなったら……。

「ママ?」

「うん、うん……」

「ママ?ぽんぽん痛いの?」

「うん」

「じゃぁ、由紀がね、たいたいとんでけしたげる」

「うん」



 数日たつと、由紀はすっかり元気になった。

 ガチャリと、ドアが開く音が聞こえると、ぱぁっと花が咲いたような笑顔になり、急いで玄関にかけていく。

「パパァ、おかえりー」

「ただいま、由紀!」

 あの日以来、父親は残業をやめた。

 会社の人に事情を話せば、残り少ない子供との時間を優先させないようなことをすれば労働基準法違反となりすぐに会社はブラック入りだ。

 育児休暇ではなく、見取り休暇というものも新しくできている。

 この子のためなら……。

 父親は由紀の母である則子にも言わずに一人で数日考えた。

 この子のためならば……。そう、この子を亡くしてその先自分が生きていくことを想像すればするほど、決意は強くなっていく。

 その日、由紀が寝てから夫婦は食卓に向かい合って座った。

「見つかった……寿命を5年以上渡す方法が……」

 則子は、夫の言葉を聞いて結んでいた両手を開いた。

「本当なの?由紀は、由紀は……大人になれるの?」

 喜びは、しかし長くは続かない。夫の表情……それが、単純に喜べる話ではないと嫌でも則子に教えている。

 暗く絶望した表情というよりは……思いつめた末に覚悟を決めた人の鬼気迫る表情だ。

「それには……母の命をもらうことになる。それに、君も傷つけることになるし……将来このことを知ったら由紀はひどくショックを受けるだろう……」

 則子がはっと息を飲む。

 自分はどうなっても構わない。

 由紀が助かるのであれば、自分の命など惜しくもなんともないのだ。傷つくことくらいどってことはない

 だけれど、義母の命をもらうという夫には、どれほどの覚悟があるのか。決して仲の悪い親子ではない。むしろ、マザコンとまでは言わないにしろ仲の良い親子である。

 その実の母の命をもらうなど……。

 則子は亡くなった母を思い出していた。

 則子の母は、あなたに寿命を5年あげるからねと言っていた。そして、譲渡申請書を作成していた。

 譲渡条件に「認知症になって子供の顔も分からなくなったとき」というものがあった。

 認知症の症状が次第に進んでいく。いろいろなことが分からなくなって、ついに則子を見ても「どちらさん?」と言った時、則子の心臓は縮みあがった。

 母の認知症がそこまで進行してしまったというショック。

 娘の顔も忘れてしまった、母に忘れられてしまったというショック。

 そして、母の寿命を5年もらうという恐怖。

 今、義母は病気であと5年も生きられないとはっきりわかっている。則子の母は、あと残り何年くらい生きられるかはわかっていなかった。もしかしたら、義母みたいに5年も生きられないかもしれない。そうすれば、寿命をもらえば、すぐに母は死んでしまう。

 自分で母を殺すようなもの……。それが苦しくて、できなくて、結局則子は母の寿命をもらうことなく看取った。

 則子の顔を忘れるようになってから数年。症状は日に日に重くなり、時には罵詈雑言を浴びせられることもあった。だけれど、最期に……最期の息を引き取る瞬間に、母は則子の顔をしっかり見た。

「則子、ありがとうね」

 もう、いろいろと衰えていて、呂律もしっかり回らない状態だったのに……それでも、最期のその言葉だけは則子の耳にはっきりと聞こえた。

 今も、しっかりと心に残っている。辛い時は必ず母の言葉が浮かぶ。

「則子はいい子ね。だから、大丈夫よ。大丈夫」

 則子に後悔はなかった。

 結局、母の寿命は1日ももらわなかった。母に天寿を全うしてもらった。それで則子は幸せだった。

 ……どうしても、母を殺すような行為……高齢の母から寿命をもらうなんてできなかったのだ。

 

 夫の言葉に則子はどう返すべきか分からなかった。

「お義母さんの命を……」

 夫が寿命をもらうと言わずに命をもらうと言ったことに、この時の則子は何も疑問に感じなかった。

 もう数年しか生きられない義母の寿命を5年もらうということは、義母は亡くなるということだから。

 どんな辛い決断をしたのだと……。だけれど、もし、もしもあの時の私に、由紀がいれば……。由紀のためだったら、どうしただろう……。

 想像しただけで、心臓がバクバクと言い出した。

 寿命の受け渡しができるようになったために……命が、その人だけのものではなくなってしまった。

 お金のように、世の中を回るもの……。あるものは受け渡し、あるものは受け取る。

 その判断が、命の持ち主以外に託されることもある。本人の希望、そしてその希望を叶えるかどうか……。

 死にたいから寿命をあげる――。そんな簡単なものばかりじゃない。

「私が傷つくことは構わない……それに、由紀が真実を知ってショックを受けた時には、ちゃんと支える。5年以上の寿命が由紀に渡るなら、お義母さんの数年は……もらわなくても」

 夫の心を考えると、則子はそう口にしていた。

 夫はふっと張っていた気を緩めて、則子の手を握った。

「ありがとう……だけれど、どうしても、母の命は必要なんだ……。計画の決行は半年後にしようと思う」

「半年?ずいぶん先ね?」

 夫が笑う。

「うん。思い出を作ってから。母も言っていただろう?顔も覚えていてくれないかもしれないから、動画を取って由紀に見せてくれって」

 ああ、お義母さんのための半年なんだと……。則子はそのとき単純に思った。

「これも、計画の一つだよ。母さんが半年、由紀に寿命を譲渡しない。僕は、半年の最期の1か月は見取り休暇を取ろうと思う。会社は、僕が娘の命をあきらめたと思うだろう」

 それが、計画の一つとは、どういうことなのか則子には分からなかった。

「半年の間に、則子はまず寿命バンクに登録するんだ。運がよければ、半年の間にバンクから由紀に5年寿命がもらえる。それから、計画が成功した後の準備もしておく必要がある。住む場所を探さなければ。名前の変更も考えたほうがいいだろう……」

 次から次へと、夫が半年の間にすべきことを口にするので、則子は結局どういう方法で寿命を5年以上由紀に渡すことができるのか尋ねることを忘れていた。何せ、一つずつこなしていくのに必死だったからだ。

「これは……」

 ある日夫が用意したものを見て、則子は頭の中が真っ白になった。

「寿命を由紀に譲渡する同意書……こんなにたくさん……いったいどうやって……」

 10枚もある。5年ずつでも10枚あれば50年。私と夫がさらに5年ずつ寿命を渡すなら、合計で60年。寿命バンクから5年もらえれば由紀は70歳近くまで生きられることになる。

「路上で見かけた人達。1万円と引き換えに書いてもらった」

「なっ……」

 夫の気はくるってしまったのだろうか。

「書いてもらっても……」

「知ってるよ。1万で寿命を買えるとは思っていない。そもそも寿命の売買は違法だ。だから、申請書じゃなくて同意書」

 あれ?

「どう違うの?」

「書いてある通りだ。もし寿命を残して死んだら――」

「自殺した場合と殺された場合よね?」

 そこまで言って、則子ははっと息を飲む。

「まさか、あなた……」

 信じられないと、首を横に振る。

「大丈夫。殺したりはしないよ。自殺に追い込むようなこともしない。……これは、保険。もし、思うようにことが運ばなかった時の保険だよ」

 保険?

 思うようにことが運ばないというのは、由紀にたくさん寿命を渡せなかったときのことだろうか。こうして同意書をたくさん集めておけば、その中の何人か自殺したり殺されたりして寿命が転がり込んでくることもあるかもしれない。

 ……何とか狩りと称して、若者が凶行に及ぶとか。そんな、いつか起きるかもしれないことに夫が希望をかけているようには則子には見えなかった。

「この同意書は、誰にも見つからないところに隠しておいてくれ。これと一緒に」

 同意書と一緒に封筒を渡された。則子は封筒の中身を尋ねたが、夫は首を横に振って答えない。そればかりか、中を絶対に見ないようにと則子に念を押した。

 封筒の中身は、どうやら紙類ではないようで、上から触るとボコりと何か入っている。

 則子は言われるままに、タンスの奥。引き出しの向こう側に封筒と同意書を小さくまとめて押し込んだ。

 よく、靴下などが片方タンスの奥に落ちて見つからなくて困ることがあるから、ここなら見つかりにくいと思ったのだ。

 しかし3日後。

「則子、見つけた。駄目だ、もっと誰にも見つからない場所にしないと」

 今度は則子は、押入れの天井裏の側面に張り付けたが、夫はすぐに見つけ出した。

「もっとだ、もっと誰にも見つからない場所に頼む」

 そうして、まるでゲームのように同意書と封筒を則子が隠し、夫が探す日々が続いた。

 2か月が経ち、1か月探し続けても、夫はついに妻の隠した同意書と封筒を見つけ出すことができなかった。

「これなら、大丈夫……」

 泥棒に盗まれることを恐れてのことだとはじめは思っていたが、どうもそうではないらしいと、途中で則子は封筒の中身をこっそりと確かめた。

 何かの粉。それが小さなケースに入り、何重にもくるまれて入っていた。

「……毒……」

 ぶるりと則子は震えあがった。

 いざという時……。

 夫は殺したりしないと言っていたが……。

 毒を用意しているということは……。捨ててしまおう。則子は隠した振りをして捨ててしまおうと思った。

 だが、娘の由紀の「ママだいすき」という寝言が則子を思いとどまらせた。

「いざ……というときの……保険」

 涙がほほを伝う。

 ああ、そうだ。

 悪魔がこの世にいるというのなら、私は悪魔に魂を売ったって娘を死なせたくなんかない。

 あの日から3か月が経ったのだ。娘の寿命が尽きる日が刻一刻と近づいている。

 夫の言っていた半年後に……その計画実行の日に、娘は本当にたくさんの寿命がもらえるのだろうか。

 寿命バンクからの書類が届いた。

 早くとも1年後にしか寿命はもらえないという報告だ。寿命バンクは常に順番待ちの状態だ。

 寿命の入荷は、寄付に頼るしかない。もしくは自殺や他殺によって寿命を残して亡くなった人から入ってくる分。

 不思議なことに、自殺者の増加は寿命バンクができてから年々減っている。

 自殺すると寿命が自殺バンクに行くことの説明も含め、寿命の譲渡など、命に関する授業が学校で増えたこと。

 また、命の相談をするための場所や機会が増えたことが自殺を思いとどまらせることにつながっているのではないかと言われている。

 しかし、こうなる前には自殺者急増といった悲劇の時代もあった。自殺して自分の寿命を誰かに渡すというものだ。

 ……そう、今の私のような状態。娘を助けたい母親の自殺。そればかりか自殺に見せかけた他殺も中には含まれていた。

 そのため、自殺も他殺も、希望する相手には上限5年しか寿命を渡せなくなった。残りは寿命バンクに行くだけだ。

 普通に譲渡申請書を出して渡す場合と、渡せる年数が変わらなくなったことで寿命目的の自殺も他殺もなくなった。

「みとり休暇は1か月あるから、旅行に行こう」

 夫が旅行のパンフレットをあれこれ持って帰ってきた。

「由紀はどこに行きたい?」

 則子の目の前に広げられたパンフレットは、どれも国内旅行のものばかり。せっかく1か月も休みがあるのだから、海外旅行にも行けるだろう。

「えっとね、ここと、ここと、ここ」

 由紀が遊園地の乗ったパンフレットを次々に指をさしていく。

 そうだね。そうだ。由紀のための家族旅行なんだから。

「おばぁちゃんも一緒だからね。こういうところもいいんじゃないかな」

 お義母さんも一緒の、最後の家族旅行。

 そうだ。そうだった。

 動画をたくさん撮って残そう。

 写真もいっぱいとって。

 笑顔の写真。

 幸せな時間を、残しておこう。


 由紀の余命が告げられてから半年後。計画は実行に移された。

 旅行の工程の半分が過ぎ、初めて広志は計画の全貌を妻と母親に告げた。

「そう……分かったわ。由紀ちゃんのために私の命は全部使うと決めていたから……好きなようにしてちょうだい」

「お義母さん」

 計画を聞いて、祖母の決断は早かった。

 則子だけが、頭が上手く働かない状態だった。

 由紀は、ホテルの保育ルームに預かってもらっている。

 夫の立てた計画は完璧だ。保育ルームで保育士さんが見てくれる施設のついているホテルを選んで宿泊している。

 それから、レンタカーを借りて、平日はほとんど観光客のない場所へと3人で移動してきた。

 車を止めて、外に出る。もう、春だというのにやけに寒く感じる。

「ごめんね、母さん」

 則子がぼんやりと現実を受け入れられないままでいると、広志が手袋をはめた手に包丁を握る。

 振り上げた包丁が、太陽の光を浴びてギラリと光った。

 まぶしくて則子が目をつむると、ずぶりという不快な音と小さなうめき声が聞こえた。

「うぐ……」

 目を開ければ自分の母親に包丁を突き立てている広志の姿がある。

「お義母さんっ」

「則子さ……ん、由紀ちゃんをよろしくね……。ほら広志、もっとしっかり刺さないと死ねないわ……」

 広志は、包丁を母親から引き抜くと再び振り上げた。

 広志はぐっと奥歯をかみしめ、苦しさに耐えている。

 なんで、どうして!

 振り下ろした包丁は、やはりしっかりと由紀の祖母には刺さらず、小さな傷をつけるだけだ。

 3度、4度と夫広志が実の母に刃を向ける。

「駄目、やめて!」

 自分の手で、親を殺すなんて……させてはいけない。

 見ているのがあまりにも辛く、則子は夫から包丁を奪った。

「お義母さん、お義母さん、ありがとう……ありがとう……」

「ええ、こちらこそ……辛い役目をさせてしまうわね……一思いに……」

 則子の握る包丁は、正面から義母の心臓に突き立てられた。

 その勢いのまま、則子は今度は夫に包丁を向ける。

「待て、則子、計画が違う。殺人犯になるのは僕だ。則子は僕に命を狙われた被害者」

 則子が首を横に振った。

「駄目よ……駄目。あなたの計画の犯人は私じゃなければ駄目……」

 夫の口にした計画。

 それは、自分が母親を殺し、妻をも殺そうとした殺人罪と殺人未遂罪で死刑になるというものだった。

 寿命の受け渡しの上限の5年……唯一死刑だけは例外なのだ。

 被害者がいる。だから、被害者や被害者家族には上限なしで寿命を渡すことができるのだ。

 被害者は寿命を自分で受け取ることもできるし、その寿命をオークションで売り、金銭として受け取ることもできる。

 つまり、広志の残りの寿命……日本人男性の平均寿命まで生きるとすれば約40年。

 死刑になった広志の寿命は、被害者である妻の家族の由紀に渡すことができる。

「駄目だ。由紀には母親が必要だ。だから、僕が死んで、僕の寿命を由紀に……」

 女の子である由紀には確かに母親がいたほうがいいだろう。

「駄目よ……。駄目……」

 包丁を握ってからの則子の決断は早かった。

「まず、動機を疑われるわ。寿命を子供に分けなかった妻と母が憎いなんて誰が信じるの?私もお義母さんも娘のことを大切にしていたことはみんな知っているわ」

「それは……じゃぁ、娘も死ぬし、妻が邪魔になったと離婚を切り出したけれど、離婚に応じなかったからというのは?」

 広志が必死に紀子を説得しようとしている。

「お義母さんまで殺す理由がない……」

「半年間、お義母さんは寿命譲渡しなかったという事実、夫のあなたはこうして見取り休暇を取っているという事実。事実を突き合せれば、二人とも娘を見殺しにするつもりだと判断される可能性が高い。だから、娘が大切な私が二人に殺意が湧いた……これならきっと世間も納得する」

 則子の頭は驚くほどすっきりしていて、すらすらと考えが浮かんできた。

「則子……」

「嫁姑問題、そして、家庭を顧みない夫。かわいそうな妻。……ふふ、かわいそうな妻ですって。私はいいお義母さんと素敵な旦那さん、それからかわいい娘に恵まれて、とても幸せだったのに……」

 則子の両目から涙が流れ落ちる。

「死刑になると、保険金が下りないんですって。あなたが死んでしまえば、専業主婦の私はたちまち食べる者にも困るわよ?」

 広志の目にも涙が浮かぶ。

「由紀を殺人犯の娘だと言われないように、この後引っ越しもして名前も変えてとするんでしょう?貯金もほとんど無くなってしまうでしょう。あなたなら、引っ越し先でも仕事はすぐに見つかる。由紀に金銭面でまで苦労を掛けずに済む……」

 則子の言う通りだと、広志は思う。

 だけれど、決して妻に説得されるつもりは広志には無かった。動機をもっと練り込めばきっと大丈夫。だからやはり、犯人は僕でいいと、広志は則子の手から包丁を受け取ろうと手を出す。

「金なら、生活保護でも何でもきっと何とかなる」

 広志の言葉に則子が首を横に振る。

「下手に軽い罪になっては駄目なのよね……だから、いざという時の保険……同意書と毒を用意したのでしょう?」

 夫がはっと驚く。

「封筒の中を見たのか……?」

 則子が頷いた。

「やっぱり、毒だったのね……隠したのは私。探し出せなかったのはあなた。……。死刑になるために罪を重くする証言を、あなたはできない」

「則子っ」

 ぶるぉぉぉと、車が近づく音が聞こえる。

 誰かが来る。

 もう、話会う時間もないし、包丁に付着しているであろう則子の指紋をふき取る時間もない。

「由紀をお願い……私は、由紀の中で……由紀の命として生きていくから……あなたのそばでずっと……」

 則子が包丁を振り回し、夫の背中を傷つける。二度、三度として振り回す。その様子を、「目撃者」が見ているだろうと、声をかけられるまでやめることなく続けた。


 病室は静寂に包まれていた。

 父親の告白に、由紀はぼんやりとしているだけ。

 何の言葉も発しなかった。そればかりか、表情一つ変わらない。

 まるですっかり魂が抜けたかのような様子だ。

 父親は、長年隠し通した真実を口にし終わったことで、力が抜けていた。

「やはり……”死刑になるため”だったんですね……」

 カウンセラーの真理子がふぅとつめていた息を吐きだした。

「あの時の裁判員で、老婆とサラリーマン二人はそのことに気が付いていた。いや、気が付いてはいなかったかもしれないけれど、死刑にしてあげれば、その寿命を娘に渡せるということは知っていた……。だから二人は死刑になるようにあの場を支配した。途中で、その意図に気が付いた主婦も死刑に賛成」

 裁判員と裁判官による評議の様子を知らない父親が、真理子の言葉に耳を傾ける。

 確実に死刑を主張したのが3人。サラリーマンの言葉に、死刑が妥当だと途中で意見を変えた初老の男性。

 そして……。

「私は、何も考えていなかった。みんなが話会う中、誰かがAと言えばAなのか、なるほどと思い、Bと言えばやっぱりBかもしれないと思っていただけ。自分の頭では考えなかった……そんないい加減な私があなたのお母さんを殺した」

 父親の独白が終わった後は真理子の独白だった。

「死刑……って、結局刑で人を殺すこと。命を奪うんだから、殺すんだよね。そんなことすら考えなかった。そして、数年後、その事実に気が付いた私は、人を殺す判断を何も考えずに軽い気持ちでしてしまったことに怖くなった。怖くて、あの時の私は正しかったのかと、死ななくちゃいけないほどの罪じゃなかったんじゃないかと、考えだしたら精神的におかしくなりかけてしまって……」

 カウンセリングを受け、なんとか立ち直ったこと。

 もう一度事件のことを正面から受け止めて考えようとしたこと。

 そして、死刑にしてあげなくちゃと思って意見していただろう人が裁判員にいたと気が付いたこと。

 事件そのものが死刑になりたくて起こしたものだったんじゃないかと思ったこと……。

「その事実に行きついたとき、私はもう一度大学に入ろうと思った。……由紀ちゃん、あなたが……事実を知ったとき……。私が苦しかった時にカウンセラーに助けられたように、私があなたの心を支えられるようにと」

 父親が真理子の顔を見る。

 自分の立てた計画で妻と母を失ったこと。父親もきっと苦しい思いを抱えて生きてきたのだろう。

 一人で秘密を抱えながら。

 そして、自分のしたことが、正しかったのかと、何度も自問自答したはずだ。

 真理子は小さく笑う。


「大丈夫です。間違っていません。誰も……」


 そこからカウンセリングを始めることにした。



最後までお読みくださりありがとうございました。

1話完結(分けて投稿しなかったため)です。短編での投稿も考えましたが、続編(裁判員メンバー他)の話なども構想はあるので、いつか書くことも考え連載とました。

ブクマ、感想、評価、レビューいただけると嬉しいです。



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